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ababa14
君の膵臓をたべたい要約
「私とあなたの出会いは運命だ。」というような運命とは何か。
偶然という意味なのか必然という意味なのか。運命は後者であると考える桜良は、人は生きながらに毎日膨大な量の選択をしていることに気づく。
朝ごはんはパンにするのかどんな服を着ていくのかランチ代を安くすまして浮いたお金で映画を見に行くのか誰と付き合おうか結婚しようがすべてが自分で選んだ選択。その続く選択がいわゆる運命であると桜良は考えている。
よくあるフレーズ「運命の出会い」というのは偶然ではなく必然であり、それは二人がしてきた選択の結果なのだという。
「人の死というのは平等である」
大病を抱えた彼女はわずか余命一年。余命一年とわかっているなら行ってみたい場所へ訪れたり思い出の場所に訪れたりたらふくおいしいご飯を食べてみたり余生を後悔ないように過ごしてほしいと誰しも考えるだろう。
しかし考えてみると生死はみな平等なのである。余命一年の彼女とクラスで人気のサッカー部の彼では一見サッカー部の彼が長生きしそうであるが、一概にはそうとは言えない。
登下校中に車と事故を起こしてしまうかもしれないし、夜食べたごはんによって食中毒を起こすかもしれないし、死ぬきっかけは生きてる以上山ほどある。
死ぬきっかけがある以上、いつどこでだれが死んでもおかしくはなく、余命一年の彼女とサッカー部の彼では一概に余命一年の彼女が先に死ぬとは言い難い。
だから「人の死というのは平等である」と桜良は考えている。
"君の膵臓をたべたい"は運命や偶然、必然、生きること、死ぬことなどいつもなら考えもしない当たり前のことに気づかしてくれる作品だ。
ぜひ一度手に取って読んでみてほしい。
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