コロナで世界恐慌?見えない敵に怯えるよりまずわたし達ができること。
ちょいとつぶやく…
つぶやき程度やないな。
炎上覚悟のショートスピーチかな…
(写真は、春休みに家で実践できること大特集。)
コロナで世界恐慌。
みんな、目に見えない小さなウィルスに怯えている。
地域アートプロジェクトも、図工美術イベントも、居場所づくりも事業も、そして明日からは学校もストップ。
「子どもたちに、希望を循環させていこう。」
そんなビジョンがこんなことで絶たれてなるものか。
電車に乗ると、中国人の夫婦の小さな小さな会話が聞こえてくる。
あの快活な威勢の良い発音が街に響かない。
国家レベルで人をみると「偏見」になる。
私は中国にホストファミリーがいる。
教会には抱きしめて祈ってくれる中国籍の信仰の友がいる。
短大で一緒にダンスを踊った留学生の親友たちがいる。
図工美術の学びを分かち合う留学生がいる。
個人を受け入れ愛しづけるところに、
国家間の争いや偏見はない。
戦争も災害も疫病も。
見えない敵と戦おうとしたら
たちまち、大切なものは何だったのかを忘れてしまうんだ。
不安を拭いたい。
大人も子どもも。
んで、どうしてこうなった?
お金だ。
この時代の最大の偶像はお金。
政府は国民の健康よりも
春節でインバウンドされるお金を
当てにしたからなのではないか。
1月初旬から少しずつ聞こえてきた疫病の存在。
もっと早くに対処できた。はず。
今からゴタゴタ言っても何も変わらないのであるが、
とにかく今私がすべきことは、
マスクが無いとぶつぶつ文句を言うのではなく、
トイレットペーパーを買いあさるのでもない。
子どもの心を家庭の中で守ること。
見えない心を守ること。
昨日は礼拝でサムエル記のみことばを開いた。
「それぞれが自分の目に見えるものをよいと思っていた。」
お金を払えば神さまの祝福をもらえる自動販売機みたいな話が聖書には度々登場する。
(牧師先生方、かなり省略した証で申し訳ございません。)
『お金』を神のように崇め奉って
まるでそれが神様かのように慕っている。
何か義務を果たせば神様の祝福をもらえる。
神という存在をお金によって可視化すれば、もう安心だし、それが正解だと思いたい。
2000年前から人の特性なんてさほど変わらない。
お金という偶像により頼み、それが満たされなかったらパニックに陥る。今回のコロナもそう。
「あなたには熱いか冷たいかであってほしい。」
ヨハネの黙示録3章14-
これはクリスチャンの信仰心について言われているけれど、人の信念についても問われていると思う。
熱いか、冷たいか…
「コロナはいつか終息する!また世界が希望で満タンになって動きだすよ!」
と信念をもって熱く唱えたい。
見えない敵に怯えるのではなく、
信じて祈りたい。
科学的なエビデンスも大事だけど、
ただ、まっさらな子どものような心で
「大丈夫だよ!神様が守ってくれるよ!」
と叫びたい。
小中高生。西宮市は明日から長い春休み。
お家でできる自分探しはいっぱいある。
エジソンの母をやってみよう!というママがあってもいい☺️
不登校の子どもさん、また社会にでていけないと嘆く大人達も、在宅でできるコミュニケーションをもっと探れるかもしれない。SNSをもっと有効にできるかも。またその魅力を発信できるのもこの方達。世の中の動きがストップしてようやく気づけることもある。
「〜ねばならない。」「〜であるべき。」
が覆されていく機会かもしれない。
多様性。
今日から更にポジティブに生きてみる。
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