【お仕事小説】晴は疑問符抱えてる[6終]算数、がわかりません
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実家。
就職を機に家を出てから、部屋のレイアウトはほぼ変わっていない。
6畳ほどの部屋に、シングルベッド、勉強机、本棚。机にも本棚にも、受験の参考書、大学教授たちの著書、レポートをまとめたファイルがぴっちりと収まっている。
「時間があるときに、片付けといてよ」
と、母はかれこれ5年、言い続けている。
確かに、社会人となった今では、不要なものばかりだけど。
アパートから実家までは、車で約30分。近くもなく遠くもない距離だから、ときどき顔を出す。
何気なく入った自分の部屋で、本棚をぼーっと見つめる。
視線の先には、数学の問題集。
文系の大学に合格したときに、理系科目の教科書や参考書はほとんど処分した。
でも、これだけ、捨てられなかったんだよなぁ。
数学ができなかったのが悔しくて。
もしかして、今なら解けるかも?
分厚いテキストを取り出し、パラパラとめくってみる。
うん。
全然解けない。
考えてみたら、数学、というより算数の段階からつまづいていたような気がする。
問題を解こうとする前に、文章にひっかかってしまって、先に進めなくなるんだよね。
たとえば、アメ。
その場にいる人数に対して、なぜかあまりが出てしまう、あのアメの問題。
9個のアメを、4人で分けたら、1人何個食べられる?あまりは、いくつ?
ってやつ。
…なんで、あまらせるんだろう?
なんで、このアメは人数分ぴったり用意されないんだろう?
もしこの4人が兄弟だったら、あまったアメをめぐってケンカになるかもしれない。
私が用意する立場だったら、人数分ぴったり用意するのに。
9個のアメを4人でわけたら、2あまり1。
何も考えず、スッと答えさえ出せばいいのに。
でも、答えがわかった後も考え続けてしまうのが自分のめんどうなところ。
あまったアメって、何味なんだろう?
全部同じ味なのかな?でも、大袋のアメっていろんな味があるタイプも多いし。
あまるとしたら、人気の低いハッカ味かな?いや、もしかしたら、みんなが「いいよいいよ」と遠慮した結果、期間限定の貴重なメロン味かもしれない。
「晴ー?ごはん食べてくでしょー?」
一階からお母さんの声がする。
はーい、と返事をして、また数学の問題集を本棚に戻す。
結局今日も、片付けられなかった。
翌日、会社。朝のミーティング。
「地元の多紙六(たしろく)商業高校から、就職説明会の依頼が来ました」
部長が続ける。
「対象は、高校3年生全員。去年までは一社だけだったらしいんですが、もう少しいろんな会社の話が聞きたいということで、うちにお声がけいただきました」
多紙六商業高校、略して多紙商。
「多紙商は、求人は出してるけどここ数年応募がありません。就職する人数自体が少ないみたいで、今年も進学希望者の方が多いようです」
でも、全員が対象らしい。
「基本は、企業説明会の資料と同じになると思いますが…」
部長が田淵を見る。
「見直した方が、よさそうですね」
「よろしくお願いします」
ミーティング終了後、田淵と2人で内容を詰める。
「ほとんどが進学希望、か」
「どうしますか?プレゼン資料」
多くの生徒に話ができるのはいい機会だけど。
「今の資料のままだと、企業理念とか歴史とかから始まってて、なんだか硬いですよね」
「私もそう思う。大崎、よかったらプレゼン作ってみない?」
「え?」
「もとのファイルは保存してあるから、大崎のオリジナルで変えてみてほしいなって」
「私がですか?」
「考えてること、いろいろありそうだから、形にしてみなよ」
任せるね、とニッと笑う。
作戦会議が終わる。
お昼。
森岡さんがお菓子の詰め合わせの箱を抱えていた。
「法事でいただいたんです。みなさんに、お裾分け」
おまんじゅう、カステラ、プリン、クッキー、いろんなお菓子が入っている。
朝井が受け取る。
「ありがとうございます!」
「私の分はいいから、5人で分けてくださいな」
「そうですか?12個あるから、じゃあ、5人で2つずつ、あまり2個になりますね」
あまり、か。
「算数の問題やってるみたいですね、朝井さん」
「私も自分でちょっと思っちゃった」
「あぁ、あの、アメがあまる問題?」
「それですそれです」
「僕思うんですけど、算数の文章題って、なんかツッコミどころあるんですよね。池の周りをぐるぐる回るとか、兄弟一緒に家を出たあと、お兄ちゃんが忘れ物を取りに帰るのとか」
そんな問題もあったなぁ。
で、後で出た兄がいつ追いつくか計算するんだよね。弟は同じ速度で歩くことになってて、そりゃ計算上はありがたいけどさ、速度が変わらないのもおかしな話な気がする。
弟は弟で、お兄ちゃんはやく来ないかな、って、ときどき振り向いて待ってるかもよ?ペース、落としてるかもよ?
待たずに歩くってことは、遅れてはいけない何かがあるのかな?集合時間があるのかな?だったら、むしろスピードアップするかもよ?先に行って「すみません、お兄ちゃんすぐ来るんで待ってください」って、誰かに謝らないといけないなにかがあるかもしれないしさ。
数日後。会社。
出来上がったプレゼンを、田淵に確認してもらう。
「うん、いいんじゃないかな。こっちで部長に掛け合ってみよう」
後日、オッケーが出た。
説明会当日。
晴の運転する車で、会場の多紙六商業へ向かう。片道30分ほどの道のり。
会社を出て15分が過ぎたころ、助手席に座る田淵が晴を見る。
「そういえば、資料、持ってきた?」
生徒たちに配る、スライドを印刷した資料。
「後ろに乗せてると思います。黄色い紙袋に入ってるはずです」
「えっと」
田淵が後部座席を見る。
晴も、運転しながらルームミラーでチラッと見る。
が、座席全ては見渡せない。
「あ」
ちょっと待って。
ちょっと、待って。
嫌な予感。
持ってきた感触が、ない。
「もしかして」
「田淵さん…」
「忘れてきた、ねぇ」
車を路肩に停めて後部座席を確認したけど、資料は乗っていなかった。
どこで忘れた?
昨日、スライドの資料を印刷した。
忘れないように、自分のロッカーの中に入れた。
その後、やっぱり忘れそうだと思って、共通ロッカーの中に入れ直した。
「共通ロッカーの、中、です」
おそらくそこにある。誰かに頼めるか。えっと。
「部長は」
「会議中」
「朝井さん」
「研修」
「菅沼くん」
「有休」
「森岡さん」
「も、今日は休み」
「誰か…」
社内の誰かに届けてもらう?そんなツテ、晴にはない。
「私が取りに戻ろう」
「え、でも」
「共通ロッカーの中だよね?あそこには機密資料も入ってるから、人事部以外には頼めないよ。私が取りに戻る」
「今から一緒に…」
一緒に戻っていたら、間に合うかわからない。
「大崎はこのまま向かって。後で追いつくから」
「でも」
田淵は、車を運転しない。
「どうするんですか?タクシーですか?」
「ルート営業で会社に戻る車に拾ってもらう。この時間なら、何台か通るはずだよ。で、会社の誰かに送ってもらう。1人くらい、暇な人いるでしょ」
大丈夫なのか。
「大崎、もし、私が間に合わなかったら、プレゼンを始めててほしい。いい?」
不安すぎます。
「できると思うから。ね」
できない、って、言えない。仕方ない。私のミスなんだから。
「急ごう」
反対方向に走っていく先輩をバックミラーで見ながら、多紙六商業高校に向かう。もう、向かうしかない。
田淵先輩、どのくらいで追いつくかな?何分後?間に合う?え、これって、あの算数の私、弟の方になってる?
多紙商までの道に、信号はほとんどなかった。
着いてしまった。
「お待ちしてました」
車を停めて事務室に立ち寄ると、進路担当の先生が出迎えてくれた。
「コマド精米さんですね。トップバッター、よろしくお願いします」
そうだった、最初だった。資料忘れたから順番入れ替えてください、なんて、言えない…。
「担当はもう1人いるのですが、少し到着が遅れます、すみません」
応接室に通され、時間まで待つ。他の2社も到着し、一応、名刺交換をする。その度に「実はもう1人いて…」と説明のような言い訳をした。
待ち時間が、だんだん短くなる。
もうすぐ、始まってしまう。
時計、動かないでくれ。
ありがたいことに、田淵先輩からは、逐一連絡が来る。
「拾ってもらえた」
「会社に着いた」
「資料あった」
「ちょうど部長が会議終わった」
「連れて行ってもらうよ」
「もうすぐ着く」
もうすぐ!
「プレゼン、頼む」
画面を見て固まる。メッセージが続く。
「資料作ったのは大崎だから、できると思う。頼んだ!」
学校のチャイムが鳴る。前の授業が終わったらしい。休憩10分をはさんで、いよいよプレゼンだ。
あぁもう、やるしかない!
パソコンを開いて、スライドを見直し、頭に叩き込む。
「ではそろそろ、準備をお願いします」
もう仕方ない。私がやるしかないんだ。応接室から移動すると、同時にぞろぞろと生徒たちも移動してきていた。教室前方の机にパソコンを置き、電源とスクリーンの接続を確認する。顔を上げると、かなりの数の生徒たちが集まってきていた。
チャイムが鳴る。
マイクを持った進路担当の先生が教室を見渡す。
「では、時間になりましたので、始めたいと思います。はじめは、コマド精米さんです。よろしくお願いします」
震える。
やるしかない。
「よろしくお願いします。コマド精米から参りました、大崎晴と申します。弊社の資料は後から配布させていただきますので、まずは、前のスライドをご覧ください」
晴に向けられていた視線が、一気にスライドに向けられる。
あ、これなら、ちょっと大丈夫かも。自分に注目がこないぶん、話しやすいかもしれない。
3、34、16、99、25、75…
さまざまな数字が、スクリーンに映し出される。
「いきなりですが、問題です。これらの数字は、何を表していると思いますか」
少し間を置いてから、続ける。
「日本の、食料自給率です。ひとつだけ、高い数字があるのがわかるでしょうか。99です。日本では、お米の食料自給率が99パーセントと、他の食品と比べてもダントツです。弊社は、そのお米を中心に、数多くの製品を取り扱ってきました」
次のスライドを映す。イラストが出される。
お米、お惣菜、食用油、宅配サービス、お菓子、化粧品…。
「もう1つ、問題です。このイラストの中に、弊社が扱っている商品はいくつあると思いますか」
ストップウォッチを生徒たちに見せる。
「30秒、測りますので、周りの生徒さん同士で予想してみてください」
ピ、とカウントダウンがスタートし、生徒たちがザワっと話を始める。
そのとき。
スーッと、後方のドアが開いた。紙袋を提げた田淵の姿が見える。
やっと!来た!
田淵は、何事もなかったように、さも当然です、タイミングばっちりですとでも言わんばかりに、スタスタと歩いてきて晴の隣にサッと立った。
そして、小声で言った。
「そのまま、プレゼンは大崎が続けて」
「…え?」
「その方が自然。できるから」
「そんな」
でも。
確かに、ここでいきなり話し手が変わったら違和感がある。
田淵が持ってきた資料を配り始めた。一緒に配ろうとしたけど、見ていた周りの先生たちが「半分いただきます」「配りましょう」と動いて、晴の出る幕はなくなった。
ピピ、と、ストップウォッチが鳴る。時間だ。
生徒たちの視線が、こちらに戻ってくる。
「今、弊社の資料を配布させていただいています。そちらをご覧ください。3ページです」
紙をめくる音がする。
「弊社の製品を、載せられる限り載せてきました。今の問題の答えですが、実は、すべてです」
生徒たちを見渡しながら、続ける。
「創業当初は、精米一筋で事業を行ってきました。しかし、お米の良さを広め、会社として社会にどう貢献できるかを考えた結果、一見、お米とは関係のないような部門にも、事業が広がりました。その中には、高卒1年目の社員の意見から商品化されたものもあります」
準備したスライドが、どんどん流れていく。
気づけば最後のスライドになっていた。
「以上です。ご清聴ありがとうございました」
司会の拍手を皮切りに、生徒たちからも拍手を浴びる。
「それでは、次の会社さんに移ります」
拍手に浸る間もなくパソコンを引き上げ、次の会社に場所を譲る。
2社目、3社目のプレゼンがどうだったかはほとんど覚えていない。
「以上で、3社すべての説明を終わります。もうすぐチャイムが鳴るかと思いますので、質問がある人はこの後の休憩時間に各担当者さんにお話を聞きにいってみてください。では、本日の説明会はこれで終わりたいと思います。ありがとうございました」
チャイムが鳴る。
終わった。
そのまま、少し待つ。誰か質問しに来るかな、と思ったけど、結局誰も来なかった。
会社に帰る車中。
「お疲れさん」
「田淵先輩、あの、資料、すみませんでした」
「いいプレゼンだった」
「でも」
「大崎、土壇場でやる力があるよね」
いや、そんなことない。
「大崎。チャラだよ。資料を忘れたことと、プレゼンできたことで、相殺。いや、いいプレゼンしたんだから、むしろプラスかな」
確かに、初めて人前でプレゼンをして、拍手を浴びたあの瞬間はなんとも言えない達成感があった。でも。
「すみません」
「もう。いいんだって。大崎ができると思ったから、私、会社に取りに戻ったのに、もう、謝るのは、なし」
あ。
もしも。
もしも、田淵と一緒に会社に戻って、それで開始時間に遅れて、さらにプレゼンまで任せてしまったとしたら。
たぶん、晴は立ち直れない。
晴にとんでもない罪悪感を抱かせないために、田淵はあんな行動を選択してくれたのかもしれない。
「いいプレゼンだった」
「そんなに言わないでください」
「よかった、って感想言ってるだけじゃんか」
いやいや。
「よし」
田淵がガッツポーズをした。
「じゃ、この近くのパン屋に寄って帰ろう」
「え?」
「最近、うちの米粉を使ってもらってるの。米粉パン。売れ行きも気になるし、味も気になる。みんなにも買って帰ろう」
「…もしかして、なんとかかこつけて食べようとしてません?」
「違うって。本当に、よかったって。信じなさい。あ、次の十字路、右でーす」
道案内、始めちゃった。
でも、米粉パン、私も食べたくなってきた。
「あ、通り過ぎた!Uターンできる?」
「田淵さん」
「どうした?」
「次の道で曲がった方が、実は近道なんですよ」
晴はふふ、と笑って車のアクセルを踏んだ。
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