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人類共通の課題「平和」について 未来に残したい風景

さて、人類の歴史を語るには、争いという語句を入れないわけにはいかない。最近ではSDGS(詳しくはこの語句で検索してほしい)しかし、一番、地球環境に害するのが、戦争であることには誰も異論はないだろう。

話を変えてみよう。

人類には、人類共通の普遍的な価値観(善悪の道徳)と、小さな集団の中の相互依存的なルールの2つの集団規範を場面に応じて使い分けている(と思う)。

人間は、小さな集団の中で危機的状況に陥ると、おそらく生存欲求から、生き残るために善悪の道徳を逸脱することがあるのではないだろうか。そして集団の中で危機的な状況から脱したあと、生きていくは何らかの集団に再び帰属することが必要だ。これは紛れもない事実である。

ときには人間同士で、命をかけた争い(様々なものを賭けて)がある。しかし、歴史という大きな視点で見れば、人類は共に、人類の中の種族を超えて、協力することで生き残ってきた部族である。このことから、不要な争いは避けることが、集団の、しいては人類という部族の利益に資すると考えることができる。人類は対話に長けた部族で、言語も多様だ。感情や行動、意思、交渉。そして最終的にはお互いを認め称え合い、相互に刺激しながら繁栄してきた長い長い歴史がある。

集団内でしばしば起こることだが、集団から何らかの形で排除されることがある。これはしばしば生死に関わる。ときには自ら集団を離れ、孤立野道を選ぶこともある。この孤独な作業の中で、自ら省みたり、他者から慈悲の恩恵を受けたり、セルフコンパッションを施して回復する。

回復したあとで、(人間は何らかの集団に所属しないと生きていけないので)集団所属員として生きていくために重要なのが、所属する集団への貢献だと考えられる。そして、それは広義に言えば、徳を積むということである。集団の利益に寄与し、それを自分ごととして楽しむことが、重要だろう。集団に寄与するということは、集団の仲間である個人に気遣いしたり、感謝したり、共に苦楽をともにし、感情を動かし合うことが大事である。

人間は個人も、そして集団も間違うことがある。言いたいことは、小さな集団の中で、絶望しないでほしいということだ。世界は広いので、もっと自分にあう集団を見つけ、貢献することができる。人類は地球という大地
に生かされている生物の一部である。一種族の中で、自己もしくは特定の集団だけの利益を追求することに、将来性はないのだ。なぜなら、人類は協力して繁栄してきた部族なのだから。

これは私感なので悪しからず。



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