オーズ完結!「復活のコアメダル」感想(※ネタバレ全開!)

初日の本日「3月12日」に「ムービックスさいたま」まで観に行って来ました!!
(何故ロケ地貢献度の高い筈の群馬で一館も上映館が無いんだ!!)

平成ライダーシリーズの中で、個人的に一番思い入れの強い作品
「仮面ライダーオーズ」

当時、久しぶりに1話から最終話までドハマりして完走した仮面ライダー

大人になって初めてDX変身ベルトを買った仮面ライダー

何度も見返した仮面ライダー

その度に何度も見返してきた仮面ライダー

MOVIE大戦MEGA MAXも泣いたし、平成ジェネレーションズFINALでも泣いた仮面ライダー

今回の完結編が発表された特報観ても泣いた

そう、それだけ思い入れが強い

それ故に、不安も有った

平ジェネFINALに関しては、感動もしたし、泣いたけども
何処か食傷気味な気持ちも正直有った。

今回「復活のコアメダル」を鑑賞するにあたって、SNS等のネタバレ回避も
かなり気を使ったし、先行試写を観た人達の感想も極力目に入れない様に
心がけた。

僅かな情報でも、それがポジティブな情報でも、ネガティブな情報でも
バイアスが掛かってしまうと思ったから

普段はそこ迄ネタバレは気にしない人間だが、本作は「オーズ完結!」と
謳われている時点で、出来る限りフラットな気持ちで観た方が良いと直感
した。

実際今日までの間に、先行試写を観た人のツイートを目にする機会も有った
皆、ネタバレしない様に細心の注意をしているのが伝わってきた
しかし、行間からただならぬ気配を感じてしまった。

「これは、期待値を出来る限り下げておいた方が良いかも知れない」
そう思った。
既にバイアスはかかってしまった・・・

更に言ってしまうと、事前に公表されていた事前情報に関しても、個人的な懸念事項は有った。

脚本家がシリーズのメインライター「小林靖子」さんでは無く、数話担当
していた毛利氏だった事だ・・・

これは非常に重要な事だ、以前のアマゾンズ劇場版での苦い経験が有るからだ

劇場版仮面ライダーアマゾンズ-最後の審判-」は個人的に脚本に対して
大きな不満が有った事が否めなかったからだ

既にこれだけバイアスがかかってしまっているので、果たして純粋に楽しめるのか?
そう不安な気持ちがよぎる。

そんな心持ちで劇場に向かった・・・



さて、いよいよここからネタバレを含む感想を思う存分語っていこうと思う


未見のかた、ネタバレを知りたくない人は、ここで引き返して欲しい










それでは、感想を述べていきたいと思います。

まず、率直な感想先に言ってしまいます。

個人的には、



「賛否の賛」


ありがとう仮面ライダーオーズ!!


ありがとう火野映司!!


ありがとう!!渡部秀!!



フォーエバー仮面ライダーオーズ!!



です。


そう、個人的には観て良かった!!

そんな作品でした。


但し100%文句なしの大傑作か?と、問われれば

ツッコミ所や、腑に落ちない部分、描写もいくつか有った。

現にSNS上でのネタバレ感想を色々と見てみると、賛否両論分かれているし
寧ろ、賛否の否が少し多い気もする。

ただその賛否両論有る感想に関して、的外れな批判等は無い様に感じた。

否定的な意見であっても、「気持ちは解る」といった印象

今回何故ここまで賛否両論巻き起こっているのか、それには幾つかの要素が
有る様に感じているので、ポイントを整理してみたいと思う。


個人的に感じた本作の良かった点

・主要レギュラーメンバーがほぼ総出演。
・監督を本編のメイン監督だった田崎監督が担当。
・キャストの演技力が素晴らしい。
・過去作からのキャラクターのブレが殆ど無い。
・ビターなラスト。
・数少ない新キャラクター、800の王とゴーダの
 違和感の無さ。

個人的に気になった点

・映司はタトバ用のコアメダル持ってたんだっけ?
・バース組の扱い
・過去作との世界観の矛盾点
(TV本編から直結なのか、MEGA MAX等の劇場版経由の世界観なのか?)

個人的には、良かった点に比べ気になった点が少なかった。

しかし、SNS上のネタバレ感想を色々と見ていると、思った以上に否定的な感想が多い事に驚いた。
ただ、否定派が多い事には驚いたが、何が駄目だったのかという内容については、理解は出来ると思った。


主な否定派の意見は

①本編ラストの展開を否定する様な映司の言動
②こんな結末は誰も望んでいない。
③TVシリーズでは、3.11の震災があり、登場人物の死を避ける展開へと
 方針変更したにも関わらず、何故今回映司を死なせたのか?
④ファンの想いを裏切った。
⑤バース組の扱いの雑さ。
⑥最終回オマージュがくどい。本編最終回を神格化し過ぎている。

①~⑥の意見に関して、共感する物も有るし、共感まではいかなくとも
理解は出来る内容かな?というのが率直感想でした。

では、何故トータルの作品評価が賛否両論分かれるのか?

個人的な見解としては


1.加点ポイントと、減点ポイントの個人差
2.作品愛故の解像度高過ぎ問題
3.どこにノイズ感じるのか、逆にノイズをキャンセル出来るのか?
4.本編終了後の劇場版等の解釈の違い
5.本作にそもそも何を求めていたのかの違い。
等が本作の評価を分けるポイントの様に感じました。
6.MEGA MAXで提示された『いつかの明日』観の違い。
7.そもそもの好きな展開の好み
8.本編終了後の様々インタビュー記事でスタッフやキャストが語っていた
  3.11の震災を考慮したストーリーの変更について、今回の結末との矛盾
  を感じるかどうか。

  

ざっと上げてみてもこれ位は争点が有る様に感じる。
一つ一つ自分なりの考えをまとめてみる。


1.「加点ポイントと、減点ポイントの個人差」について


観客一人一人の趣味嗜好も関係してきますし、作品への思い入れや、キャラクター等への思い入れの差が大きく影響する様に感じます。
何処で加点・減点が発生するのか、同じ箇所でも加点・減点の得点差も生じやすい。

2.「作品愛故の解像度高過ぎ問題」について


オーズと言う作品は特に根強いファン、思い入れが強いファンが多い印象がありす。
それ故に、ファン一人一人の中にある「仮面ライダーオーズ」観という物が
凄い密度で形成されている様にも思います。
その結果、ファン同士は勿論、公式とファンの間でも解釈違いが生じやすい
状態が出来上がっていたのかなとも思いました。

3.「どこにノイズ感じるのか、逆にノイズをキャンセル出来るのか?」について


これについても、個人差が非常に大きいと思います。
キャラクター描写、世界観、脚本、演出
一つの要素に特化して、解像度や受信感度が高くなってしまう人もいれば、逆に解像度が低く、受信感度が低い人も居るでしょうし、その差によっても
作品の評価に違いが出る様に思います。

4.「本編終了後の劇場版等の解釈の違い」について


本編終了後に客演している劇場版に関しては、大きく「MOVIE大戦MEG AMAX」「MOVIE大戦CORE」「MOVIE大戦アルティメイタム」
「平成ジェネレーションズFINAL」が本編と地続き的な描かれ方をしている訳ですが、今回の「復活のコアメダル」の感想を見ていると
本編~上記の劇場版~復活のコアメダルという流れと解釈している人と、
本編と劇場版はパラレルとして考え、本編~復活のコアメダルという解釈の
人も居る様でした。
本作を否定的に受け取っている人達は、本編の後の劇場版を経て映司が今回の様な結末を選択するのか?という疑問を持つ人も結構いる様に感じました。

5.「本作にそもそも何を求めていたのかの違い。」について


オーズファンの多くは、MOVIE大戦MEGAMAXで提示された「いつかの明日」について様々な想像を膨らませていたと思います。
2年以上続くコロナ禍、本作の公開直前のロシアのウクライナ侵攻等、
10年前の震災時にも通じる閉塞感と、やり場の無い怒り
そんな辛すぎる現実を忘れさせてくれる様なハッピーエンドを求めていたファンも多かった様に感じます。
ですが、同時に特報で謳われていた「完結編」という言葉に重きを置いていたファンもいたと思います。私はその一人です。

6.「MEGA MAXで提示された『いつかの明日』観の違い。」ついて


これは非常に重要なポイントだと思いました。
上記「5.」とも重なる部分ですが、「どんな事があってもハッピーエンドであるべき!」と考える人もいれば、「それ相応の代償は払わなければならない」と言う人もいるでしょうし、パンフやキャストの皆さんのインタビュー記事等を見ても、製作段階からかなりの時間をかけて慎重に慎重を重ねて話し合われて来た事は容易に想像出来ます。
正に何処に重きを置くか、その違い。
その可能性は一人一人の頭の中にあり、どうしたって全てのファンが手放しで許容出来る訳は無いだろうなと個人的には思いました。

7.「そもそもの好きな展開の好み」について


これに関しては、「それを言い出したら元も子もない」と言われてしまうかもしれませんが、「仮面ライダー」とか「オーズだから」とか以前に、誰しも好みの作風や展開というものは有る筈です。
「ハッピーエンドで終わる作品が好き」
「バッドエンドは苦手」
これももっと細かな好みの別れ方も有りますし、好みとオーズ完結に関しては別って考えの人も居ると思います。

8.「本編終了後の様々インタビュー記事でスタッフやキャストが語っていた3.11の震災を考慮したストーリーの変更について、今回の結末との矛盾  を感じるかどうか。」について


これも、結構色々な人の感想で目にした意見でした。
私もこの様な発言がされたインタビュー記事等を読んだ事が有ります。
ですが、本作の結末に矛盾は感じませんでした。
しかし、矛盾を感じてしまう人の気持ちも解ります。
これも観客一人一人の解釈の違いでも有ります。
本作の結末で起こった一つの事実、非常に重く、辛い事実をどう解釈するか
そこに絶対の正解は無いんじゃないかと私は思います。


以上の1~8のポイント踏まえた上での、最終的な個人的な感想、解釈


賛否両論に対する考えについて述べていきたいと思います。

前半でも述べた通り、私は本作は「賛否の賛」です。
極力事前情報を入れず、過度な期待もせず、出来る限りフラットな気持ちで観ました。

私自身出来る事ならハッピーエンドが良かったとは思いますし、途中までは
アンクが映司の身体に憑依し、映司が復活する新たな「いつかの明日」が提示されるラストを想像していました。
ですから、ゴーダとの戦いが終わり、映司がアンクを自分の中から押し出した時に唖然としました。
ですが、それでは完結しないんですよね
そもそも、FINAL EPISODEで文字通り仮面ライダーオーズの物語は一旦完結してるんですよ
ただ、大人の事情と言ってしまえばそれまでですが、年末には「MOVIE大戦MEGAMAX」で映司とアンクのバディが一時的ではあるものの復活しました。そして、「いつかの明日」が提示された訳です。
これも苦肉の策だったと思います。

誰だって、最終回は寂しいし、またこのキャラクター達と再会したい!
そう思う事は仕方が無いと思います。
実際に「仮面ライダーオーズ」という作品は沢山の人に愛され、沢山の人の心も救ったと思います。

そして、ファンのまた会いたいという「想い」「希望」・・・
謂わば「欲望」はどんどんと膨らんでいきました
そして、平成ジェネレーションズFINALでついに映司とアンクが再び再会を果たす訳ですが、FINAL EPISODEの再現ともいえる熱量を感じる描写でした
が、あの時点で一部のファンは食傷気味になっていた様にも感じました。
そして、この再会は「いつかの明日」では無い事は暗示されて終わりました。
本来は永遠に来る事の無い「いつかの明日」だったのかもしれません。


ですが、ファンの想いが、ファンの欲望が
とうとう10周年という節目の年に「復活のコアメダル」となって実現してしまった。

10周年でお祭り的な作品をやるという選択肢も有ったかもしれないし、グッズ展開やトークイベントだけでも良かったかもしれない。

でも、新作を観たい!「いつかの明日」を観たい!
そう願ったファンも多かった筈です。
実際に情報解禁の時の盛り上がりは凄まじかった。

話を戻しますが、本来はFINAL EPISODE、そしてMEGA MAX迄で十分完結している作品だと個人的には思います。

故に2度も完結させた作品の新作を「完結編」として制作させると言う事は
本当に終わらせる必要が生じてしまったのではないか?
と、私は思いました。

もしかしたら、平ジェネFINALの時点で「次にやるとしたら真の完結編」という思いが関係者の方々には有ったのかもしれません。
でないと縮小再生産を繰り返す事になってしまうのではないか?と

本作を劇場で観終わった後に、TVシリーズの第一話とMEGA MAXを観直しました。

そして思った事は、一話の時点で映司は本来死んでいたんだなと
そしてアンクもまた、映司がそこで死んでいれば、恐らくカマキリヤミーにやられていただろう事

そしてMEGA MAX内での、「じゃあこれだけ、一緒に戦うのはこれが最後?」という映司の問いに、「そうしたく無かったら、キッチリ生き残れ!」と返すアンク、そして、戦いが終わった後、映司の後ろ姿を見るアンクの表情。
それがちゃんと復活のコアメダルと繋がっている!と、感じました。

本編から直に復活のコアメダルなのか、劇場版を含む時系列なのかは、公式には明言されていませんが、個人的には、少なくともMEGA MAXを通した時系列ではないか?と解釈しています。

それから、本作の終盤に映司を助ける意味でも、映司に憑依していたアンクを映司が押し出した事について、何故映司は自分が助かる可能性を自ら手放す様な事をしたのか?
そして、アンクは何故再び憑依しようとしなかったのか?
について、FINAL EPISODEの事を思い出したのが、アンクは命を得る事が出来き、欲望の塊で満足を得る事が出来なかったグリードが、満足して死をむかえる。
そして、アンクとの別れを諦めたくない映司に対して、「お前が掴む手はもう俺じゃないだろ」と諭すシーン。で
こういう解釈も出来るのでは?と思ったのが

復活のコアメダルでのアンクは、ゴーダが演じる映司の違和感に即座に気付き、終始ゴーダの演じる映司に対して、「映司はそんな事は言わない・やらない」と言う事を再三指摘する。
それだけアンクは映司の思考や言動を理解している訳で、映司があそこでアンクを押し出した意図も、グリードにも勝るとも劣らない欲望を持つ映司が
欲望を満たし、満足して死を受け入れている事も
何故自分が蘇る事が出来たのかも、全てを悟って、だからこそもう一度憑依した所で映司がそれを望んでいない事、そして、映司が息絶えたとしても、
映司の魂はずっと自分のそばにいるって事をアンクは思ったのではないか?と、何故ならアンクの魂はずっと映司と旅をして居た筈だから

そんな台詞も描写も無かったじゃないか!って意見も大いに有ると思うけど
これは、復活のコアメダルを俺はこう解釈した。と言う事
自分なりの答え

よく、「そんな台詞無かった」「そんな描写は無かった」という否定的な意見を様々な作品に対して目にする事が有るけれど、全てを明確に描く事が正解とは限らないと個人的には思います。

余白や行間は有って良いし、それが全く無い作品なんて
それこそ面白みが無いと個人的には思うから。

だから、賛否両論有って良いし
人の数だけ仮面ライダーオーズの結末、復活のコアメダルの結末は有って良いと思うんですよ。

後、今回の賛否両論分かれた要因の一つには
10年前以上に、終わりの見えないコロナ禍による閉塞感ややり場の無い苛立ち、ロシアのウクライナへの侵攻等
辛すぎる現実によって、心に余裕が無かったり、救いを求めている人も多いだろうし、せめてフィクションの世界にだけでも救いを求めていた人も多かった故なのかな?とも思いました。

これは、ゼロワンのお仕事五番勝負の時に感じた感覚に近い

後、見ている人達それぞれの年齢で有ったり、生きている環境で有ったり、人生経験、様々の要素も重なっているとも思います。

5年後10年後、時間が経って見返してみたら、全く違う印象を受けるかもしれない。

歌とかもそうだし、映画やドラマ、漫画もそうだけど、どれも生物だと思っていて。
作品自体が持つ力も有るけれど、受取る側の状態も多大な影響を与えていると思う。
だから、面白い

どんな作品でも賛否両論有って良い

但し、自分の好きな物を褒めるのに、他を貶したり

自分の思う正解を絶対と思わない事、他者に押し付けない事
ましてや作り手の方々に「間違っている」等と直接言わない事

あなたが思っている正解は、あなたから見た正解でしか無くて
全員の正解では無いから

他の人の感想や意見を観て、「自分と違う」「合わない」と思うのは自由
ただ、自分の意見が絶対に正しくて、他者の意見は間違っているというのは
錯覚でしかない。

同じ意見と思っても、人それぞれ度合いも違うだろうし、合う所も有れば
合わない所も有る。そんなもん

そんな見方も出来るのか?と
それを認めろって話じゃなくて、そういう見方も有る
目線が増える事で、より作品を楽しめる場合も有るよって話



長文乱文になってしまいましたが、初めてのnoteなので大目に見て頂けたら幸いです(;^_^A

誤字脱字も有るかもしれませんが、どうぞお手柔らかに

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