無題

突然ですが。
私の母は2006年に乳がんが発覚し、克服し、2015年に膵臓がんが発覚し、2016年に亡くなりました。
その後、2017年に父が1型(!)糖尿病を発症しました。

人の一生は、ろうそくのようなものだと思っています。
この世に生を受けた時から、太い・細い、長い・短いは、もう、予め決まっていて。
それは運命ですから、食生活でなんとかなるものではない。母は、ただ単に、太く短いろうそくだったのだと思っています。

でも、それでも、早く発覚すれば、腫瘍が手遅れになる程大きくならなければ、気づけていれば、今まだ生きていられたのではないか
失わずに済んだのではないか
などと、勝手に、自己中心的に、思ったりもします。

今は、朝晩、お腹にインスリンの注射をぶっさしている父を
母を亡くして5年、未だ母以外の生き甲斐を見つけられていない父を
とにかく生かしておきたい、元気でいてほしい。という、これまたよくわからない自己中心的なモチベーションに、私は突き動かされています

大切な人を失うのは、筆舌に尽くしがたい悲しみがあります

自分と大切な人を守るために、栄養のこと、食の安全のことを学ぶことは、意義があると、私は強く感じています。

でも一方で、栄養栄養と追い求めていると、ふと、私が作った健康的で栄養満点なご飯を「おいしくない、いらない」と突っぱねた、晩年の母の姿を思い出します。

健康だけが、全てではないのだと
その時、痛いほど、苦しいほど、思い知ったのです。

「おいしい」という感覚は、人を幸せにします。
健康よりも上位概念にさえなり得る。人はエサを食べているのではないのだから。

その逆で。食べ物に興味がない人がいてもいいと思うんです。
世の中にはたくさんの喜びと幸せに溢れています。
何も、食べ物から喜びをえなくても、幸せになれると思うのです。

その人にあった、食事を。食生活を。
皆さんの食に対する価値観を、まるっと受け止める。
押し付けることなく、食情報を伝えていく。

そこまでが、私の責務です。
そこから先は、皆さん自身が判断すればよいのだと思います☺️

「食」という生きるために必要なこと、
「おいしさ」という一部の人にとっては強烈な喜びであることを、生業(なりわい)にしているものとして、
ちょっと皆さんに、伝えたくなりました。

※写真は、先日友人のかなこさんが竹林で取ってきてくれた筍をアク抜きしてお味噌汁にしたものです。
とてもおいしかったです。
立ち上がる湯気が、ただただ美しくて。

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