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フィジカルでないアレルギーについて


ふと、noteを始めてみようかと思い立った。「今更感が否めないな」というアレルギーが出て、ひとマス戻る。
ひとまず会員登録。はじめてみましょうの催促からの、使い方の検索。「クリエイター」の文字が出てきてわりと痒めのアレルギー。わたしはそんな高尚な存在にはなれない、たりなさすぎる自己肯定感にアレルギー……きっと読者もすくないだろうなという卑屈感のアレルギー。

アイドルになりたい人ってどのくらいいるのだろう。 どこかに統計がでていたら読んでみたい。できれば年代別で見てみてたい。自由回答もあってほしい。性別は男性だと極端でつまらない数字になりそう。考察したい。考察というよりは空想の材料。アイドルが苦労の多い職業だろうことを想像できるのは、けっして大人になってからではないだろう。それでもなりたいと思い続けられる人は、振り切ったピュアさの持ち主か、あるいは振り切れて壊れてしまっている人ではないか。きっと煌めいた顔の裏側には日の届かないほどの影が落ちているはず……とか。
純粋にアイドルに憧れてるってだけで、浮世離れしすぎて空気がめなかったりしないだろうか。リスクヘッジが甘そうではある。物事の表面しか見られないんじゃないか……なんて、ほら、こんないやらしい目で見られてしまうのに。どうしてもwわたしは底意地の黒い見たかたをしてしまう。きっと、キラキラしたものに対するアレルギー。逆カラスのアレルギー疾患。だから疑問に思う、アイドルになりたいって、どんなアルティメットなメンタルの持ち主なのか。
そして、そんなメンタルの鬼が世の中にどのくらい数がいるのか。ブラックサイドのわたしはどのくらい少数派なのか。知りたい。
じっさい、回答者はもっとフランクに回答するだろうか。だとしたら統計もあてにできない。アンケートが実数を割り出しているのか? 疑心暗鬼に歯止めはない。

クリエイターと呼ばれたい人ってどのくらいいるのだろうか。商業柄、一応わたしはクリエイターの部類らしい。求人のカテゴリを選ぶとき、「クリエイティブ」の項目を選ぶのがなんだか痒い。ひと掬いも創造的な仕事なんてしたことがない。わたしの前に幾重にも積み重なった先人の智慧があって、わたしは軽薄にもその上澄みをかすめとっているに過ぎない。偉そうながらも自分の生み出したモノたちが、自分から生まれたものではないということがわかっている。自覚はある。自覚はできている、そのレベルには成れている、とは思う(そのぶんまだマシだろうかというという虚栄心が混じる)。
だから、クリエイティブと言われるとどこか奥のほうが痒い。手の届かない場所。ヨコ文字にする必要性がまるでない。さわりの良さげな言葉はだいたい怪しい。「制作」、とかで充分いい。


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