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【書く習慣】#28 3年先の自分は何をしているのか

1年後の未来も見えないのに3年後なんて!と思いつつ、少し考えてみることにした。
10年後にすると先すぎて分からない。
1年後だと「できそう」「できなさそう」がチラついて、そればっかり考えちゃう。

理想で考えるなら、私は3年くらいがちょうどよさそう…な気がする。

何も考えないで理想だけで言ったら、仕事辞めてのびのびしていたい気もするけど、もう少しリアルな感じで考えよう。

まず、仕事。
日本語教師は嫌いじゃないけど、今の環境のままでいいとも思わない。
告示校の留学生対象の日本語教師は自分には苦しくなってきているような気がする。
認めてしまうと、日々の出勤が辛いから「合わない」とは言い切らないことにしているけれど、違う環境の日本語教師を知ると「こんな環境で働けるのか!」と、もはや衝撃だった。

自分で直接学生を得るために動くのは大変だけど、そうすれば相手の希望を最大限に聞き入れるレッスンだって可能になる。
JLPTを受ける気がない学生に一生懸命、謎のメリットを説く必要もないし、嫌だと思っている学生に対策授業をする必要もない。
考えてみれば当たり前のことではあるけど、ずっとその環境しか知らないと、なかなか気がつかないものだなと。

登録日本語教師への道も頭に入れると、告示校でも勤務実態はキープしておいた方がいいのかもしれない。
もしくは、それまでに自分の道を見つけて、必要か不要かを見極めた判断が下せるのか…

コロナ禍の仕事なし期間を経て、1か所に身を任せるのは危険だなと感じた。
私は、正規雇用じゃなかったから簡単に切られてしまったというのはあるけど、日本語学校によっては正社員から切られてしまった学校もあると聞く。
つくづく安定なんてないんだなと身をもって感じた数年間だった。

これといって、誇れるスキルはない凡人だけど「複業」スタイルに移行していきたい。
3年後にはそうなっているといいな。
それこそ、日本語教師が思うようにいかない環境になっても、他にも自分にはできることがあると思えるのは精神的な安定にもつながる。
なんだかんだ収入がないと心が荒む。
お金が全てではないけど、そう言えるのはお金がある人だけ。

居住環境は、日本を脱していたい。
というか、台湾を拠点に色々なところへ自由に行けると最高。
でも、オーストラリアを拠点にするのも捨てがたい。

日本に税金を納めるのがバカバカしくなる昨今、どこならいいかはわからない。
諸外国には諸外国の善も悪もある。
単純に、自分に合うか合わないかも。
せめて気にせず払えるか…もしくは調子よく外国人を楽しむのもアリな気がする。

日本人のパスポート所有率を見るからに、日本人のほとんどは外国に行ったことすらない。
そういう人に言わせれば「なんだかんだ日本がいいでしょ」「自国にいるのが一番いい」など、日本ありきの考え方も多いが、外国でも変わらない生活はいくらでもできる。
なんなら、ネイティブじゃないが故に情報が制限されてちょうどいいと感じる時もあるくらい。

生活拠点を完全に海外に変えるのかどうかは答えを一つに絞らなくてもいい気がする。
そういう可能性も作っておきたい。

さて、アラサーとなるとご挨拶の如く出てくる「いい人は?」問題
幸い私の周りはそんなにうるさくはないけど、多少はある。
祖父母にとっては気になるところでしょう。
ごちゃごちゃ言わないにしても、軽く「どうなのかな〜?」くらいには。

どうなんだろう。
今のところ、あんまり考えられない。

自分の生活のペースが崩れるのも望んでいないし、家なのになんだか気を使うのも嫌だ。
既婚者と話すと「気を遣わないから結婚する」というが…
想像だけだと何ともそこに至るまでが遠そうだ、私には。

とりあえず、必須事項とは考えないでおこう。気持ちが積極的に向いているわけじゃないことは無理しても上手くいかない。

でも、カテゴリーに関係なく大事な人の近くにはいたい。
それがパートナーになるのか、友達になるのか、同僚になるのかはわからないけど、有意義な一人の時間と誰かと過ごす時間を両立できる環境であったらいいな。

自分もそれができる人間性でいたいもの。

大きくうねる時代の中で、小さく小さくでも自分の道を歩んでいたい。
いつまでも迷っているだけじゃなくて「とりあえず、これが今の私の道の一つ」と胸を張って言える道を進んでいたい。

望む環境で日本語教師ができていたらいいな。
何なら、日本人に「日本語教育ってこんな感じ〜」と、日本語教育を通して共生社会への一歩を広げられる存在になっていたいかも。
日本で起きている問題って、外国人が…ではなくて、圧倒的に日本人側に理解が足りないこともあると思う。

生活拠点を自由に飛び回れるようにできていたらいいな。
スキンケアに悩まなくてよかったら最高。
英語もスキルアップして、台湾華語でも日常会話ができるようになっていたら、台湾人の友達の家族とも話ができるかも。

こうやって考えると「具体性」が伴っていないのが私のよくないところ。
具体性が伴っていないこと自体が悪いわけではないけど、それでは私自身が進みにくいから。
スモールステップにも落としにくいし、何となくで過ぎ去る時間が多くなる。

今度は具体性をテーマに広げてみるか。

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