ジッソクサマ
ジッソクサマ、という言葉を聞いたことがあるだろうか。
これはわたしが友人から聞いた話をきっかけに、とある村で祀られている神様と、その土地の風習について調べたものである。
※記事内の一部の写真は特定を避けるためぼかして掲載しています。
※名前についてはすべて仮名を使用しています。
友人・カムラの体験談
高校の同級生であるカムラは、漁師の旦那さんと4歳の娘がいる。
そんなカムラが、子どもが生まれる前に夫婦旅行で訪れたX県のある村にある、面白い風習について教えてくれた。
事の発端は、この夏、お盆の里帰りで久しぶりに会ったときのことである。
20代のころの同窓会以来、実に十数年ぶりの再会だったが、年賀状やSNSでよく連絡を取り合っていたので、そこまで懐かしいという感じはなかった。
地元の喫茶店で待ち合わせた彼女は、4歳の娘を一緒に連れてきた。この夏の盛りでもしっかり長ズボンを履いているのは、両足に生まれつき大きなアザがあるかららしい。痛みなどは特にないらしいが、娘自身はアザを見るのを嫌がるそうだ。
軽く世間話をして、コーヒーのお代わりを頼んだころ、カムラが「そろそろ本題に入るね」と言ってきた。
実は、わたしが細々と物書きをしているという話をしたところ「面白い風習のある村があるから調べてみたら」と言ってくれたことが、今回の再会に繋がったのである。
カムラ:X県のZ村っていうところなんだけど。娘が生まれる前にさ、旦那と旅行したんだよ。宿場町で、めっちゃいい感じの民宿とかあって。
ちょうどこういう、お盆の時期だったんだけどさ、あんまり混んでないし、涼しいし、2泊くらいしたんだわ。
それは、カムラが現在住んでいる静岡県からもわたしたちの地元である山梨県からもさほど遠くはない県の名前だったが、村については聞いたことがない名前の場所だった。
カムラはその宿場町の雰囲気の良い民宿に連泊し、3日間、整った町並みや古い建造物を見たり、近くの山や川の散策をしたりして過ごしたという。
それだけ綺麗な宿場町なら歴史的な保存地区などに指定されていてもおかしくないが、そういうわけでもなく、観光地としては無名で人も少なく空いていた。人も穏やかで空気も長閑で過ごしやすく、とても気に入ったらしい。
カムラ:面白い風習っていうのがさ、そこではお盆期間中は昔からずーっと、お肉を食べないんだって。
JOKER★(以下J):宗教的な関係?
カムラ:詳しくはわからないんだけど、民宿で出るのも山菜とかお刺身とか、あとは川魚とかばっかりで。美味しかったんだけど、山間の村でさ、ジビエとかも普段はお土産で売ってるらしいのに、お盆期間中はそういうもの一切見かけないの。
山間の地域で、お盆やお正月など特別な集まりがあるときには海産物を出すことは珍しいことではない。現に、地元である山梨県でも、お祝いだの何かしらの集まりだのというと、刺身や寿司が出ることは多い。マグロの赤身の消費量は海無し県の中でトップクラスと言われている。
カムラの話によれば、2泊3日の間に宿場町を何度も往復し、民宿の方がすすめてくれた村の絶景スポットなどにも行ったが、豚、牛、鶏、馬など、動物性の肉はどんな店でも一切見かけなかったという。
カムラ:お土産まで売ってないって、かなり徹底してるでしょ。そのときは不思議な風習だな~くらいに思ったんだけど、この間、パソコンのハードディスク整理してたらそのときの写真のデータが出てきてさ。調べてみたら面白いかもと思って、記事のネタにならないかなーって。
J:ありがとう。面白そう。
そういう田舎の風習みたいな話は大好きだ。古くからある風習には面白い理由が隠れていることが多い。
他にも、旅行の様子をいろいろと話してくれた。
夏祭りの屋台もいくつか出ていたが、焼きそばは山菜焼きそば、お好み焼きは豚玉なし、と屋台まで徹底されていたらしい。
また、屋台の数は少なく、旦那さんが食べたかったたこ焼きの屋台がなかったため、近くの街まで車を走らせチェーン店に買いに行ったという。
その際、街に出たついでにローカルスーパーに寄って地元では見かけないお菓子を買ったとか、帰りにお土産で買った地酒がちょっと珍しい濁り酒で美味しかったとか、そんな思い出話をしばらく聞いていた。
高校時代に戻ったような感覚で盛り上がるうちに外はすっかり日が暮れて、カムラは娘と一緒に帰っていった。
カムラが見せてくれた料理の写真
民宿は、高齢のご夫婦が営んでいた。
手作りの料理は、素朴ながらとても美味しかったという。
土産屋店主・トリヤさんの話
カムラの話を聞いたわたしは、すぐにZ村の宿場町について調べ、彼女が泊まったという民宿に行ってみることにした。
ひとまずインターネットで情報収集をしてみると、簡素な作りのZ村のホームページが見つかった。カムラが言ったように、ジビエや山菜が特産と書かれている。
お盆の夏祭りについては年中行事のところに載っていたが、肉を食べないなどの風習については特に書かれていなかった。
ホームページの雰囲気を見るに、やはり観光地として売り出しているわけではないらしい。
とはいえ、民宿もあるし、土産屋もあるわけだから、外から来る客に対するホスピタリティはあるのだろう。カムラ曰く「予約とかいらないと思うよ、空いてたし」とのことだったので、日程がちょうど調整できたお盆明けに、早速行ってみることにした。
もし泊まるところがなければ、街まで出て探してもいいし、最悪、車中泊でもなんとかなるだろうと、軽い気持ちでX県Z村へ向かう。
面白そうなネタが見つかったわくわく感で、すぐに行動したくて仕方なかったのだ。
車で2時間も走ると、Z村の看板が見えてきた。この先が宿場町らしい。
宿場町の入口に県営の大きな駐車場があり、カムラに聞いたところによればここは自由に使っていいらしい。
県外ナンバーも何台か見かけたが、夏休みだというのに駐車場はかなり空いており、利用してる車もほとんどが県内ナンバーだった。
近くに公園や公民館などもあるようなので、地元の方たちが使っているのだろう。
車を停め宿場町へ入ると、人の通りはまばらながら、あまり廃れた雰囲気はなく、感じの良い長閑な風景が広がっていた。
なだらかな坂の先に、歴史を感じる建造物がずらっと続いている。
しばらく歩くと、人の良さそうな土産屋の店主らしき人物が、こちらを見てにこりと笑って会釈してきた。店先には土産用のジビエや山菜、そしてイナゴの佃煮が並んでいる。
カムラの話ではお盆の期間中はジビエも売っていないということだったが、お盆が明けた今の時期には普通に店頭にも並んでいるようだ。
会釈してくれた店主らしき人物に取材したい旨を申し出ると、嬉しそうに笑って快諾してくれた。
そのまま店先で簡単に自己紹介を済ませると、店の奥にある休憩スペースに通してくれる。冷たい麦茶の入ったコップがふたつ置かれ、思ったよりもちゃんと話を聞けそうで幸先が良いなと感じた。
トリヤさんというこの方は、この土産屋の店主で、この宿場町の自治会長さんだという。早速、詳しそうな人物に出会えてよかった。
トリヤさん:こんな村の何を調べてるの。
J:わたし、地名や地域の風習について調べるのが好きなんです。Z村周辺の、面白い風習とか慣習ってありますか?
トリヤさん:この辺りの風習? ああ、もしかしてあれか、ジッソクサマのこと調べてるのかな。
J:ジッソクサマ?
――突然出てきた聞き慣れない単語に、わたしの期待感は膨れ上がる。
お盆の風習と関係あるかはわからないが、なにやら面白そうな話が聞けそうだ。
トリヤさん:あれ、違うの。ジッソクサマはね、この辺りに昔からいる神様よ。鳥の姿をしていてね、あの世とこの世を行き来する大きな鳥だ。
J:へえー。あ、じゃあ、トリヤさんのお名前もその鳥の神様が由来なんですか。
トリヤさん:そうそう、この辺はトリのつく名前、多いよ。
――お盆に肉を食べない、の風習と繋がるかもしれない。
恐らく、あの世とこの世を行き来するということは、お盆の送り迎えなんかにも関わってくるのだろう。そのために鶏肉を食べない、という風習があったとしたら、その形が微妙に変わって今に伝わっているのかもしれない。
J:この辺りだとお盆にはお肉を食べないって友人から聞いたんですけど、それも鶏肉を食べないためとか?
トリヤさん:なんだ、そんなことまで知ってるのに、ジッソクサマを知らなんだのか。
J:話を聞いた友人も観光客だったもので……。
トリヤさん:その友人てのは、お盆に来たの?
J:はい。お肉は食べなかったし、見かけなかったと言ってました。それで、わたしもちょっと調べてみたいなと思って。
トリヤさん:そうか。
トリヤさんは、ふーむ、と唸ってから麦茶を一口飲んだ。
これはたぶん、わたしにどう話そうか悩んでいる顔だろう。
古くからある風習というのは、一部の集落・集団の中の中で大切にされているものもある。もちろん興味はあるし知りたいが、あまり無理に聞き出すのはよくない。そのあたりは弁えているつもりだ。
J:あの、あまりお話したくないような内容ならいいんです。無理にとは。
トリヤさん:いや、そういうのはないよ。余所者に話すとウンタラ~みたいな、怖い話とかじゃないから。ただねえ、不思議な話だから。
J:そうなんですか。
トリヤさんはまたにこりと笑って、話を続けてくれた。
トリヤさんは70代で、ご自身が生まれたころにはもう「お盆に動物の肉は食べない」という風習はあったという。
理由としては、ジッソクサマがお盆に魂を送り迎えしてくれるから、その足を奪うようなことをしてはいけない、ということらしい。
鳥の神様であるジッソクサマに対し、鶏肉はもちろん、四つ足で歩く動物なども食べないようにときつく言われていた。
トリヤさん:ジッソクサマに無事にご先祖様を送り迎えしてもらうために、大昔の人は相当気を遣ってたんだろうなあ。
J:鶏だけでなく、豚や牛、馬も、というのは、無事に行って帰ってもらうため、足を奪わないため、ということですか。面白いですね。
トリヤさん:だろう。だからこの辺では、魚や山菜や、それからイカを食べる。
J:イカですか。
トリヤさん:そう、ジッソクサマってのは、足が十本ある鳥の神様なんだよ。十の足でジッソクってことだ。
だから、俺たちがイカを食べることで足を十本捧げるってことになるんだと。子どものころにおばあちゃんがよく言ってたよ。
――十本足の鳥。どんな鳥だろう。想像がつかない。ちょっと、ゾッとする。
J:食べることで捧げる……それも面白い考え方ですね。
トリヤさん:だろう。
動物を食べることは足を奪うことになるから禁止しているのに、イカに関しては食べることで足を捧げることになる。
不思議な話だが、きっと、この山間の村で海産物であるイカを食べるということは、尊いものをいただくという意味があったのだろう。
それが、ジッソクサマという神様に足を捧げる、という意味に繋がった。
神様への感謝や畏怖を感じられる、昔ながらの風習と言えるだろう。
J:ありがとうございます。早速、いいお話が聞けました。
トリヤさん:役に立ったならよかった。これは新聞とかに載るんかい?
J:新聞には載らないんですけど、記事を書いたらお知らせします。お名前も出して大丈夫ですか?
トリヤさん:おお、いいよいいよ。
J:ありがとうございます。
トリヤさん:そうだ、この先の路地を入ったところにジッソクサマの社があるから、そこにも行ってみるといいよ。
J:本当ですか。行ってみます。ありがとうございます。
トリヤさんにお礼を言って、店頭に並んでいた山菜おこわのおにぎりをふたつ買って店を出る。帰りにジビエを買いに寄りますと言うと、待ってるよ、と笑って見送ってくれた。
昼ごはんを食べずに来たので、山菜おこわおにぎりを食べながら静かな宿場町を歩く。運転中は空腹などすっかり忘れていたが、しっかりお腹は空いていた。
おこわはめちゃくちゃ美味しかった。写真を撮っておけばよかった。
神主・トリイさんの話
トリヤさんの言っていたとおり、土産屋のすぐ先の路地を入ると、『十足ノ社』と書かれた社があった。
鳥居と祠があるだけで、教えてもらわなければ気にも留めないような小さな社だ。
まずは鳥居と祠に一礼してから敷地内へ入り、写真を撮る。
???:こんにちは。
カメラを構えていると、後ろから声をかけられた。
そこに立っていたのはトリヤさんと同年代くらいの、眼鏡をかけた優しそうな男性だった。
???:トリヤさんが言っていた記者の人ってあなた?
J:えっ?
???:ジッソクサマのことを知りたい記者さんがいるから社に行ってやってくれってさっき電話があってね。
トリヤさん、行動が速すぎる。そしてありがたすぎる。帰りに絶対にあの店でお土産を買っていこう。
男性は、トリイさんと名乗った。聞けば、古くからこの社を管理している家系の方だという。
実際には神主ではないのだが、地元では神主のトリイさんと呼ばれているらしい。
カムラの話とトリヤさんから聞いた話を元に、わたしが気になったことを聞いてみる。
J:十本足の鳥の神様と聞いたんですけど、どんな神様なんですか?
トリイさん:見た目はニワトリの姿をしていて、大きな羽と長い尾を持っている神様です。
J:それで、足が十本生えていると。
トリイさん:はい。鳥の足が十本あるんです。羽で飛ぶことはないんですが、その十本の足で、この世とあの世を行き来すると言われています。
J:お盆の送り迎えをしてくれるってトリヤさんから聞きました。あ、じゃあ、もしかして、この地域ではお盆に精霊馬を作ったりはしないんですか?
トリイさん:そうですね。特にこの辺り、宿場町の皆さんは作らないと思います。作っちゃいけないということはないんですけどね。作っても意味がないというか。
J:それから、イカを食べる風習があって、十本足を食べて捧げることで、その送り迎えの無事を祈るというのも昔からある決まりだとか。
トリイさん:まあ、そうですね。だから四つ足を食べてはいけないんです。十本に足りませんからね。
J:ああ、なるほど。そういうことなんですか。トリヤさんは「ジッソクサマがお盆に魂を送り迎えしてくれるから、その足を奪うようなことをしてはいけない」という理由だと言っていたんですけど、こっちが正しいんですか?
トリイさん:それも間違いとは言い切れないですね。「四つ足を食べない」ことと「イカを食べる」ことが大事なことなので、そのための理由はなんでもよかったんでしょうね。各家庭によって、子どもたちへの伝え方が違う場合もあるかもしれません。
J:食べるイコール捧げる、ということで、その捧げる足の数が重要ということですか。
トリイさん:そうなりますね。トリヤさんの店にイナゴがあったでしょ。この辺だと昔からよく食べられているんだけど、ご存知ですか。
J:はい。知ってはいます。食べたことはないんですけど
トリイさん:もしお盆に四つ足を食べてしまったら、あれを食べるんですよ。そうすると、昆虫は六つ足だから、合わせて十本になるでしょう
J:ああ、なるほど!
妙に納得してしまった。これも古くからの伝承や、昔の人の知恵なのだろう。
とにかく、お盆の期間中は十本の足を食べて捧げることが大切なのだ。
J:もしその決まりを破ってしまうと、どうなるんですか?例えば、四つ足の動物を食べてしまって、六つ足を食べなかったりとか……。
トリイさん:どうということはないけれど、昔はよく、代わりに自分の足を捧げなきゃいけないぞと言われましたね。
J:えっ?
――急に怖い話になった。
自分の足を捧げるというのは、つまり、ジッソクサマに足を取られてしまうということではないのか。それはホラーの域である。
トリイさん:まあ、伝承というか、小さな子どもに対する、神様を大切にしなさいという教えのひとつですよ。大体、人間の足なんて二本しかないんですから、捧げたところで十本に足りませんしね。
J:……本当に持っていかれたりはしないんですよね?
トリイさん:そういう話は聞いたことないですね。記録にもそういうものはなかったと思います。まあ、この地域ではお盆に大体イカを食べますからね。十本を捧げ損ねる人もいなかったんでしょう。
まさかのホラーになるかと思われたが、実際にはそういうことはないらしい。
ほっとして、話を聞いたお礼を告げようとすると、トリイさんがあっと声をあげた。
トリイさん:そうだ、ジッソクサマのお姿、ご覧になりますか?
J:えっ、拝見できるんですか。見てみたいです。
トリイさんからの申し出に即答する。そりゃあ、十本足の鳥の神様の姿なんて、見てみたいに決まっている。
トリイさんは、鳥居の奥にある祠のようなところを開けて、額縁のようなものを出してきてくれた。
額縁には古い絵が納められていて、それは鳥の姿を描いた墨絵だった。
見た目は丸々と太ったニワトリで、トリイさんが言ったように大きな羽を持っている。
尾はキジのように長く、木の枝にとまった姿が描かれているのだが、下方向へ垂れ下がっているのがわかる。
そして何より目がいくのは、十本の足だ。
太い木の枝をしっかりと掴んだ十本足が、この絵がただの鳥ではなく神様の姿を描いたものであるということを教えてくれる。
ただの墨絵であるはずなのに、とても神々しく、畏怖を感じる神様の姿を描いた一枚だった。
J:これ、写真を撮るのはさすがによくないですよね。
トリイさん:よくないということはないですけど、記事に載せたりするのはあまり。普段は社の奥に収められている神様のお姿ですから。
J:そうですよね。
カメラをしまい、絵に向かって一礼して手を合わせる。
最後にじっと見て脳裏に絵を焼きつけると、トリイさんにお礼を告げて額縁を元の場所に戻していただいた。
それから、もう一度改めてトリイさんにお礼を言って、その足で今夜泊まる予定の民宿へ向かった。
記憶を頼りに描いてみたジッソクサマ
写真は撮れなかったので、記憶を頼りに描いてみたジッソクサマの姿。
見た目は普通の丸々太ったニワトリで、足だけ十本あるという感じ。
わたしが描くと神々しさなんて欠片もなくて申し訳ない。
民宿の女将・トサカさんの話
宿場町の通りのちょうど真ん中あたりに、ひときわ大きな二階建ての古民家が建っている。
こちらが、カムラもお世話になったという、民宿トサカである。
引き戸を開けて入ると、ひとりの女性の姿が目に入った。
挨拶をして宿泊したいこととジッソクサマのお話を伺いたい旨を伝えると、中へ通してくれた。
女性はトサカさん、82歳。この民宿の女将さんだった。
古くはトサカ家は旅籠屋を経営していたそうで、この建物の隣にそれは立派な宿があったらしい。
老朽化したためそちらは随分と前に壊してしまったが、今はもともと住居として使っていたこの建物を民宿として利用しているのだという。
子どもたちも皆家を出て、旦那さんも数年前に亡くなり、今はひとりでここに暮らしながら民宿を経営しているそうだ。
二階の角部屋に通され、畳の上に荷物を置いて一息つく。
トサカさんに後でお話を聞かせてもらいたいとお願いすると、下の居間にいるのでいつでも声をかけてくれとのことだった。
ここで一旦、トリヤさんとトリイさんから聞いた話をまとめてみる。
この地域にはジッソクサマという十本足の鳥の神様がいる
ジッソクサマは、あの世とこの世を行き来する
お盆には先祖の送り迎えをしてくれる
そのため、お盆にはジッソクサマに十本の足を捧げる必要がある
十本の足は食べることで捧げることができる
イカを食べることが通例で、足のある動物はお盆の時期には食べない
十本の足を捧げないと足を持っていかれてしまう?
こんな感じだろう。
最後のひとつはトリイさんによれば嘘だということだったが、トサカさんに聞いてみれば何か新しいことが聞けるかもしれない。
メモ帳を手に一階へ降りていくと、トサカさんは居間のテーブルに麦茶とお茶菓子を用意して待ってくれていた。
トリヤさん、トリイさんから聞いたことを簡単に話して、他に何か知っていることはないかと聞いてみる。
トサカさん:今の時期はお客様もほとんどいらっしゃらないから、お話を聞きたいなら何でも話しますよ。長くなりすぎちゃったらごめんなさいね。
J:それは助かります。ありがとうございます。
トサカさんは、ジッソクサマについてどんなことを知っていますか?
トサカさん:いちばん覚えているのは初めてのお盆のときのことかな。
60年ぐらい前にここへお嫁に来たんだけど、その年のお盆にご近所の方や旦那の両親から「妊娠していないか」と何度も確認されてね。
すっかり「早く子を産め」というプレッシャーなのかと思っていたんだけど、よく聞いたらジッソクサマのならわしに関わることだったんですよ。
J:妊娠していると、問題があるんですか?
トサカさん:お腹の中の赤ん坊って、まだこの世に生を受けていないからあの世とこの世の間の存在として捉えられるんですって。それで、赤ちゃんって生まれてすぐはハイハイするでしょう。だから、ジッソクサマが四つ足の魂が母体の中にあると勘違いしてしまうことがあると言われてね。
J:じゃあ、なにか特別なことをするんですか?
トサカさん:いいえ、特別なことをするんじゃなくて、してはいけないことがあったの。イナゴの佃煮を食べてはいけないって言われてね。
J:たしか、四つ足の動物を食べたらイナゴを食べて十本足にするんですよね。え、まさか、お腹の中の赤ちゃんと合わせて十本足になっちゃうから、赤ちゃんの足が持っていかれちゃうってことですか?
トサカさん:そうそう、そういうこと。間違えてジッソクサマが赤ちゃんの足を持って行っちゃうよって。
だから、妊婦さんはお盆の時期にイナゴは食べてはだめと言われました。
わたしはそのとき妊娠していなかったので問題なかったんだけどね。
J:はあ、そうなんですか……。
ちなみに、お腹の中の赤ちゃんみたいな存在じゃなくて、生きている人間の足を持っていかれるみたいな話ってあるんですか?
トサカさん:そういうのは聞いたことないかなあ。
ああ、でも、赤ちゃんの話だと、お義母さんからちょっと怖い話を聞かされて、脅かされたことがあってね。
J:脅かされた?
トサカさん:もしお腹に赤ちゃんがいるときに六つ足を食べてしまうと、両手両足がない子どもが産まれてしまうよって。
J:ジッソクサマに持っていかれる……本当にそんなことがあるんですか?
トサカさん:手足のない子が本当に産まれるかどうかはわからないけど、お義母さんが小さいころに、お盆に六つ足を食べてしまった妊婦さんがいてね。産まれた子どもは両手両足にあざがあって、歩いたり字を書いたりっていうのが少し不自由だったと言っていましたね。その子のお母さん、随分と病んでしまったって。
J:本当にあるんですか……。
トサカさん:まあ、お義母さんはそういう話をするのが上手でしたから、本当かどうかなんてわからないですよ。わたしはそういう話、お義母さん以外から聞いたこともないし。
あ、あとねえ、妊婦かどうかにかかわらず、お盆にタコは食べるなっていうのは本当にきつく言われましたよ。
J:タコですか。……八本足ですね。
トサカさん:そう。もし八本足を食べてしまったとして、十本にするためには二本必要でしょう。二本足の動物といえば鳥だけど、ジッソクサマは鳥の神様だから、鶏肉を食べるわけにはいかない。
J:なるほど。
妊婦や赤ん坊に関わること、タコを食べてはいけないことなど、また新しい話を聞くことができた。
カムラがたこ焼き屋台がないと言っていたが、それはつまりそういうことなのだろう。
そこで、ふと思い出すことがあった。
J:あの、ちなみに、タコ食べちゃったらどうするとかってあるんですか?
――たこ焼き屋台がなかったため、カムラの旦那さんはわざわざ車で街まで行って、たこ焼きを食べたのだ。
トサカさん:どうだろう。聞いたことないからわからないけど、二本足の何かを捧げればいいのかな。鳥以外で二本足って、思いつかないけど。
――二本足の生き物。
鳥以外でぱっと思いつく生き物なんて、ひとつしかない。トリイさんも言っていた。二本の足。
自分の足をじっと見つめて、わたしは黙り込んでしまった。
トサカさん:大丈夫? お義母さんの話、怖がらせちゃった?
でもね、これはこの土地に住んでいる人間のことだから、観光に来ているあなたみたいな人たちはあまり気にしなくていいですよ。それに、今はお盆でもないから。今夜はお肉もお出ししますからね。
J:ああ、すみません。急に黙ってしまって。……観光客にはあんまり関係ないんですか。
トサカさん:お盆にご先祖様をお迎えしたりお送りしたりするときのならわしだからね。この土地にお墓があるわけでも、ご先祖がいるわけでもないなら、気にすることはないでしょう?
J:それもそうですね。……でも、以前、お盆の時期にこちらに泊まった友人が、食事にお肉は出なかった、と言っていたんですが、それは……。
トサカさん:ああ、それはね。お盆の時期はわたしたち、基本的にお肉を仕入れたりもしないから。必然的にお客様のお食事も、お魚とかお野菜とかになっちゃうの。それに、なにか間違いがあってこの土地の人たちが食べてしまっても困るからね。
J:そうなんですね。
トサカさん:でも、嬉しいわあ。お友達からのご紹介で来てくださったんですか。そろそろ民宿も閉めようかなんて考えもあったんだけど、そういうお話を聞くともう少し頑張ろうと思えますね。
この土地の人間でなければ問題ない。
そういうことであれば、カムラの旦那さんも、たこ焼きを食べたことでならわしを破ったことにはならないのだろう。
実際、足に怪我をしたとか、そういうことも聞かない。元気に漁に行っていて、健康そのものだと聞いている。
部屋に戻って、カムラに連絡を取った。
面白い話が聞けたと伝えると、カムラもまた詳しく教えてほしいと言った。
旦那さんは今日も漁に出ているらしい。
なんとなくモヤモヤしていたが、彼女の元気な声を聞いて少しほっとした。
大学の恩師・オガ先生の考察
取材旅行から帰って記事をまとめながら、こういった民間の伝承に詳しい人間はいなかったかと携帯電話の電話帳や名刺ファイルをめくっていた。
わたしもこういったことには興味があり、地名や伝承についていくつか知識はあるものの、できれば詳しい人に話を聞いてみたい。
というのも、やはり、タコを食べたカムラの旦那さんと、足にアザのある娘のことが気になって頭から離れないのだ。
カムラの出産時期から、恐らく、Z村を訪れたときには妊娠していたと思われる。
妊婦の話やタコの話を聞いて、途端に、彼女や彼女の家族の身に何かありはしないかと、不安になった。
もうそろそろ五年近く経っているのだから今さらどうということもないとは思うのだが、やはり気になるものは気になるのだ。
そうしているうちに、電話帳の中に、懐かしい名前を見つけた。
オガ先生という、大学でお世話になった先生だ。
オガ先生は民間伝承や地域の神事、民俗学などについて研究にしていて、わたしもいくつか講義を受講させてもらっていた。
少人数でのフィールドワークなどもあり、専攻外の内容とはいえ楽しくいろいろなことを教わった記憶がある。
もう長いこと連絡を取っていないが、大学のホームページを見たところ今も現役で活躍されているようなので、ダメ元でメールを送ってみた。
ジッソクサマという民間伝承について聞きたいと書いたところ、翌日にはメールの返事が来て、記事の草稿を送って……としているうちに、オンライン通話でお話させていただけることになった。
J:お久しぶりです。お忙しいところありがとうございます。
オガ先生:お久しぶりです。元気そうですね。
J:先生も。ところで、早速なんですけど、ジッソクサマのお話、聞いてもいいですか。
オガ先生:ジッソクサマ、僕も初めて知りました。草稿見せてもらったけど、ちゃんとフィールドワークして書いてるの偉いね。
それで、気になることってなに?
J:実は知人が妊娠中にお盆にこの地域へ行ったこととと、その旦那さんがタコを食べたこと、生まれた子どもの足にアザがあることが気になっていて。似たような伝承があれば、それを参考にすればなにか解決策とかみつかるかなあ、なんて思ってまして。
オガ先生:お友達とご家族、今はなんともないの? なんか関連してそうなのって、アザくらい?
J:はい。だからわたしが勝手に気になっているだけなんですけど。
オガ先生:似たような伝承はないけど、赤ん坊が贄になるとか、魔除けになるとか、そういうのは聞いたことあるよ。それっぽい気がするんだよなあ。
J:贄や魔除けですか。赤ん坊が?
オガ先生:生まれる前の赤ん坊がこの世ともあの世ともつかない場所にいる、っていうのは、女将さんも言っているけど、だからこそ胎児は不思議な力を持っているという説は他でもあってね。
まあ、普通は体の中にひとつしかないはずの魂がふたつ宿っている状態になるわけだから、妊婦さんてそれだけで神秘的な存在ではあるよね。
逆に、出産や妊娠はケガレだと言われたり、そういうのもいろいろあるんだけども。
J:やっぱり、あれですか? 娘さん、贄になったってことですか?
オガ先生:いや、そこまでは。
ただ、たぶん、ジッソクサマも、余所者とはいえ、一応お盆にその村にいる人たちの魂には触れていると思うんだよね。
だからきっと、お友達も、その旦那さんも、ジッソクサマには触れられている。それで、たぶん、八本足に気付いたんでしょうね。二本足りないと。
J:余所者でも、ですか。
オガ先生:年々人が減っているでしょう、Z村。昔はご先祖よりも生きている人間のほうが多かったから足は足りていたかもしれないけど、今はジッソクサマの力自体も弱ってきているんじゃないかなあ。信仰する人が減っていくと、神様って弱ったりしますからね。
J:……そうですか。
オガ先生:とはいえ、ジッソクサマも、これが土地の者ではないと気付いて、捧げもの――この場合は足ですね、それを奪うことはやめたのだとは思います。
ただ、神様に触れられたことに強く反応してしまった者がいる。それが、恐らく旦那さんと一緒に寝ていたであろう君のご友人のお腹の中にいた赤ちゃんです。
J:存在があやふやだからこそ、神様の力にも敏感ということですか。
オガ先生:そう。それで、お父さんの足を奪わないで、という懇願だったのか、お父さんに触るな、という拒絶だったのか、そのあたりはわかりませんが、赤ちゃんの魂が、ジッソクサマに反発した。そう考えると、母体も旦那さんも無事で娘さんの足にアザができたという話でも納得がいきます。
もちろん、あくまで仮説ですし、これは僕の推論、妄想です。
ただ、胎児というのは生まれていないけれど死んでいるわけでもないという不思議であいまいな存在で、強い生命力に満ちている。神秘的な何かが起こっても、なんら不思議はないわけです。
――オガ先生に聞いてよかった、と思った。
仮説であり推論でしかないとは言っていたが、胎児の神秘などわたしでは思いつかなかった話だ。
J:じゃあ、友人もその家族も、危ないことはないってことで、いいんですかね?
オガ先生:そうですね。たぶん、アザも悪いものじゃないと思うよ。いずれ消えるといいね。わからないけど。
J:この先、気を付けたほうがいいこととかは?
オガ先生:ご夫婦は仲が良い?
J:はい。
オガ先生:なら、大丈夫じゃないかな。
たとえば離縁とかそういうことでお父さんと娘さんとの繋がりがなくなると、もしかしたらお父さんの足に何か起きたりとかするかもしれない。
もしかしたら、ですけど。
J:わかりました。ありがとうございました。
実際、娘さんのアザにジッソクサマが関係しているのかはわからない。
ただ、推論とはいえオガ先生の話を聞けたことは大いに救いになったし、記事をまとめるにあたって大変助かった。
X県Z村の「お盆に肉を食べない風習」と、その地に祀られている十本足の鳥の神様「ジッソクサマ」についての取材・考察は以上である。
神様への感謝と畏怖を忘れず、今も伝承を途絶えさせることなくに暮らしている地域が、きっと日本ではここ以外にもたくさんあるのだろう。
そのうちのひとつにこうして触れられたことは大変すばらしい経験であったし、友人のカムラや、トリヤさん、トリイさん、トサカさんをはじめとする宿場町の皆さん、オガ先生にはこの場を借りてお礼を申し上げたい。
後日談
ジッソクサマにまつわる記事は以上だ。
なので、ここから先は後日談であり、蛇足である。
先日、この記事をまとめていると、カムラから電話があった。
もうすぐ記事ができるから楽しみにしていて、というと、思いがけない言葉が返ってきた。
カムラ:それなんだけどさ、わたしの名前とか、仮名でお願いできないかな。記事自体は公開してもらって全然構わないから。
J:別に構わないけど、どうしたの?
カムラ:旦那とちょっと揉めちゃって、今別居中なんだ。今後どうなるかちょっとわかんなくてさ。
J:……そうなんだ。わかった、うん。でも、早く仲直りしてね。娘ちゃんも寂しがるだろうし。
カムラ:うん。ありがとう。
――電話を切ってからしばらくの間、わたしはまとめかけの記事を見つめて呆然としていた。
もしもこのままカムラと旦那さんが離婚するようなことがあったら、旦那さんの足はどうなるのだろうか。娘の足のアザは消えるのだろうか。
そういったわけで、今回、カムラだけでなく記事内に登場する皆さんの名前は全て仮名にさせていただいた。
ただ、Z村の皆さんにトリのつく名前が多いのは本当だ。
トリヤさんにも記事ができたらお知らせすると言ったが、そんな理由もあって、今はどうしようか悩んでいる。
よろしければサポートいただけると嬉しいです。作業環境の向上、猫のごはん代などに使わせていただきます。