巴マミは豆腐メンタルなのか(結論→まったく違います)
当然ですが、本編のネタバレを含みます。というかネタバレしかありません。叛逆のネタバレはありません。
なぜ「豆腐メンタル」と言われているのか。まず間違いなく10話の「みんな死ぬしかないじゃない」を「現実を受け入れられなくて錯乱し、仲間を殺した」のだと勘違いしているからだと思います。
本当に、そう見えますか?
・「みんな死ぬしか」の流れについて
一番わかりやすいところですね。ほむらを拘束し、杏子を銃で撃ち抜き、まどかに反撃され、殺されました。
このシーンに至るまでの流れを整理すると、「さやかの魔女化」「人魚の魔女(さやか)の討伐」「魔女は魔法少女の成れの果てであり、魔法少女は必ず魔女になると知らされる」といったところです。
さらに前提として、「この世界では5人が協力して戦っていた(お互いの手の内を知っている)」という事情もあります。
その上でこのシーンを、具体的にはマミが仲間を殺す手順を見ると、「一番厄介なほむらの時間停止をリボンにより封じ、手練れの杏子を不意打ちの一撃で仕留める」という恐ろしく冷静な、そして悲しいほどに合理的な手段を取っています。唯一の誤算は、「心優しい鹿目まどかが、咄嗟に自分のことを殺す」ということを予測できなかったこと。まどかが反撃していなければ、あの時点でほむらも殺されて物語が終わっていました。
錯乱どころか、卓越し(てしまっ)た戦闘センスを存分に発揮しています。
・「みんな死ぬしか」の動機について
そもそも、なぜ皆殺しにしようとしたのか。現実を受け入れられなかったのでも、パニックになったのでもありません。
マミは家族で事故に遭った際に振り絞った「わたしを助けて」という願いで魔法少女になりました。そして「わたしたち」ではなく「わたし」のことしか願わなかったことを後悔し、人を救うことを拠り所にしています。死の淵にあって他人のことを願う余裕なんてなくて当然なのに、彼女はそれを許しませんでした。
人を救うために魔法少女として活動する。そして他の魔法少女とも協力して人を助けたい。そして見込みある後輩にも人助けを手伝ってもらいたい。そこには、一人で戦い続けることへの寂しさもあったかもしれません。中学生で親もなく、戦い続けるため友達と遊ぶこともままならない、となれば当然の感情でしょう。
けれどそれが最悪の形で裏目に出た。
自分が人を助けるために殺していたものは、自分と同じく誰かを助けるために尽くしていたかもしれない少女たちで。
それを殺すために巻き込んだ後輩もまた、人々に災厄を振り撒く魔女になる運命。
いくら人を助けようと、いずれ自分が、自分の巻き込んだ人たちが、人を傷つける存在となる。
決意も、信じていたものも、今までやってきたことも、自分を信じてくれた人も、すべてを失って、残ったのは"魔女の卵"である自分たちの存在だけ。それを彼女は許せませんでした。
みんな死ぬしかないじゃない、あなたも、私も。
あれが「精神が崩壊した人の顔」に見えますか? 私には、悲壮な決断に至ってしまった人の顔に見えます。目の前に突きつけられた絶望を終わらせる絶望的な選択をする覚悟ができてしまった人の顔です。思考を停止して逃げることを許せなかった、人一倍責任感が強く自罰的で本当は臆病なのに強くあろうと願った人の顔です。
メンタルが強すぎて狂えなかったが故の悲劇。
おまけ
お菓子の魔女に負けるのは慢心というより相性悪すぎて実質負けイベってだけです、強すぎてごく稀に勝っちゃうけど。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?