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友人F


ヤンチャで運動が出来てギャグが冴えるFは小学校2年からの友達でした。2年生から転入して来た私に、何の隔たりもなく話しかけて来てくれて、Fは新しい環境で戸惑う私にとって大事な友達になりました。小学校も高学年になる頃、私は真面目で優等生風で学級委員や児童会の執行委員を買って出るタイプでしたが、Fはいつまで経ってもヤンチャで、授業中もふざけて進行を乱すタイプ。小学校6年間で、唯一見た先生から児童へのビンタは、5年生の時、先生の怒りをギャグで返したFが食らったモノでした。今では如何なる理由においても許される行為ではありませんが。

とはいえFは誰からも愛される人柄で、小学6年生の時、彼は児童会長選に立候補し、演説をし、見事当選したのでした。学級委員や児童会など優等生風の事務方としてイソイソと手を動かすことしかしない私からすると、彼の一歩踏み出す勇気と人望は、子供心に埋められない何かを感じさせるには十分なものがありました。

その後中学に上がると、学校生活に学習成績が加わるようになり、それがフィルターとなって評価をされるようになります。Fは3人兄弟で、姉も弟も田舎の中学では超がつくほど成績優秀で、勉学向きではなかったFは“中だるみ”などと揶揄されるようになり、彼は少しグレてしまうのでした。

私の優等生風はその後も相変わらずで、実力は伴わないが内申点を頼りに、そこそこの公立高校に進学します。Fがどんな高校に進んだのか正直知りません。ただFの弟はトップの公立高校から旧帝大に進学したとの噂を耳にした事はありました。

私は“風”を引きずった人生を地味に歩み続け、平々凡々そこそこな私立大に進学するのですが、キャンパスでばったりFと再会したのです。曲がりなりにも数ヶ月は予備校に通って受験とやらを潜り抜けて来た私は驚きます。聞けば芸術学部の演劇芸能専攻で、受験では『猫のモノマネをしてん』と答えるF。文化祭で舞台に上がるから見に来て欲しい、とF。

そして文化祭の日、小さく暗いホールに行った私は、舞台で、タイツに身を包み、全身を使って真顔で必死に何かを表現しようと創作ダンスを一心不乱に踊るFの姿を目の当たりにして、感動で泣いてしまったのです。やっぱり彼は私には届き得ない輝きを放っていて、いつも小さな評価軸でしか生きる事が出来ない自分の小ささをここでも思い知る事になったのでした。舞台後に会ったFは感動する私に『な、オモロかったやろ、笑えたやろ』と満面の笑みでさらりと言ってのけたのでした。

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“お仕置き三輪車のエレクトリカルドライブ”へのお便りより