見出し画像

大人の図工塾へようこそ!

学校、地域、保護者、作家がアートを通してつながるコミュニティページ『大人の図工塾』へようこそ!

ここは「大人が図工を体験できる塾」ではありません^_^

〝同じ心の温度の人達がそこに集まれば、どこだって図工塾になり得る。〟

そのようなスタンスで活動を続けています。

2017年にページを開設してから繋がれた方々は現在(2020.3月)230名を超えます。

大人の図工塾は全国の幼保園、小中高大学、特別支援学校の教職員、児童発達支援者、アトリエ関係者、作家さんからなるコミュニティページです。

このページを通して出会えた現場の先生を訪問したり、作家のアトリエを突撃取材したり、

実際に学校や保育の現場へ創作支援に駆けつけたり、

また、図工美術の授業や展覧会、美術展の様子を取材し、発信しています。

その他、図工塾管理人が携わっている地域アートプロジェクトや講演活動、所属している教師の研究会の様子を日々更新しています。

図工塾管理人より

♡保護者の方々へのラブレター♡

令和時代。「図工」が変わる。学校が変わる。教科書が変わる。学習指導要領が変わる。

「図工」は教科という枠組みを超えていく。

「図工」ときくと、あなたはどんなイメージを持つでしょうか。

学校や地域でこれまで出会ってきたママ達に聞いてみました。(集ってくれる大半はママなのでパパ達ごめんなさい。)

「私の子どもの頃は今みたいに自由じゃなかったなぁ。」

「結局、図工の先生の好みで評定がきまっていたような…」

「図工は好きだったけれど、中学校になって美術がキライになっちゃったんです。」

「写生大会で、先生が金賞とか銀賞とかつけるのがやたら記憶に残っています。」

「とにかく我が子には図工美術嫌いになってほしくない。だから、今からアトリエに通いたいのです。」

「子どもの頃、先生が何でも描きなさいって言うから、ラーメンの絵を描いたら「ふざけているの?」って怒られて…。お花の絵を描いた友達はほめられていて図工が嫌いになりました。」

溢れ出てくるママ達の不満。
私は正直驚いてしまいました。

もっと楽しい思い出話を聞けるのではないかと期待していたからです。中にはひどく傷ついた過去を語ってくれるママもいました。全て、「図工の時間」に起きたこと。これでは「図工」のみならず、美術教育の重要性が軽視され、子どもの造形活動の時間がますます守れなくなってしまいます。
学校現場でなぜ表現する時間が必要なのか。学校は今改めてその必要性を問われているのです。

 近年、大学を通して海外の美術教育から学ぶ機会がもたれ、実際に現地の図工美術の授業をみたり、子ども達と交流する場が多く設定されています。例えばチェコではアートを土台に据えた育児や教育がプラハの街に根付いています。

長く戦争によって虐げられ、自由な表現が奪われてきた歴史の中で、アートがどれほと自分たちの「生」や「営み」にとって大切なものかをチェコの人々は知っているのです。

「アートはただ、ロマンチックで美しいだけではありません。その先を経ていくものです。アートはいつも軍の関心ごとから遠ざかっていなければなりません。

 教育者、支援者、学芸員や作家、学生達がチームとなって、また子どもを通して家族ごと美術教育に含んでいくことが平和な社会をつくり出していく。このチームワークこそ、子ども達の心を育てる糧と信じているのです。」

チェコの先生のお言葉が図工美術の必要性を示してくれています。 

Artist アーティストのA

Researcher研究者のR

Teacher教師のT

どの立場の人が欠けてもARTは成り立たちません。このことを考えると、これからの「図工」は教科、学校さらには文化という枠組みを超えて、もっともっと地域の人達に身近なものになっていかなければなりません。
多文化共生社会を生きていく子どもたち。
自分や友達のアイデンティティ、他国の友達のアイデンティティを知り、多様な価値観を認め合える心を育てていく。

これからの図工には、そんな想いも込められているのです。どうか子ども達の「図工の時間」を見守っていただきたいと思います。

そもそも「表現」とは?

子どもの「つくる姿」とは?

本来、「表現」することは、自分らしさを認めたり、自分の中から湧き上がる喜びを友達と分かち合ったり、自分にはない友達の良さに気付いたり、また一人で作ったり共同でつくったりと、色や形やイメージを存分に味わうことです。絵を描いたり、ものをつくることは

「生きること」と言っても過言ではないでしょう。生きている私をそのまんま表現したのですから、作品はその人自身なのです。

そんな「表現」という領域を誰からも脅かされることがあってはなりません。しかし、「学校」や「教科」という枠組みの中で先生たちも子ども達に内在する色や形やイメージを引き出し、指導し、評価しなければなりません。

ちょこっと評価のハナシ…
評価は子どものためにあるものなのに、いつしか教師のためのものにっていた。そんな状況の中で〝子ども理解〟の観点がぶれ始めてしまいます。子ども理解のブレは、大人が子どもの視点に立ち、子どもの表現に共感し、寄り添えなかった時に起こります。子どもを「小さな大人」としてみてしまうと、「この子はどうして出来ない?」になってしまう。

「子どもにしかできない表現だし、これはこの子にしか見えていない世界なんだな。」

そう考えると、子どもが表したものに自然と敬意を払うようになり、「子どもが傷つかない図工の時間」が成立するはずです。評価においては出来上がった作品を審査員のような眼で評価するのではなく、その子のつくりあげていく過程を評価しています。先生達は、日々子どもの目線に立って、その子の手や眼の動きを追いかけ、気持ちに寄り添い、データを積み上げた上で評価されていることをご理解いただきたく思います。

保護者のホンネ…「図工」以前に学校への不満。

子ども達も保護者の方々も、この義務教育9年間で色んな先生に出会うと思いますが、先生ひとりひとりはいつの時代も、どの学校にも、どんな方法であっても子どもを愛しているのには変わりありません。そのことをどうか心に留めながら、学校を、支援者を信頼してください!とは言っても学校への信頼が裏切られてしまった悲しいニュースは後をたちません。

「いじめ」「体罰」「不登校」 

その信頼も「図工」みたいに、つくってはつくり変えることができれば良いのですが、子ども達が一度心に負った傷はそう簡単に拭えるものではなく、子ども以上に親御さんが深い傷を負っている場合が多いのです。

「学校には期待していません。」こんな声もよく聞かれます。

子どもたちが生き生きできる場所は一体どこ?

「学校に行かない」「学校にいく」というたった2つの選択肢。

多様性が叫ばれる時代なのに、多様性の塊みたいな子ども達に、世の中が全然対応できていないのではないか。そこで昨今よく叫ばれているのが

「居場所づくり」という言葉です。

「もう一度学校に子ども達を戻そう!」と活動している人たちがいる一方で、「学校に行けなくなった子ども達のための居場所を作ろう!」と活動している人たちがいます。

様々な居場所づくり事業があります。民間のフリースクール、放課後デイサービス、児童センターや放課後子どもクラブ。個人のアトリエ。この5年間で受けられる支援やサービスは急激に増えました。しかし、子どもの居場所を選ぶ時に親御さんが見落としてはいけないポイントがあります。

単に義務教育9年間をやりぬくための「預かってもらう」「待機させる」場所ではなく、子どもの「納得」が一番にある場所かどうかを見極めてください。

1年でやめた。2年でやめた。それでもかまいません。がいい。家がいいという子どもさんは無理に外に出そうとせず、居心地がよいのですからそっとしておく期間があってもよいでしょう。

ホームスクーリング。
ホームティーチング。
みんながみんなエジソンのお母さんになれるわけではありませんが、子どもにとってはどんなお母さんも世界で1番の存在です。お母さんが先生をする。というのも素敵なことです。(ある子にはばあば。じいじ。ある子には近所の方。その子の身近にいて養護できる大人が世界一の存在ということです。)

母子で過ごす期間や学校に行けない期間にどうか罪悪感を感じず、その時間も尊いものだと捉えてみてください。子どもの発達や成長の過程でどうか心のSOSに気付けるよう、アンテナを張っていただきたく思います。

とはいっても親御さんの心を外からサポートする対策、機関があまりに少なすぎるので、最後に図工塾管理人から居場所のプレゼントです。

居場所づくり事業「アートハウス」のウェブサイト

https://fujimoto-kyoushitsu.wixsite.com/arthouse

「10年後を見据えた子ども達の居場所をアートと自然を軸に展開していきたい。」

居場所とは、2、3年後になくなってしまうものではなく、10年後、もっと先まで続いていくものでなくてはならないと思っています。

この図工塾の活動が、子ども達の心理的居場所の形成、また親御さんのメンタルヘルスに役立てるよう、

また学校と地域、家庭をつなぐ役割を果たしていけるよう視野に入れて、これからの歩みを進めてまいります。

          大人の図工塾管理人 米光 智恵

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?