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世界が今夜、終わるとしても

2023年8月23日に発売された SEVENTEEN JAPAN BEST ALBUM『ALWAYS YOURS』を通して思ったことを書いていきたい。


ベストアルバムの内容は、今まで日本でリリースされた日本オリジナル曲全曲とJapanese ver.の楽曲、さらに新曲を2曲含む全27曲。こんなにもたくさん、日本のファンに向けた曲を発表してくれている事実に心から感謝しています。本当にありがとうーーー!


新曲のうちの1曲である今回のタイトル曲は「今 -明日 世界が終わっても-」。わたしレベルのゆるゆる涙腺だと、もうサムネ見ただけで泣いちゃいますからね。13人が楽しそうに笑っていてくれるだけでありがたくて涙出てくる。


サムネの雰囲気とは打って変わって、MVでは終末感に満ちた雰囲気のなか、必死に逃げる人の波とは逆方向に進もうとするバーノン、避難する人々を戸惑いながら見渡すハオの手を引いて逆走するミンギュの姿………今にも終わってしまいそうな世界を背に、SEVENTEENだけがどこか別の場所に向かって走っていく___

君にLast Dance
まぶしすぎるその笑顔を
守れるなら もしできるなら

SEVENTEEN「今 -明日 世界が終わっても-」


そんな世界観を一瞬忘れさせてくれるのがこの歌詞。SEVENTEENの歌詞に描かれる世界には、いつでも主人公”僕”としてのSEVENTEENと”君”としてのCARAT(ファン)だけが存在していて、”僕”が”君”にまっすぐな愛を向けてくれる。今回の新曲「今 -明日 世界が終わっても-」でも、「世界が終わろうとしているその日にだって、君のために最後のダンスを踊るよ」と言ってくれる。世界中がパニックに陥ろうがどうなろうが、僕たちは君たちの元へ走っていくよ……MVからそんなメッセージを受け取って、胸がいっぱいになってしまう。


もうひとつの新曲「Sara Sara」の歌詞にも「今 -明日 世界が終わっても-」と通じていると思えるような部分がある。

君より素晴らしいものは他にない
最後に何も残せなくても
君の名前  それだけは覚えてられる

SEVENTEEN「Sara Sara」


この”君”もきっと”CARAT”を指しているんだろう。最後の瞬間までSEVENTEENにとってCARATの存在は特別なもの、何も覚えていられなくなっても「CARAT」という名前だけは覚えていられる、そんな想いが込められているのでは…?と想像しながら聴いて、思わず視界がにじむ。これはいちファンのエゴだけど、いつかSEVENTEENがステージを降りる日が来たとしても、CARAT棒の光に埋め尽くされた観客席をそれぞれの人生の中でときどき思い出してくれたらいいなと思う。わたしもいつかいろんなことを忘れてしまっても「SEVENTEEN」という素晴らしいグループがいたことだけは絶対に覚えておくからね(重)。


安心と信頼のSEVENTEENの日本語詞だけど、上に挙げた「Sara Sara」の「それだけは覚えてられる」という表現がすごく好き。たとえば「忘れられない」でもニュアンスは変わらないけれど、「忘れない」よりも「覚えている」のほうが強い意志を感じられるような気がするから。そういう細かい言葉選びにいつも感動する。ところで、”Sara”と”사랑(サラン)”の語感が似ていることが気になっていて、勝手に「ズルい〜!」って思ってしまっているけど、それはそういうことでいいでしょうか……?


また「今-明日 世界が終わっても-」の話に戻ってしまうけれど、こちらの歌詞にも本当に細かいニュアンスが込められていて、日本語の繊細さをSEVENTEENの日本語詞から改めて学んでいる。

「もしも世界最後の夜が来たら」
「僕は君のために何ができる?」
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今夜 世界が終わっても
大事にしたいのは僕らの「今」
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世界最後の夜が来たら
大事にしたいのは僕らの「今」

SEVENTEEN「今-明日 世界が終わっても-」

「もしも」から始まる空想で、僕は君のために何ができるかを問う会話。それが「今夜 世界が終わっても」→「世界最後の夜が来たら」と徐々に仮説から確定に近い表現に変わっていく。それによって、空想だったはずの話が「世界最後の夜も、僕と君とのその瞬間を大事にするよ」という強いメッセージに変化していくように捉えることができる。この流れ………痺れるぅううう〜〜〜!!!!!



SEVENTEENの楽曲制作のほとんどを手掛けるウジくん曰く、日本語曲を作るときは、韓国語詞を日本語に翻訳し、それをさらに韓国語に訳して伝えたいメッセージの意図が変わっていないかをチェックするという。そうやって言葉を大切にしている人たちが歌ってくれる歌だからこそ、メッセージがまっすぐに伝わってくるんだろうな。

歌詞として綴られる言葉だけでなく、楽曲の作り方もJ-POP独特の展開を感じることがある。以前、Huluの特番で音楽ジャーナリストの柴 那典さんがSEVENTEENについて「(K-POPアーティストが自主制作で)日本語曲のシングルをリリースしているだけでもすごいのに、さらにすごいと思うのはJ-POPのフィールドで『あぁ、これはいい曲だな』と感じられること。(中略) 日本語の言葉の響きがうまくハマるようなメロディーセンス(をしている)」と語っていたけれど、わたしは「あいのちから」を聞いたときに、なぜか中島美嘉の「雪の華」がふと頭に浮かんだことがある。この2曲に共通するのは、Cメロの盛り上がりからの落ちサビ……あの展開は「バラードをその世界観に浸って静かに聞く」日本人の音楽の聞き方にぴったりハマるんだよね。

SEVENTEENの日本オリジナル曲は、K-POPの日本語版とは別物で、日本人の心に響く曲を世界に向けて作っている……そんなふうに思う。曲名に関しても、日本語でつけてくれているものがいくつもあるけれど、今回、とくに注目したいのは「今−明日世界が終わっても-」の英語タイトルが「Ima-Even if the world ends tomorrow-」であること。そう、 ‘Now’じゃなく‘Ima’。日本語曲を作ってくれるのと同時に、歌を通して日本語を世界に広めてくれてるように思えてうれしかった。日本人メンバーがいないグループなのにね……ありがとうございます。





いろいろ考えながら曲を聴いてみたけど、わたしの命だけが今夜終わるとしたら後悔もいくつかはあるけど、世界そのものが今夜終わるとしたら、とくに後悔するようなこともないなぁ〜、SEVENTEENの次のカムバ曲聴けなかったことを宇宙のチリになりながら悔やむくらいかな〜とか考えながら、またハッとする。そうだ……「今」を大事にしたいと歌うこの人たちは、まさに「今」、ファンの未来を彩るための仕事をしてくれているんだ……夏に冬の衣装を着て撮影し、おそらく来年くらいにわたしたちが耳にすることになる曲をすでに歌っているんだろう。わたしたちがSEVENTEENの「今」を受け取るには今日を経て明日に巡り会わなければいけない、だから「今」を大事にしなきゃいけないんだ……と気づいた。「今」の連続が未来に繋がることを信じながら「今」を全力で生きるSEVENTEENからの「CARATとの『今』を大事にしたい」というメッセージを大事に大事に抱きしめた。


SEVENTEENからのメッセージが、そして歌声が、いつも今日を越えて、明日を迎えるための活力になる。世界が今夜 終わるとしても、わたしはSEVENTEENの歌を聴いていたいと思う。そして、明日に巡り会えたら、またSEVENTEENの歌声から始まる朝がいい。

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