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Venus of TOKYOというものがあった話

「Venus of TOKYO」は、ダンスカンパニー「DAZZLE」による、日本初の常設イマーシブシアター(体験型公演)です。
Venus of TOKYO公式サイトより

Venus of TOKYOが好きだ。

……と、昨年大晦日に気が狂ったように書いた自分の記事の書き出しにはこう書いてあった。3か月ぶりに読み返して、我ながらいい書き出しだと思った。何かと回りくどい表現を捏ねることが好きな僕が、こんなにシンプルに一つの作品を「好きだ」と明言したのはとても珍しいことだと思うし、僕がこのコンテンツに費やした愛情を説明するにはそれで十分だと思った。

Venus of TOKYOは終焉した。2022年3月27日 日曜日 18時のことだ。全877公演。作品のファンでない方がこの記事を読んでいるなら、「終演じゃないの?」と思うことだろうが、会場だったVenus Fortがなくなり、もう二度と再演は不可能と思われるという意味の『終焉』というフレーズなのだと思うし、何より公式が何度もこう言っているのでそれに倣いたいと思う。

非常に幸運なことに、僕はこの3月27日の最終公演、いわゆる大千穐楽のチケットを手に入れてお台場にいた。

凄かった。

人生で初めてスタンディングオベーションした。惜しみない賞賛の拍手を出演者に贈った。感動した。

終焉後に思ったことを正確にそのまま言葉にするなら、まず「今のこの感情をなんて言っていいか分からない」と思って、その数十分後に「そうか、これが感動するということなのか」と理解した。この時の胸の内の様子・感情の質は11月28日のマチネ(13時半公演)僕が初めてVenus of TOKYOに行った時の直後に似ていて、あの時も同じように言葉に詰まり、同行した先輩に「あんまりハマらなかったのかな?」と心配させたものだが、4か月越しに『あの時も感動していたんだな』と理解するに至った。


こんなに心を動かすコンテンツに、今後どれだけ出会えるかわからない。今のこの新鮮な感想の保存・後々の自分が読み返すためにこのnoteをしたためようと思う。

……そのため、このnoteにはかなり主観的な内容が多く含まれるし、Venus of TOKYOに参加したことがない人には、何のことやらわからない内容になる可能性がある。Venus of TOKYOに参加することなく終わってしまった人が作品の様子を知るには非常に不向きと思われる。ご理解いただきたい。そんな人向けの記事はきっと誰かが書いてくれるだろう。

でも前回よりは広い層が読める文章になった気がする。ネタバレが解禁されたことの影響は大きい。加えて、オタクが推し語りする文章はおまけ枠を設けて書くことにしたから、そういうのが苦手な人でも今回は大丈夫だ。たぶんね。まぁ読めばわかるし、肌に合わなかったら途中で撤退してほしい。趣味で書くようなものだから僕も肩に力は入れないことにしている。

それと、例によって以下の本文では『Venus of TOKYO』のことを『VoT』と省略させていただくが、それもご了承願いたい。

お気に入りの場所。目の前に贋作家が飛び降りてくる。

VoTが僕にもたらした体験

VoTは、実に数々の『初めて』を僕にもたらした。冒頭でも書いたように、人生で初めてスタンディングオベーションをすることになったし、そもそも人生で同じ舞台作品に何回も通ったのは初めてだった。それ以前に舞台というものに親しみがなく、自力で ───というのはプログラムの一環や友人にチケットをもらってではなく、という意味で─── チケットを取って観劇に行ったのはこれが初めてだった。こんな人間に作品が届いているのだから、常設というもののポテンシャルは計り知れない。ずっと在るからこそ、口コミが広がるのを待てるということだろう。

人生で初めて推しができた。身の回りに誰かを推している友人は沢山いるが、自分もそんな風になると思わなかった。大千穐楽の最後、拍手喝采を受けた推しはとても幸せそうで、それをとても嬉しいと思った。

イマーシブというジャンルに初めて触れた。手を伸ばせば触れられるところに演者がいるのは新鮮だった。何度も目の前すれすれをダンサーの手がかすめた。医師の白衣の裾が、護衛のレザーの手袋が通りすがりに触れていった。目をつぶっていても富豪がそこを通れば香水の香りで分かったし、演者の目に浮かぶ涙が、額に滲む汗が見えた。贋作家が僕の手をとって、目を合わせて微笑んだ。人肌の体温があった。その距離感を嬉しいとも怖いとも思った。

初めてではないにしろ、仕事が忙しくなりしばらくしまい込んでいたネイルを引っ張り出すことになった。もともとの性格にコロナ禍が重なって久しくインドアを決め込んでいた僕に、『お出かけの為の着替えとメイク』をさせた。もともとメイクは好きだったけれど、しばらく出勤用の時短メイクしかしていなかった僕に、アイシャドウの色を選ぶ楽しみを思い起こさせた。ドレスコードに合わせた、黒の服と鞄と、少し高級感のあるアクセサリーが増えた。

それと、中学生ぶりにバレンタインがドキドキするイベントだった。これは実際にイベントを体験した人にしか伝わらないと思う。あれは恐ろしいイベントだった。すごく楽しかったし、ちょっと闇も見た。

バレンタインだけじゃない。VoTには、クリスマスがあり、年末があり、年始があり、節分があり、ひな祭りがあり、ホワイトデーがあった。僕が出会うより前にハロウィンもあったらしい。季節のイベントをこんなに楽しみにしたのは久しぶりだったし、VoTは毎度それを裏切らなかった。バレンタインの為に赤いアイシャドウを買い、ホワイトデーの為に青いスカートを買った。

とまあ、列挙していけばキリがないが、VoTはとにかく僕をいろいろな意味で動かした。そして、その多くがこのコンテンツが実際に現実世界で開催され、お台場に足を運んで体験するものだったというところに紐づいているように思う。

バレンタインのイベント装飾。細かくて可愛い。


REALとonlineとイマーシブ

VoTは、実際にお台場に足を運んで体験する【REAL】と、毎日ソワレ(19時半公演)が生配信され、投票で誰を追うかを決める【online】の2軸で展開されていた。onlineのカメラマンは『監視者』と呼ばれ、それもまた物語の登場人物の一人だった。onlineの物語はこの監視者を中心に渦巻いていき、投票の結果によってはREALにも影響を及ぼした。

僕はこの監視者の話がとても好きだった。展開や演出が端から端まで好きだった。最高だと思った。スマホを握りしめて何度も自室で声をあげた。

onlineでお馴染みの黒い封筒。

それはそれとして、VoTはリアル公演であることに意義があると思った。それはこの作品がイマーシブという形を取っているからに他ならないのだが、それでもこんなに強烈に『目の前で何か起きることの強み』を思い知るとは思わなかった。なるほど、そらイマーシブって流行るわ、と思った。

Venus of TOKYOは日本初の常設イマーシブシアターであり、この公演の主催であるDAZZLEは日本のイマーシブシアターのパイオニアだ。DAZZLE主宰の長谷川達也さんのTwitterプロフィールにもはっきりそう書かれている。かっこいい。

ただイマーシブシアターという形式は途方もなく脆くてあやういと僕は思う。舞台と客席の区別がなく、会場全部が舞台で、会場全部が客席である。そして、観劇しているお客さん全員が出演者である。つまりは、イレギュラーが起こらない回はなく、その対応の全てが演者にゆだねられているということだ。触れられる距離に演者がいるということは、いつでもお客さんが階段で演者を突き飛ばしうるということだ。それが恣意的なものか事故かに関わらず。イマーシブシアターは、演者の演者としての対応力・スタッフとしてのホスピタリティ、そしてお客さんのモラルと、それをコントロールする構成によって、トランプタワーの数百倍も繊細なバランスでどうにか成り立っている。

それを、常設で、877公演やってのけたのだ。そこにかかった労力は計り知れない。

初めてVoTに参加した時、「これをやろうと言い出した人も馬鹿だし、それに賛同した人も馬鹿だし、参加してるスタッフもみんな気が狂ってる(もちろん誉め言葉だ)」と感じたのを思い出す。素人でも簡単に想像できる膨大なイレギュラーの量と、数秒単位で設計されたシーン構成の精密さは、あまりにアンバランスで、割に合わない。目の前数ミリの距離で物事が起こるその強烈なインパクト、体験を、ずっとお台場に置いておくために、一体どれだけの予測とコントロールと、それをさらに超えるイレギュラーがあったのかは、到底一観客の僕が想像できるようなものではない。そのコストを支払ってまで、『これが絶対に面白い』という信念と執念で常設イマーシブシアターを置いてくれたことを心から感謝したいし、その心意気が心底かっこいいと思う。

し、実際にその良さを存分に享受した。それがどんなに楽しかったかは、前項のイマーシブの段落を読めば一目瞭然だろう。

VoTの中は私語厳禁なのに、『キャストと会話した』体験の数は数えきれない。もちろん声を出すことは一度もなかった。やりとりは全てマイムだ。それでも、キャストが目を合わせて、こちらに話かけてきて、こちらがどうにか身振り手振りすれば、それをくみ取ってまた返してくれる、というのはイマーシブという形式でしか起こりえない。やりとりらしいやりとりが無くても、目と目が合うだけで、この空間に、この物語世界に、目の前のキャストと同じ世界線に、人間の形を伴って確かに『私』が存在するというのは、他には得難い喜びがあった。

onlineは逆に物語を俯瞰して見るのに役立った。なんせ24時間アーカイブを視聴できるので、何度も停止と巻き戻しをしてシーンを見た。REALに何回か行くとなんとなくの立ち位置が出来てしまうのだが、監視者が新しい画角を開拓してくれては「この時この人はこんな顔をしていたのか」「次はここから見たい」と思った。平日は基本的にREALには行けなかったので、その心の隙間を埋めてくれたのはonlineだったし、遠方に住んでいるDAZZLEファンのフォロワーさんがどれだけ配信に救われたかを想像するのは難くない。

でも、結局onlineを見て思うのは「早く次のREALに行きたい!」ということだった。REALの世界には確かに会員制秘密クラブVOIDが存在し、チケットを握りしめれば何度でも温かく僕を迎え入れてくれた。フィクションの世界なのに、その人物が目の前にいて、こちらに話しかけ、衣服や肌が触れるというのは、さながら極彩色の、あまりにハッキリとした夢を見ているようだった。

極彩色といえば。


『没入』というフレーズ

VoTではしばしば『没入』というフレーズが使われた。特にREAL公演に参加することそのものを没入、とファン達は呼称する。今日で〇没入目だとか、真っ黒な服を没入服と呼んだりだとか、しまいには演者が「ご没入ありがとうございました!」と言う始末だ。なんだご没入って。

言ってしまえば、僕はこの没入没入言う感じが最初あまり好きではなかった。し、多分最後までこの没入というフレーズを意図して避けてきた気がする。別にこれを言う人たちを非難する意図はない。

『没入感』というのもまた、最近流行りの概念だと思う。

没入感(ぼつにゅう-かん)
他のことが気にならなくなるほど、ある対象や状況に意識を集中している感じ。特に、音楽・映画・ゲームのほか、バーチャルリアリティー(VR)などで体験する感覚についていう。 (コトバンクより)

英語では没入のことを【immersion】というらしい。なるほど。それが活用されてimmersiveになるのか。勉強になります。

と、言葉の上で理解したはいいものの、じゃあ実際どういう風なら没入した、没入感があったと言えるのか、僕の中ではあまり理解が進んでいない分野だった。何かの感想でも「没入感があってよかった!」と言われるものの幅はあまりに広すぎて、よくわからない。よくわからないフレーズをよくわからないままに使うことに僕は抵抗があった。

しかし、終わってから振り返ってみると、VoTでのあの体験は没入だったのではないかと思うのだ。前項最後に書いた、『極彩色の、あまりにハッキリとした夢をみているようだった』というのは、それに近しいのかもしれない。

現実とフィクションは別物だ。VoTにあるのは、フィクションの世界。しかし、あの空間では現実とフィクションの境目が非常に曖昧になる。生身の人間が全身全霊でフィクションをやっていて、それに観客は巻き込まれる。先にフィクションの世界にいる演者が、観客の腕をつかんであちら側に連れて行くのだ。こうやって書くとばっちりホラーみたいだが、実際にそれがあの場所では起きていた。そしてその連れていかれた状態を『没入』と呼ぶのなら、確かに僕はあの場所で没入していたのだと思う。

ちょっとあまり書きたくない(読む人も読みたくない)ことを書くが、僕は自分のことが結構嫌いだ。別にそんなに長いこと人生をやっているわけじゃなくて、年齢的にはU-25のチケットが買える程度の小娘だけど、それでも今まで積み重ねてきた自分の過去や、社会生活の中で避けようもなく貼られていくレッテルや記号にかなり疲れてしまっている。

だから、ずっと『自分以外の何者か』になれる場所を探していた。その答えはこれまでにTRPGだったりマーダーミステリーだったりしたわけだが、VoTは少なからずその場所の新しい選択肢だった。秘密クラブVOIDでは、普段の自分を脱ぎ捨てて、クラブに招待された一般客:あの世界のモブとして存在することが許された。というか、むしろ推奨された。求められていた。それが心地よくて、足しげく通うことになった。たとえ数十回見たシーンだとしても、富豪が鞭をふるうシーンでは毎度新鮮に顔をしかめたものだ。

少しズレるが、僕の推しキャストの一人に医師役の飯塚浩一郎さんという人がいる。この人のパフォーマンスは凄くて、ずっと食い入るように見ているとだんだん自分が透明になっていくような気がするのだ。このイマーシブシアターというかなりインタラクティブな空間において、この飯塚医師というキャストはほとんど観客を意に介さない。話しかけられることなんてめったにないし、目が合うこともほとんどない。しかし、ソファーで僕が座っている真横に突然座りに来て踊ったりもするのだ。医師というキャラクターの狂気性とも相まって、その場に自分がいるけどいないような、そんな感覚がしてくる。『透明になっていく』と僕が言うのはこのことで、これもある種の没入だったのだろうと思う。

診察室。電話を使ったナンバーが好きだった。

こう書いていくと、僕がVoTで得ていたあの感覚は没入というよりは解脱(?)に近い気がしてくるのだが(本当に?)、それを一種の没入であると定義するなら、確かに僕は没入していた……ような気が、今はしている。良い没入だった。し、没入とは何ぞやという僕の数年来の疑問に一種の解をもたらしてくれたのは、ありがたいとさえ思う。ありがとうVoT。でもこの話はもう少し研究したいので是非次のイマーシブシアターをよろしくお願いします。


登場人物と演者と解釈

キャラクターに対する解釈はキャストさんによっておそらく異なる。なんせ毎日3公演上演しているのだから、1人の登場人物に対して3〜5人のキャストがいる。それだけ物語があり、組み合わせによってそのパターンは膨大な量へと発散していく。

その回だけの物語がある、ということになる。
困った。楽しいんですけどね。

立派に引用するが、何を隠そうこの文章は冒頭でも触れた『昨年大晦日に気が狂ったように書いた自分の記事』の抜き出しだ。この時はまだREALに5回しか(それでも相当な数だ)参加していない頃だが、30回参加した今でも同じことを言える。というか、今の方がそれをより感じていると言えるだろう。

VoTにはこの写真に入っているのでもまだ足りないぐらいの演者がいる。アンサンブルキャスト(VoT内ではVOIDスタッフや看護師と呼ばれた人たち)を含め、キャストは総勢63人。1公演開催するのに必要なキャストは17人。ソワレは監視者を入れて18人。それがシフトを組んで、入れ代わり立ち代わりしてVoTの世界を維持していた。

最初は見分けられなかったキャストもだんだん見分けられるようになり、その微妙な差異を楽しんだ。これはたとえ話だが、同じように肩をポンポンと叩かれたとしても、それにどう振り返って見せるかはキャストによって、さらにはその組み合わせによって異なる。どこまでが打ち合わせで、どこまでがアドリブで、どこまでが偶然かはわからない。VOIDの住人たちはみな個性的で、同じ役を与え同じシナリオの上を歩かせても、出てくる物語はその一度きりにしかないものだった。

この話をする上で欠かせないのが、VoTがダンスの舞台であるということだ。

これだけ人数がいれば、得意なダンスジャンルは人によって異なる。特にメインキャストと呼ばれる人たちはソロパートを持っていることが多く、そのソロパートはおそらく「この時のキャラクターはこういう感情で、こういうのを表現して、次のこういうシーンにつなげてほしい」というざっくりした方針が決まっていて、どんな振りでどんな動きをするのかは演者に任されている……のだと思う。多分ね。時にはインプロ(即興)で全く音楽が無い中を踊ることもある。

そして、そこにダンサーの色が出るのだ。僕はダンスに関しては素人だが、VoTとそのキャストさんを通じて色々なジャンルがあるらしいということを知った。分からないは分からないなりに、違いを感じ取った。その違いはジャンルの違いに起因するものだが、やがて「〇〇さんの演じる〇〇役はこんな感じがする」という印象・特色の違いへと発展していく。場合によっては観客が受け取る演者の役解釈にも影響を及ぼしたかもしれない。

少し誇張した比喩表現をするなら、皆一様に画家だが、得意な画材が違うのだ。同じ赤い林檎の絵を描かせても、水彩画と油絵とアクリル絵の具では出来上がりの印象は全然違う。

そこに更に個々で異なる役解釈を重ねるものだから、見れば見るほどVoTの登場人物は演者によって全く別人と言っていいほどだった。それが面白かった。

キャストの皆さんはほぼシフト制で動いていて(もちろんイレギュラーが起きることもある)、〇曜日の〇〇(役)なんて言い方がされたものだが、僕がよく行っていたのは日曜日だったから、初めて土曜日のVoTに足を踏み入れた時には「知らないところに来たな」と思った。土曜日の贋作家は日曜日の贋作家よりも随分と愛想と育ちが悪かったし、日曜日の写真家は純粋で利発そうな少年だったのに、土曜日の写真家はウインクの上手いチャラい年上のイケメンだった。

土曜日の写真家はバーカウンターがよく似合うと思った。

それでも、全く別人に見えても、贋作家は少女の為にバーカウンターでカクテルを頼むし、写真家は盗賊に裏切られて牢屋に捕まってしまう。お話の大筋は変わらない。

だから、見れば見るほどお話の内容への理解は深まっていき(それでも全貌を理解するまでには果てしない道のりがある)(全部理解した気は全くしていない)、それでいて裏切りに事欠かない。演技ややり取りの差異が僕たち観客を飽きさせないし、驚かせ、次は何が出るかとワクワクさせる。同じ役でも他の演者で見てみたい、他の組み合わせで見て見たいと思わせる。

そして、さらに追い打ちをかけるように、この物語の結末はマルチエンディングだ。VoTがあと1年続いたとしても、全キャスト組み合わせで全エンディングをコンプリートするのは不可能だろう。

それはもう沼だった。底なし沼だ。秘密クラブVOIDに足しげく通った『上級顧客』と呼ばれるような人たちは、自分の推しでこのエンディングが一目見たいと相当奮闘したようだし、それは叶ったり叶わなかったり、交錯するREALとonllineの兼ね合いで裏切られたりした。シナリオライターの掌の上で踊らされている感じも、また好きだった。面白かった。自分の力の及ばない所で何かが起きて、運命に翻弄されるという現象が好きでよかったと思った。結果として、VoTというエンタメコンテンツは僕と非常に相性が良かったのだと思う。ラッキーだった。


なんて全体的な話に留まらず、ことVoTに関して僕はあらゆるラッキーを発揮してきたような気がするし、エピソードに事欠かない。これは本当に僕がラッキーだったのかもしれないし、もしかしたら秘密クラブVOIDの中ではありふれたことだったのかもしれないけれど、どのみちそれを『幸運』だと思わせたのはきっとあの場所が持っている魔法なのだと、全てが終わった今になって思うのだ。

オークションで落札した『真実を見透すヴィーナスの眼』。赤くて可愛いデザイン。


おわりに

Venus of TOKYOは終焉した。
それはすごく寂しいことだし、勿体ないと思う。

しかし、大千穐楽に現地で立ち会った僕が感じたのは、「877回の物語は今ここで帰結したんだ」ということだった。不思議と浮かんだのは回帰とか帰結とか収束とか、そんな言葉だった。Venus of TOKYOの最後はVenusFortの閉館に伴うブツ切りではなくて、美しい結びの形をしていた。

腕が痛くなるような拍手のほかに、彼らにどうすれば感謝と感動が伝わるのかはわからない。こうやって文章を書くことは僕の自己満足に過ぎなくて、どんなに筆を尽くしても彼らの成しえた功績を称えきることはできないと思う。しかし、それでもどうにかこの気持ちを書き起こしたい僕は、こう言いたい。

会員制秘密クラブVOIDは、確かにあそこに実在した。僕がその証人だ。

これが、フィクションの世界を演じきった、そしてそれを877公演にわたり維持し続けたVoTカンパニーに贈る、僕の最大限の賛辞だ。こんなの10000VOIDにもならないけど、確かにあの空間で息をしたことは僕にとって一生忘れられないリアルな体験だったし、贋作家も、医師も、富豪も鑑定士もみんな生きていた。そう思えることは、他の何にも代えがたい。

ありがとうVenus of TOKYO。お疲れ様です。おやすみなさい。


ここまで長々とお読みくださった皆さんもありがとうございました。

無人のメインホールとヴィーナス像。


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おまけ

※注意※
ここから先は僕が僕の好きな演者・動画の話をするだけです。

推しの話

VoTを通じて推しが3人出来たので紹介します。紹介します?うーん いいのかなこの言い方で
謹んで紹介させていただきますので、是非皆さんも彼らのかっこよさに触れてください。VoT公式TikTokのリンクも載せるから見てね。

◆長谷川達也さん(贋作家・DAZZLE主宰)
公式TikTok
総合演出でありすべての元凶と言われた人。30回行って、1番最初に目を奪われたのも、1番最後に目を奪われたのもこの贋作家でした。とにかく圧巻のダンス。それが目の前で繰り広げられるのには何回行っても慣れませんでした。震えるほどかっこいい。誘導で一人一人とアイコンタクトをとってくれるのが好きでした。それはまさにあの空間に僕が人の形で存在する証左だった。
監視者も達也さん推しでした。

◆飯塚浩一郎さん(医師・DAZZLE)
公式TikTok
本文中でも触れた、狂気の医師。医師キャスト4人の中で最も狂気を体現した人だったように思いました。そこが好きだった。どろりとしていて、それでも一瞬見せる正気の中に言いようのない寂しさと愛情を感じました。解釈が捗った。

◆黒川航哉さん(護衛)
公式TikTok①
公式TikTok②
KRUMPというパワフルなスタイルのダンスを主とするダンサー。小柄ながらも全身を躍動させて踊る様子はその燃え盛る命のエネルギーを強く印象付けました。感情と行動が直結していて、すぐ身体が動くところも護衛らしくて好き。

TikTok紹介のコーナー

これはもう好きな動画シリーズ!お気に入りの動画載せるだけ。みんなかっこいいから見てください。

今井光希さん(写真家)
上述日曜日の写真家。キレキレでかっこいい!新成人です。フレッシュ。

佐々木悠乃さん(VOIDスタッフ)
クールでかっこいいスタッフ。この人の雑誌ダンスが好きだった。目元がキリッとしててちょっと外国っぽいところが好きです(語彙力)。

廣藤梨奈さん(VOIDスタッフ)
この人の看護師が本当にキュートですきだった!どんな医療ミスも許せる。きゅるんってしてくれる。TikTokは大人な雰囲気でおしゃれです。

中込萌さん(盗賊)
日曜日の盗賊。とにかくセクシー。媚びない大人の女の色っぽさが好きでした。それが全面に出たいい動画です。

澤村佳子さん・加瀬有希さん(VOIDスタッフ)
これはTikTokの構成が好きでピックアップ!ミラーダンスおしゃれ。スタッフの見分けがつかなかった頃を思い出します。

締まらないのでお気に入りの写真を載せてお茶を濁します。これで終わり。ありがとうございました。

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