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5G社会に生きるアーティストポリシーと生活に彩りを添えるファッションセラピー

●はじめに
 災害や人災。そして私たちが今まさに直面しているパンデミック。人々の心や生活に蓄積する不安材料。
暗い影が差した時代にあって、アーティストにできることとは一体何なのでしょうか。

来たる5G社会は膨大な情報や人々の価値観に溢れ、
本当に今の自分にとって必要なものを受けとることが困難になると危惧しています。情報や価値観を人から与えられるだけではなく、与えられたもの自分から見極め取捨選択していく時代に差しかかりました。この現状を踏まえて、アーティストは自分の表現やアイデアをどのように世に提唱していくのか、またその方法や発信するタイミングを今まで以上に考えていかなければならないでしょう。
数ある発信ツールの中でも、SNSはとても便利ですが相手と五感を通した交流や対話が叶わないだけに、時には誤解やトラブルを招くこともあります。少しでも対人関係のトラブルを回避するために、また心地よく自分の表現を相手に提示して分かち合うために、論理的に述べた文章や説得力のあるプレゼテーションが必要となります。

知識と感性のバランス。
思考と感情のバランス。
冷静と情熱のバランス。

私たちは生きていると、様々な心の動きに直面しますが、これらをセルフコントロールする知恵と行動が
5G社会を生き抜くために必要な糧となりそうです。

けれども、アートに言葉や解説は必要がない場合があります。アート。すなわち私たちの無意識を色や形に可視化する作業は、私たち自身の「生」や「営み」を足跡として世の中に残す作業であり、アーティストがそれらに多くの言葉を添えることで、鑑て受け取る側の人達の感性にフタをしてしまうことがあるからです。

ここで忘れてはならないのは、相手との距離です。会ったことのある、ないなど物理的な距離ではなく、相手との心の距離がどれだけ近いか。
例えば、アーティストの個展やライブ、舞台や講演に何かを求めて足を運んでくれた人は物理的な距離と心の距離という条件の両方が満たされた人です。次に、アーティストが実際に会ったことがない人でも、著書を手に取ってくれた人、或いはメッセージを送ってくれた人ならば物理的な距離を満たしていなくても、心の距離の条件が満たされた人と言えます。
この両方、あるいは片方の条件のいずれかが満たされた相手に対しては、必ずしも作品に対する解説や多くの言葉は必要ないのかもしれません。

SNSを通した表現活動のリスクは、アーティストの感性に触れることを求めていない人達に対しても発信されてしまうということです。

そこで私が大切にしているのは6W1Hの法則です。
これは、クリスチャンアーティストで日本屈指のゴスペル指導者であられる山本真一郎先生の提唱したライブ配信をする時のルールです。これはライブ配信に限らず、アーティストが情報化社会を生き抜くために重要なメソッドだと捉えています。

特に4つ目の「Why」なぜ?という項目は
動機と目的ですので、これを明確にすることがSNSを通した表現活動をする時の第一前提になりそうです。

※山本真一郎先生のYoutubeチャンネルはこちらからご覧ください。
https://www.youtube.com/user/shinscommunityacts

●『好きこそものの上手なれ』は魔法の言葉

 私にとっては『ビビディバビディブゥ!』に並ぶ魔法の言葉です。幼い頃からお絵かきとおままごと以外全くと言ってよいほど関心を示さなかった私は、よくこの言葉を周りの大人から投げかけられました。そしてこの言葉を疑うことなく大人になりました。

「好きなことをとことんやればきっと夢は叶うのだ、シンデレラストーリーは在るのだ。」

と心から信じて生きてきました。
好きなことへのこだわりとは、自分の信念を貫き通す強さへと繋がっているのだと思います。
この信念を忘れずに子どもの背中を押したい。
それが母となってから今日に至るまでの課題でした。

●『好き』への違和感が教えてくれたもの
 16歳の夏。まるで世の中の人たちが皆自分の家族のように見えていた御愛でたい少女は、この頃からある違和感を抱き始めます。

『本当に好きなことばかりやっていて道は開けるのだろうか。』

私はこの『好き』には2つの解釈があるような気がしてならないのです。好きなことをとことんやって獲得した技術やアイデアがあります。それらを自分の為に使う場合と、人のために使う場合とでは全く違った解釈になるでしょう。そして、自分が獲得した技術やアイデアは「命」に置き換えることもできます。
自分の命を自分のために使う場合と、人のために使う場合といった感じです。

分のために存分に使った命は自己愛に満たされ、内に築かれたアイデンティティは「自信」へと形を変えて、外に出て行くことが出来るのです。成長過程でこの作業が何度も自分の中で繰り返され、その作業を見守り安全基地を提供してくれる家族や第三者との出会いを経て、やっと自分の命を他者のために使うことが出来ます。

過去の記事『脳科学の視座から〜小児期逆境体験ACES研究レポート』も併せてご覧ください。
https://note.com/chiemaru7/n/ne3fa8633b807

 私自身、学校現場で8年美術の指導に携わってきました。未就学児童さんやgiftedの子ども達が集う支援センターでは5年間、創作活動を支援してきました。様々な領域の子ども達の表現をそばで見守る機会に恵まれました。

「好きなことをとことんやる。」
「信じてやり抜けば夢は叶うんだ。」

幼少の自分が教え子達に重なって見えました。
子ども達の探究する眼差しが、葛藤する手先指先が、笑顔が、全身全霊でそのようなメッセージを語りかけてくれたように思うのです。

「先生みてみて!」
「この絵、お母さんにあげるんだ。」

図工室で。美術室で。福祉の現場で。
子ども達の声は、上で書いた6W1Hが自然発生的に満たされていたのです。
子どもは根っからのアーティストであり、彼ら独自のポリシーをもって表現しています。
そこに大人の解釈が介入する隙はありません。
無意識に大人の価値が押し付けられ擦り込まれることが、どれほど子どもを傷つける行為であるかを知ったのでした。今振り返れば、この子ども達との出会いが私が表現者として生きるきっかけであり、原点でした。

●生活に彩りを添えるファッションセラピーとの出会い

 幼い頃から母に連れられて、よくミュージカルを見に行きました。母は舞台に立つ人でした。家の中ではいつも歌っている人でした。そんな母の影響を1番に受けた私。劇団飛行船やベルサイユの薔薇のオスカルに夢中な子どもでした。高校生になると音楽やダンスにお芝居、バンド活動にあけくれました。

1人親家庭に震災後の仮設暮らし。
経済的に豊かではありませんでしたが、
母はいつも私が好きなことを探り、工夫して環境をつくってくれました。

編集した写真を一日寝かせて自分を客観的に見てみると、子どもの頃に母から受けた感性が全てここに現れているなと感じました。まるで文化祭やパーティー
を彷彿させる写真ばかりですが、これらの仮装は臨床の視座に立って始めたアートワークです。
自粛期間に取り組んでいた『なりきり名画』に続いて、1950年スタイルの再現はその時代に生きた人々の感性や価値観に寄り添うきっかけとなりました。

※『なりきり名画』についての記事はこちら。
https://note.com/chiemaru7/n/n86805b30756b

私が1950年代にこだわる理由の一つは、
第二次世界大戦後の人々の生活に関心があるからです。先日、当時の女性ファッション誌を見る機会がありました。終戦直後、暗い影が落とされていた街と人々の心にファッションが彩りを添えていたことを知り、心が震えました。

理由の二つ目は、表現アートセラピーの学びの中で常々登場するメイクやファッションです。
自分を彩ることの重要性は映画「ニーゼと光のアトリエ」の中で描かれています。
1950年代のブラジルの精神病棟に初めてアートセラピーを導入した女医ニーゼの実話です。

詳しくはこちらの記事をご覧ください。↓

『自分を彩る』
https://note.com/chiemaru7/n/n603afeeb6f28

終わりに
心理学、とりわけアートセラピーの観点では、『自分を彩る行為』は『生きている自分を確認する作業』であり、『心の中にスポットをあてる作業』と言えます。

脳科学の観点ではもう少し論理的な説明が必要となりますが、ここでは心を可視化した切り絵をご覧いただき、最後の言葉とさせていただきます。

目に見えない小さなウイルスに怯え、不安に支配された今、世界に彩りを添える。人々の心に色とりどりのスポットを当て、希望を循環させる。 
アートはまだまだ色んなところでその力を発揮できそうです。

         大人の図工塾管理人 米光智恵

〈ファッションセラピーギャラリー〉

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