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何が最善かは、自分で決めていいんだ

職場でこんな会話が聞こえた。

「マスクは無いし、トイレットペーパーは無いし、もうほんとそんな事ばかりで気分が滅入るんですよね」
隣の方がこうも話していた。
「今は、家族との時間とか、物を大切にするとか、そういう色々なことを試されている
時なんですよ(と、友人がFBで書いていました)」

その話をわたしは背中で聞いていただけだが。
勿論後者の前向きといえる発想は大事だと信じている

だけどね 心の中で、ふと思った。
わたしはマスクもトイレットペーパーもないことに、まださほど不自由を感じていない。

ちょっと前の自分に置き換えてみると
「今の仕事はストレスフルな仕事だし、長男は学校に行かないし、次男まで休みがちだし、もうほんとそんな事ばかりで気分が滅入るんですよね」
そんな気持ちで、絵を描いたりイベント等に参加することで発散していた。

その気持ちに嘘をついてまで「いやこれが試練だから」ということは声に出して言えないものだ。
自分はつらい。その気持ちは真実なんだ。
問題はそれを どう自分なりに解消するか、だ。

マスクは作る トイレットペーパーはハギレ等を切って代用する(流せないのは不便だけどねまあ仕方ない)

感染予防に消毒液や納豆を買い漁ることもしない。自身の免疫力をあげるべく「こまめな手洗い、早めの就寝、たっぷり水分、しっかりごはん、ちょこっとヨガ&瞑想」。今はダイエットとか考えない(笑)そして今日から、エキナセアというお花のハーブティーも飲み始めました。

長男は学校行かないので 英会話とか、特別支援学級とか 色々提示したがどれも拒否。
でも家の中ではいつも好きな事をしていて楽しそう。お願いすれば進んでお手伝いもしてくれる。
次男は今回の休校で「学校が好きだった。いけないのは寂しい」と本当の気持ちを打ち明けてくれた。次男の小学校は、保護者や祖父母が居ない家庭は子供を預かるという通達があったが、結局、バスもなく送り迎えもできず、祖母が子供達といてくれるので自宅待機となった。

何が苦痛で、何が良いのか。現状に不満や不安を漏らすその根底には、「当たり前の日常が壊された」という思いがあるのかもしれない。

個人的には「買い占め」とか「ここぞとばかりにクレーム、不満を漏らす」現状に腹立たしさを感じた。しかし本当に我が家は比較的、ケロッとしている。相変わらず、晩御飯は何食べる?明日何する?みたいな毎日だ。それがとても尊く、有難く感じる。

日頃から安全に平和に健康的に暮らしていて、それなのに、病気になったり、事故にあったり災害にあったりすることだってある。それを全部試練だとか運命だとかで片づけることもしたくない。(そういう考え方は嫌いではないけど)

だけど今日、ふっと降りて来た言葉があった。
それが「最善を尽くす」

日々最善を尽くしていて、何かあったら
「自分は頑張った。最善を尽くしていたよ」
と、認めてあげる。それしかないんじゃないか。
原因や結果も大切。だけどやっぱり今を一番大切にしたい。

そう、何が最善かは、自分で決めていいんだ。



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