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朝比奈母は毒親なのか

みなさん、プロセカ楽しんでますか!!!!!!私も日々ガチャに勝つべく戦いを挑むなどしております。

そんなプロセカでも毎度色々な意味で話題になるのが、「25時、ナイトコードで。」のメンバーである朝比奈まふゆの母親です。新規イベストが公開されるたびにTwitterがプレイヤー(豆腐)たちの阿鼻叫喚で埋め尽くされる様子を私も毎度眺めているのですが、そんな朝比奈母に関して色々と思うところがあるので今回整理も兼ねて筆を執った次第です。
朝比奈家の諸々に関しては現実に同じような問題で苦しんでいる方もいることと思いますし、ご自身の経験上全てが無理…という方もちらほら目にします。そのため、この記事に関してはあくまで私個人の見解に過ぎないよ!ということは一言申し添えておきます。また、私自身も普通にサイスト等全部把握はできておらず見落としてる可能性も全然ありますので、おかしな点等ありましたらこっそり教えて下さいませ。

さて、いきなり「貴様あの母親を擁護する気か」と思われた方もいるかもしれませんが、大前提として朝比奈母は決して良い親とは言えません。少なくともまふゆにとってはそう。
我々豆腐が確認できるだけでも、

「あなたのため」という大義名分のもと、娘の行動一つ一つに口を出す
・まだ会ってもいない娘の友達に対して色眼鏡で悪く言う
・娘の本心に気づかずシンセサイザーを捨てようとする
・娘のパソコンを勝手に見る

等の最悪しぐさがみられますね。とりわけ娘の友達の悪口を言ったり家族とはいえ他人のパソコンを勝手に覗いたりってのは親である以前に人として大いに問題があるポイントだからな……
医学部受験をはじめとした娘に対する言動も、結果としてまふゆが自身の意思を見失うほど追い詰められ苦しんでいる以上、「娘のためを思って」という理由があれ毒親と言われるに十分ではないかと思います。

まあ、ここで「朝比奈母は毒親!以上!」と話が一旦終わってしまったわけなのですが、一つ引っかかっていることがあります。
そもそも朝比奈母がかなり露悪的というか同情し難いように描写されているので仕方ない話だとは思うのですが、イベストを読んだ人から「朝比奈母は最悪な人間だ、どうしようもない親だ」と絶対悪のような感想を持たれることが結構あるように感じます。
これが私はどうも引っかかる。別に私自身も朝比奈母に対して一切好感は持てないけど、絶対悪のような存在として扱われることについてはちょっと疑問が残るわけです。
これはなぜか。ここからはこの点にポイントを置いて話をしてみようかと思います。


結果論として朝比奈母はまふゆにとっての毒親になってしまっていますが、絶対的な毒親かと言われると私はそうではないと思う。
朝比奈家の問題は、むしろ「母親の育て方・気性とまふゆの相性が悪すぎた故に起こった悲劇」ではないかと私は思っています。

朝比奈母がまふゆの行動に何か口を出すとき、「○○しなさい」と強制するような言い方をすることは基本的にありません。「お母さんはこうした方がいいと思うわ、最終的にはまふゆの人生だしまふゆが決める話だけどね」と、あくまで決定権はまふゆにある、というスタイルを取ることがほとんどです。


朝比奈母が娘に口を出すときよく添えられる言葉に、「お母さんはあなたの将来が心配なの」というものが挙げられます。
これは私の想像も一部含まれますが、朝比奈母はまふゆが自分の想定する「堅実で安定した未来に進めるコース」から外れることを恐れているような気がしています。
まふゆが一人っ子ということもあるでしょうし、まふゆが将来困窮するようなことがあってはならない。だからこそ、母親自身が想定する安全ルートからまふゆが外れようとすると軌道修正させたくなるし、あれこれ言いたくなってしまうのではないかと思うんですよね(一人娘だし、この子をちゃんと育て上げなきゃ!っていうプレッシャーでああなってる可能性は捨てきれない。朝比奈母自身に関する描写が少ないので何とも言えませんが……)



朝比奈母の最悪エピソードとしてよく例に出されるシンセサイザー事件ですが、これも別に「母親が嫌がるまふゆを無視して勝手に捨てた」という訳ではないんですよね。
全ての事情を知っている豆腐の視点から見ると母親の行動が身勝手に思えてしまうのですが、実際あの場でまふゆは「音楽はもうやめるね」と言ってしまっています。つまり母親からしてみれば、まふゆも同意した上でシンセサイザーを捨てたに過ぎないわけです。
朝比奈家の問題は「母親が娘の意向を無視して勝手な行動を取っている」ことが原因なのではありません。むしろ、「母親がまふゆが違う本心を抱いていることに一切気づけていない」「まふゆは母に対して嫌なことを嫌と、やりたいことをやりたいと言えていない」ことが原因であると言えるでしょう。



そして娘のまふゆは、今のように「いい子」を取り繕うようになる前からそもそも聞き分けのいい子供であったことは過去回想から伺えます。さらにまふゆの周りにはずっと、親も友達も先生も「いい子のまふゆならこうするだろう」という態度で接してくる人しかいませんでした(これはマジで環境に恵まれなかったとしか言いようがない)。
元々の気質と環境が合わさった結果、まふゆは「自分の意思を他者に伝えることが極端に苦手」な子に育っています。

こうして、あれこれ言いたがる母と自分のことを全然言わない娘が何年にもわたって関わり続けた結果、母はまふゆが自分の言うことは何でも聞く「良い子」だと信じて疑わず、まふゆは母に自分の意思を言えないどころかそもそも何がしたいかもわからないという最悪な状況になっているわけです。
どこかで衝突することもなく17年間ずっとすれ違い続けた結果なので、相当根深い問題なんだなあと思わずにはいられません……

これはもしもの話になりますが、まふゆが自分の意見をハッキリ言えるタイプの子供だった場合はそんなに悪い家庭ではなかったんじゃないかとも思います。それこそ絵名のように真っ向から反発するまでではなくとも、「お母さんの考えも正しいと思うけど、やっぱり私はこういう理由でこうしたい!こうしない方が後悔するはず!」くらいに言えれば全然悪くなかったんじゃない…?朝比奈家は子供の夢をサポートするだけの経済的な面も含めた環境が整っているわけですからね。

さらに誤解を恐れず言えば、朝比奈母がまふゆに言っていることはあながち間違いではありません。子供の将来を考えて進路を導こうとするのも、何なら付き合う人間を選べというのも、100%間違っているわけではないですよね。親として子供を指導する観点から言えば「正しい」意見です(とはいえ何度も言っている通り、娘の前で娘の友達を色眼鏡で悪く言うのは絶対ダメですけどね!!!)
しかしこれが正常に機能するのは、あくまで親と子供が互いに意思を公平に伝え合えている場合の話です。朝比奈家のように子供が自分の意思を言えていないケースでは親の意見の押し付けになってしまいますし、それに気づかず放置してきたのは親の責任でもあると思います。



さて、話は変わりますが最新のイベント「願いは、いつか朝をこえて」のストーリーにおいて、こんなシーンがありました。
東雲家に泊まることになったまふゆは、食卓で東雲母が「この子の人生だから、好きなことをすればいいわ」と言っているのを聞き、「自分の母親と同じことを言っているはずなのに何かが違う」と感じます。
前述の通り、朝比奈母も「まふゆの好きなことをすればいいのよ」ということは確かにまふゆに伝えています。では、この違和感の正体は何か。

東雲家の母は、あの食卓のシーンを見ても「子供が望む人生を歩めばいい」と本心から思っていることがうかがえます。
もちろん娘の絵名は自分で決めたことは簡単に曲げない性格で、親であっても食ってかかれる性格の持ち主であることも大きいとは思います。そんな子供たちに対して「どうせ何か言っても聞かないだろう」という一種の諦めのような感情を抱きつつも、子供がやりたいことをやって自分の人生を歩んでほしいと本心から願っていることは明らかでしょう。

朝比奈母も同じくまふゆに対して「あなたの好きなようにしていい」ということを伝えています。しかしながら、ここでいうこの台詞は「とはいえ私の娘は私の望む道を歩んでくれる、娘自身もそれを願っているに違いない」という娘に対する信頼、もとい思い込みが前提にあります
結局のところ、朝比奈母はまふゆが自身の想定と違う回答をすることを本心では許せていません。それは幼いころからまふゆが聞き分けのいい子供であり、かつ母の思う理想の「いい子」を演じるだけのポテンシャルを兼ね備えていたために起こっていることです。
かつてのまふゆは「困っている人の役に立ちたいから看護師になりたい」と思っていたように、周囲の役に立てることや期待に応えることが素直に嬉しかったはずです。実際周りの期待に応えるのは生きるうえで分かりやすい指標でもありますからね。
しかしながら、それが積み重なった結果として、朝比奈母にとってはまふゆが自分の思い通りに動くことが当たり前になってしまいました。そしてまふゆ側も、「親が悲しむこと=悪=間違い」「親が喜ぶこと=正解」というのが彼女にとっての行動原理となってしまっています。結果として、親の期待通りに動く以外の選択肢がなくなり、身動きが取れなくなっているのが現在のまふゆではないでしょうか。

では、そんなまふゆがここから脱却し救われる道はどこにあるのでしょうか。よくネット上で散見される意見として「早く親から離れなよ!」「家から出ろ!」というものがあります。や、気持ちとしてそう言いたいのはめちゃくちゃ分かるんですけど、個人的に真にまふゆが救われるための道としては少し違うんじゃないかとも思うんですよね。
(ここからは個人の妄想がさらに多くなりますので、そのつもりでお読みいただければと思います)



まふゆが母親にされたことをニーゴの面々に報告する場面が作中いくつかありますが、その度に絵名は「あんたそんなことされたままでいいの!?なんで言い返さないの?」とまふゆに言っています。しかし、まふゆは大抵わからない、でも…と煮え切らない態度を取ります。
瑞希がいきり立つ絵名に対して「まふゆにとっては大事なお母さんなんだから」と諌めているシーンもありますが、まふゆ本人も母親に真っ向から反抗することには抵抗があるのではないかと思います。
(絵名は例え親であろうと自分の夢を否定されれば本気で怒るし、自分の意見をはっきり言うことに抵抗がないタイプなので、ウジウジ悩むまふゆに対してイラつくのはまあ……そうだよな……という感じ)
(超余談だけどまふゆと絵名は考え方も価値観も全部真逆なの良くないですか……?)(オタクは対比構造が好き)

もちろん朝比奈母は結果としてまふゆを苦しめたわけだし、親といえどもずっと関わる必要もなければまふゆ自身が望めば縁を切ったっていいわけです。でも、まふゆがそれを望んでいるようには私は思えません。それにまだまだ親の希望が行動原理の大部分を占めている今のまふゆを無理やり親から切り離したとして、根本的な解決にはならないでしょう。

まふゆが解決すべき課題は大きく2つあると私は思います。1つは「自分の思いを言葉にできるようにすること」でしょう。今のまふゆは少しずつ成長しているとはいえ、まだまだ自分の心の動きや願望を言葉にすることに於いて未熟です。それについては既にイベストで描かれている通り、ニーゴの面々をはじめとする交流において成長していくものと思われます。
そしてもう1つは、「絶対的な存在であった母親に対して自分の思いを伝えられるようになること」ではないでしょうか。まふゆがこうなってしまった大きな理由は、ここまで語ってきた通り彼女の親にあります。だからこそ、その解決はまふゆが親に対して自分の思いをはっきり伝えられるようになるという形での解決が理想ではないかと私は思っています。
生まれてからずっと娘は自分の言うことを聞くいい子だと信じて疑わない朝比奈母に対して、まふゆが自分の意見を貫けるようになること、そしてそれを母親が受け入れることは決して容易ではないでしょう。ただ、これからも親子である以上に人と人として対等な関係を築くことは、きっとすごく大事なことのはず。このあたりがどのように今後解決されていくのか、私も楽しみです。
(まふゆ自身も「音楽がやりたい」と一度伝えた描写があった通り、少しずつ成長している様子は現時点でも見られますね)


なんだかすごく筆が乗って5000字以上も書いてしまいました。ここまで読んだ人いるんだろうか。ともかくタイトルの疑問に対しては、「結果的にまふゆにとっては毒親になっているけど、それは母自身の問題以上にまふゆとの相性悪が大きな原因」とでも言えるのではないでしょうか。なんだかまとまらなくてすみません。
朝比奈家以外にも瑞希のカミングアウト問題、奏の呪いに縛られた生き方など様々な課題を抱えたニーゴ。彼女たちの物語と成長を、今後も1ユーザーとして見ていきたいと思っています。

あ、終わりです。ガチャ運をくれ。


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