古事記・・舎人の稗田阿礼

古事記を書いた、編纂したのは、
太野安麻呂(おおのやすまろ)
調べると、多家(おお)の氏族みたい。
ここでも、太と多は、おお、と読む。
これが万葉仮名ということなのか。

さて、その太野安麻呂が、
役職が、舎人である、
稗田阿礼に、天皇記等を聞き、古事記を仕上げた。

舎人という役職には、内舎人、大舎人、
東宮舎人、中宮舎人とあり、総勢2000人を超える。

その中から、皇族に仕える人、貴族に仕える人。
警備や雑用係。

舎人になれるのは、3位以上の公卿の子。
もしくは、5位以上であれば、容姿や能力で、
選考されるらしい。

歴史の世界って、天皇や朝廷など、
歴史上の人物や、その周りの人々だけの物語のように思ってしまうけど、
一つの役職だけでも、
2000人を超える貴族の子たち。

遷都するということは、全ての役職の人をも、
移動しないといけない、それに、
今の都で使っている屋敷の板等も、
再利用するので、本当に大変な上に、
庶民に労役をさせ、
天皇の一言で、遷都する、
と決められていたなら、
独裁国家だったのかもしれませんね。
大臣もいたので、
そんなことはないと思いますが。

そんな、舎人集団の中でも、
天皇記を暗誦できるほど、ずば抜けて、
知識が高かった人が、稗田阿礼だったんですね。

どんな人物だったのか、調べてみなければ。

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