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“セラピーと創造のプロセス”であるフォーカシングについて熱く語る、のではなくクールに説明してみる

わたしの生き方そのものとなっている、ともいえる、フォーカシング。「そのフォーカシングっていったい何なの?」と思う方もいらっしゃると思う。

わたし自身も、ひと言では説明しづらくて、聞かれるたびにいつも「何て言うといいかなぁ」と頭を悩ませながら説明してる。

今回、この本の、諸富祥彦さんの解説をよんで、あらためて、そうか、と思いだしたから、諸富さんの言葉をおかりしながら、フォーカシングとは何か、について説明してみようかな。

引用部分は、『カール・ロジャース カウンセリングの原点』諸富祥彦 著 より。

フォーカシングとは、みずからの内側のexperiencing<なまの体験の流れ>に直接意識を向けた時、そこに展開される内的な体験プロセスそのもの。

フォーカシングとは、「心理技法」ではない。

フォーカシングとは、セラピーをうけているクライアントの内側でおこる、「展開していく体験プロセス、そのもの」を指している。

さらにくわしくいえば、フォーカシングとは、

カウンセラーに深く傾聴されているうちに、クライアントがおのずと、内側の深いところに意識を向け、そこに触れながらものを考えたり語ったりし始める。その時展開していく体験のプロセスのことをさす。

このプロセスは、成功したり治癒や成長が見られるカウンセリングの中で必ずといっていいほど生まれる。

逆に、こういったプロセスを経ずに、

・分析しながら話したり、
・説明をしたり、
・表面的な会話:おしゃべりに始終したり、
・すでにある常識などありきたりの言葉でわかりやすくまとめたり、
・感情に巻きこまれたまま話したり、
・自己否定、あるいは理想化、あるいは何らかの固定した考え<思いこみ>にとらわれたまま話したり、

していると、内的な展開のプロセスは生まれない。治癒や成長もおこらない。

つまり、セラピーは成功しない。ということ。

実はこの内的な体験が展開するプロセスは、アーティスト、作家、などがあらたな作品やアイデアをうみだすときにも自然におこっている。

創造のとき、あらたなものがうまれる変化の瞬間に体験しているプロセスそのもの、でもあるんだよ。

アーティストに限らず、人は誰でも、まだ言葉になっていない、けれど、「自分の中に、何かここにある」、と感じるものを言葉にしたり、ものづくりしたり、するときには、おなじ内的な体験が展開している。

「う~ん、うまくいえないけれど、、なにか、○○のような、、、○○そのものではないけれど、それに近い何か、なんだよな~」というように、自分の内側を感じながら考えることってないだろうか?

そのとき、内側では、まだ顕在意識にあらわれきってはいない、でも無意識のなかに埋もれきってもいない、まさに、その境目から、生まれ出でようとしている、何か、があるんだよね。

それに触れながら、言葉やイメージを探していく、その時、内側で展開している体験が、まさに、フォーカシングなのだ。

だから、セラピーに限らず、創造性を高めるため、プロジェクトのアイデアを生むため、変化しつづける今を生きるあらたな自分と出会うため、などなど。

イキイキとした生き方を求める人すべてに必要なプロセスなのよ。

ちなみに、わたしが、例えば「フォーカシングをした」というように、技法の名前かのように、”フォーカシング”という言葉を使っている場合は、実は正式にいえば、それは「技法としてのフォーカシング」を指しているよ。

(「技法としてのフォーカシング」を指して、単に、「フォーカシング」と言っている人は多いとは思う。)


技法としてのフォーカシングは、成長や治癒につながるセラピーや、アーティストや作家の創造の瞬間、人が試行錯誤しながら考えている場面に、内面で自然におこっている”体験のプロセス” を、意図的に引き出すために、

ユージン・ジェンドリンが開発した方法をさす。

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