スキャン_7-2

【短編小説】とある美術部員の日常

だーちゃん。

あたしのあだ名。
本名は、高良さおり。

小さい時からカツゼツが悪いので、ある年の自己紹介で苗字の「たから」が「だから」になってしまった。それで、だーちゃん。
でもなんとなくかわいいから許す。

あたしが何かしゃべると、クスクス笑われることもある。ほんとは時々イヤだけど、今のあたしはそれどころではないのだ。

◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆

「おつかれ〜」

引き戸を開けながら、ゆっくりハッキリ発音した。
美術室にはいつものメンバーがいつものように集まっていた。
なにやら楽しそうに話し込んでいる子達から離れて、自分の世界に入り込んでる子達が何人かいる。
あたしもご多分にもれず、あたしの世界にダイブしに、美術室に足を運んでいる。

恵比寿一高に進もうと決めたのは、なんか楽しそうだったから。中学校までは眠たくなることばかりだったけど、ここに行けば何か変わりそうだった。でもまあ、相変わらず授業やHRの時間は眠たくなってしまう。

本当は芸術コースに行きたかったんだけど、中学の進路指導の先生は進路が狭くなると言うし、パパとママはお金のことを気にしてたから、普通コースを受験した。
大好きな絵を描くこと。そんなの別に何コースでもできるさ、という声が頭の中から聞こえてきて、なるほど、と思った。

この美術部には、芸術コースの生徒がほとんどいない。なんでも、芸術コースは美術の授業の課題が多くて、別校舎で居残りして制作することが多いらしい。芸術美術部という名前の部活になってるけど、みんなは居残り美術部とか呼んでるみたい。
自分のペースで描きたいあたしには、こっちの美術部がちょうどいいみたいだ。

◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆

いつものエプロンに袖を通していると、同じクラスの荏田嶋 美由紀ちゃんこと、えだっちが声をかけてきた。

「だーちゃんお疲れ!」

「えだっち〜おつ〜」

「申し訳ないけど一瞬見て欲しいんだ。これとこれどっちがいいと思う?」

えだっちがスマホの画面を指差す。まるっこい文字と、少しカクカクした文字が2つ並んでいた。

「あーしはこっちかな〜」

「やっぱそうね〜丸い方がいいね〜、サンキュッ」

「ほ〜い」

えだっちは今日も調子いいみたいだ。
なんだか、ウェブデザインってのをここで勉強してるみたい。最初はPC部にいたんだけど、合わなかったからこっちに来たと言っていた。
一人でいろいろ悩みながらパソコン動かしてて、たまに作ったものを誰かに見せて意見を聞く、そんなえだっちはすごいなぁといつも思っている。

さてと、あたしも頑張って、このどでかいキャンバスに向かうとしましょう。
先生が言うには、来週には完成させないと展示に間に合わないらしいからね。

◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆

ブラスバンドの音が止んで、カラスの鳴き声がする。今日はけっこう描き進めることができた。
一息つこうと思って振り返ると、ふーちゃんが漫画を読んでいた。

「わ、だーちゃん、ハナ、ハナ」

同じクラスの冬里 福美ちゃん、通称ふーちゃんが言う。
ハナハナって何だろうと思っていると、ふーちゃんは漫画本を閉じて、ティッシュを何枚も持ってきてくれた。

「手もこんなについてる。ほら、顔」

ふーちゃんがそっとあたしの鼻の頭を拭ってくれた。また絵の具ついた手で鼻さわっちゃった、と苦笑いすると、追加のティッシュを差し出しながらふーちゃんも笑った。

「鼻セレブらね」

「そうそう」

ふーちゃんは、ちょっと怖そうに見えるけど、とっても優しい子だ。部活では、いつも一人で真剣な顔で漫画を読んでいる。

「これ新刊なんだ、読む?」

「うん、あいがと〜」

あたしが好きな少女漫画。1年生の時、絵がすごくキレイだよね、と意気投合してから、ふーちゃんとは仲良くなった。
そのころ、「あたしもこんな漫画が描けたらいいのに…まあ全然描いたことないんだけどね」とふーちゃんが言ったから、あたしは「いつか描けるよ」って答えた。
ふーちゃんはちょっとびっくりしてたみたいだけど、やさしく微笑み返してくれた。

あせっちゃダメ。

ママがいつも言ってた。そうだよ、とパパも言ってた。

◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆

やわらかいティッシュで手を拭っていると、えだっちが何か思い出したように言った。

「やっば、今日水曜日か!」

「どーした、そんな大声で」

ふーちゃんが返す。気づいたら、美術室はあたしたち3人しか残っていなかった。

「今日ドラマ8時からじゃん、拡大版だからって繰り上げなくてもいいのに」

「まあ落ちついて、家に連絡して録画予約頼みなよ、あたしもそうしてるし」

えだっちはハイテンションで、ふーちゃんはクールだ。そんな二人が同じドラマを見てるのが面白いなぁとあたしは思った。

「録画でもいいんだけど、リアルタイムで実況したくて、ほらつぶやきでね?」

えだっちは、いつも最先端を行きたがる。最先端ガールだ。

「わかった、そろそろ帰ろっか。だーちゃんは?」

ふーちゃんが優しい口調で言う。あたしは頭の中で、下校と絵の締め切りを天秤にかける。

「うん、今日はもうかえろ〜」

絵は思ってたより進んだし、なにより暗くなるまで描いてもあまりうまくいかないのはわかっている。そういえばお腹も空いてきたし、あせっちゃダメなのだ。

◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆

絵筆と手を洗い、美術室の戸締りをして、帰る準備をする。
えだっちは、パソコンの電源がなかなか落ちないのでソワソワしている。
ふーちゃんがアーモンドチョコを一粒くれた。ふーちゃんは何でもお見通しだ。お礼を言って、口の中に放り込む。

「チョコ食べると、バナナも食べたくなるよね〜」

「だーちゃんどんだけバナナ好きなん!」

「だーちゃん細いんだから、もっといっぱい食べな。」

あたしより細いふーちゃんに言われてもなぁ、と言いかけてやめた。

外はもう薄暗くて、美術室の電気を消すと、あたしの絵は暗がりに溶けた。

(また明日ね)

心の中で別れを告げた。

「だーちゃん早く〜!」

「ほ〜い!」

あたしは少しだけ足早に、下駄箱へと歩き出した。

◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆

物語のその後にぴったりなイラストを描いていただきました。感謝感激です!

◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆

登場人物紹介

◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆

短編小説、2作目でした。前作はこちら

日常風景を描くのが好きです。
各キャラの個性を文体や口調で表現するのに気を配りました。
ちなみに、ヘッダーに使った絵はだーちゃんが描いてる絵とは別のやつです。
作中では多分ファンタジックな風景画を描いてるんだと思います。

◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆

企画用マガジン


次の作品への励みになります。