アセクシャルであるということについて

※この記事はすべて自分語りです。あくまで「自分はこうだ」という一例であって、「アセクシャルはみんなこう」とか「こういう人がアセクシャル」ということではありません、念のため。


唐突ですが、自分は「アセクシャルである」ということで差別されたことも迫害されたこともありません。だからカミングアウトに一切抵抗がありません。これはきっと、環境にとても恵まれていたのだと思います。むしろ自分がアセクシャルだと気づく前の方がいろいろと迷走していました。

と、本題に入る前に、アセクシャルについて簡単に説明します。本当に簡単に一言で表すと、「誰に対しても恋愛感情を抱かない」ということです。……と、これで十分伝わると思っていたのですが、どうやらそうでもないみたいで。もう少し補足すると、どこかでみた「他人に対して性欲を向けない(向かない)」という説明はどうでしょう。厳密には性欲と恋愛感情は別なので少し違いますが。(恋愛感情はあるが性欲は向けない「ロマンティック・アセクシャル(日本だとノンセクシャルと呼ばれる)」と、恋愛感情すら向けない「アロマンティック・アセクシャル(日本だとただ単にアセクシャルと呼ばれる)」と、他にも細かな違いによっていろんな呼び方があります)

個人的には、こう言えばわかってもらいやすいのかな、と思っています。「猫は好きだけど、別に猫と付き合いたくないし、猫とえっちしたくない」猫が嫌いなら(あるいは獣姦欲求があるなら)他のものでもいいです。お菓子とか、車とか、綺麗な景色とか。もしくは、あなたが異性愛者なら「人類全員同性」、あなたが同性愛者なら「人類全員異性」って感じでしょうか。恋愛の対象になる人とならない人がいるって感覚がよくわからないので、もしかしたらちょっと違うかもしれませんが。

どう説明していいか分からないので、気になる方は聞いてください。理解しようとして聞いてくれる分には傷ついたりもしませんので。むしろありがたいです。まあ理解されてなくてもいちいち傷つきませんが。「モテないから言ってるだけでしょw」「まだ運命の人に会ってないだけだって」「まだ感覚が子供なんじゃない?」実際に言われたことはないけど、きっとそう思われてるんだろうな、とは思っているので。

閑話休題。自分がアセクシャルだと気づいたのは、たぶん17歳くらいの頃でした。はっきりとは覚えていませんが、少なくとも16歳よりは後です。

小さい頃は(おそらく多くの人がそうであるように)そのうち自分も誰かと付き合って、結婚して、家庭を持って、みたいなことになるんだろうなぁ、と思っていました。なんとなく、ぼんやりとですが。

けれど一向に好きな人もできないし、でも中学生にもなると周りは告白しただの付き合っただのが「普通」の話で、だから無理やり(って言うと失礼だけど)好きな人を作ってみたりもしましたが、しっくりこなくて。(今思うと、あのときの「好き」の感情は「推し」に近かったですね。付き合いたいとかはまったくない、推しクラスメイト)

高校では実際に付き合ってみたりもしましたが、どうしても友達の延長にしか思えず、いたずらに傷つけただけになってしまいました。

それから少しして「アセクシャル」という言葉を知り、ようやく自分を見つけたような気がしました。誰かを好きにならなくていいんだ、恋愛をしないことを選んでもいいんだと、救われた気になりました。(もっとも、そこまで思い詰めていたわけでもありませんが……本当に恵まれている)

むしろ自分の場合は、恋愛感情があると思われることの方が苦痛で、だから実は今まで他人に対して「好き」とか「可愛い」とかまったく言えなかったんですよね。友人としての好意を恋愛感情≒性欲だと思われたくないので(おそらく自分は性嫌悪みたいなものも混じってます)

最近やっと言えるようになったのは、自分に恋愛感情がない、「好き」だとか「可愛い」だとか「かっこいい」だとかそういった言葉に恋愛感情が含まれていないとわかってくれる人たちに囲まれて(Twitterで)過ごしているからです。本当に本当に人と環境に恵まれている。みんな大好きだよ💕←2年前までこんなことすら気軽に言えなかったんですよ。めんどくさいね。

要は、みんないつもありがとう。って、そんな話。

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