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子どものチカラ〜運動会を通して〜

初めまして。認定こども園で働く保育士のちばっくすです。

先週末に運動会があり、その活動の中で感じたことを綴ってみました。
長々と駄文ですが、良かったら目を通して見て下さい。

うちの園では運動会で年長がリレー勝負をすることが恒例になっている。
このリレーがすごい。たかが5歳児、されど5歳児。
リレーをやりたい気持ちと自信が持てない葛藤。
アンカーをやりたいけど、自分より速いクラスメイトがいる現実を受け止める姿。
クラスが勝つためにはどうしたらいいのか本気で考える子どもたち。
今年度も子ども一人ひとりが主人公のそれぞれのドラマがあった。

【オレのせいで負けた…】

普段の生活の中でもクラスをリードする存在のS。でも、大事な所ではなかなか一歩が出ない。そんな印象の男の子。
そんなSが運動会の活動を通して、足の速さに自信を持つようになる。周りからも認められ、タイムを計るとクラスの中で一番速い。名実共にクラス一の俊足。
しかし、Sがアンカーをやる日は勝てない。もう一方のクラスのアンカーの方が速いから。
ある日のリレー勝負。Sが先にバトンを受け取り、僅かにリードした状態でその日の勝敗はアンカーに託されていた。そこでSが抜かれてしまう。もちろん勝負は負け。静まり返るクラスの子たち。
部屋に戻って話し合い。Sが開口一番に「みんなに言いたいことがある。オレ、昨日もアンカー走って、今日もじゃん?…だから負けてるのオレのせいなんだ…」と発言。実は昨日の勝負もSがアンカーを務めて負けている。そんなSの正直な告白にクラスの子たちは一瞬黙り込むが、すぐに「そんなことないよ!」「がんばってたじゃん!」とSを励ます子どもたち。するとその姿を見て、Mも担任の後ろに隠れながら「あたしもみんなに謝らなきゃいけないの…だってバトン落としたから負けたんだよ…」と告白。しかし、それに対しても誰も責めることなく、「きょうはみんな調子悪かったんだよ!」とクラスをフォローし合う子どもたち。自分を受け止め、勇気を出して告白した2人。それを受け止めるクラスの仲間たち。そんな仲間に救われた2人。

その後も練習は続き、運動会も近づいてもなかなか勝てないクラス。そんな中でついに一人が「Sがアンカーだと勝てないから、Kがアンカーがいいと思う。」と発言。KはSの次に速い男の子。アンカーに立候補するもタイム計測でSに及ばず、アンカーをSに託していた。少し前はアンカーに対して自信を喪失していたS。しかし、今回は「オレが一番速いから、オレがアンカーやりたい!」と自信を持って返答。そんな姿に提案した子も納得した様子。

そして、運動会当日。この日も勝負の行方はアンカーに託された。今回は相手クラスが僅かにリードした状態でバトンが回ってくる。「絶対抜かす!」そんな気迫で懸命に走るS。しかし、気持ちが先行してしまい、最後のコーナーで体制を崩してしまう。それでも諦めず走るS。
結果は負け。他の子たちが泣き崩れる中で、グッと堪えたS。運動会が終わり、園を出るまで鼻水は垂らすものの、Sは涙を見せなかった。

【クラスのために】

年少の時から自分の思い通りにならないと怒って泣いて暴れていた男の子。
色んな先生が手をかけ、気にかけ。あの手この手でこの子の思いはどこにあるのか。何がしたいのか。どうしたら気持ちよく過ごせるのか…模索の毎日。
学年が上がるに連れて、少しずつだが着実に成長をしているものの、リレーに関してもやるかやらないかはその時の気持ち次第。そんな姿にクラスの子もちょっとヤキモキ…。
それでも今までの彼を知っている分、無理に入れようとしないクラスの雰囲気。

そんな彼も参加したリレーの中で、周りから「速い!」と言われ自信をつけている様子。アンカーにも立候補するぐらいに段々と気持ちを入れ始めた。

ある日のリレーの順番決め。この日はアンカーをじゃんけんで決めることになり、アンカーを勝ち取った彼。しかも、初めて当日用のビブスを着用し、アンカー襷もかけてとっても嬉しそうに担任以外の先生に報告して周っていた。
しかし、いざリレーを行なおうとしたら雨が降り出し、勝負は午後行うことに…。子どもたちは気持ちを切らさないためにビブスを着たまま昼食をとる。
その時間に色々と考えた彼。
「自分がアンカーになって嬉しい。でも、クラスが勝つには自分以外がアンカーの方が…」
その結果、昼食後に担任のところに行って、「○○が速いから、アンカーは○○がいいと思う。」と自ら提案。驚く担任にも「だって、○○は足速いんだよ。だからアンカーがいいと思う!」と、好きなリレーを通して、『自分』から『みんなの中の自分』に気づけるようになった彼。その後、「オレは△△のあと走る!△△で遅くなった分、オレが走る!」とクラスの中で上手く走ることができない子の後ろを走って、その分を自分がカバーするというポジションに入ることを提案していた。

そんな彼の姿もあり、当日までも入ったり入らなかったりする彼をクラスのみんなは「運動会の日はやるよね!」と信じて待っていた。

当日は△△の後ろではないものの、自分の精一杯を出して見事に金メダル!
授賞式後も閉会式中もその嬉しさを抑えきれずにトラックを何周も走って、その気持ちを表現していた。
そんな姿を誰も止めず、咎めず受け入れるみんな。そんな存在が彼にとっては心地よく、「自分」中心だった考えを広げるきっかけになっていったんだろうな。

【走りたくない…】

自閉症のT。クラスの活動にはなかなか入れず、今回のリレーも「走らない!!」と言って、部屋にいた。クラスの子たちは言葉には出さずともTのことを理解をしていて、走らないことに何かを思いつつも受け入れていた。
T自身もクラスのみならず、学年、園内が運動会モードになっていくにつれて、その雰囲気を感じて、クラスの作戦会議で同じ空間にいる日もあれば、荒れる日もあり、他の子を遊びに誘って飛び出していく日もあり…モヤモヤを消化しきれずにいた。しかし、確実にクラスの子たちが一つの目標に向かってまとまっていくのは感じていた様子。日が経つ毎に部屋からデッキへ。そして、外へ。小さな声で応援をしている。段々とリレーに近付くようになってくるT。登園数が少ない土曜保育や、民間療育の場では自らリレーごっこをして楽しんでいる様子。
そして、運動会直前。担任が子どもたちにTのことを話す。
「なんで走らないのかわからない」「同じクラスなんだから走ってほしい」
「リレーより遊ぶのがすきなんじゃない?」「でも、クラスなんだから人任せはダメ」
「やりたいけど、負けるとイヤになっちゃうんじゃない?」など、色々な意見が飛び出す。
すると、同じく自閉症のMが「私は気持ちわかるよ。ざわざわするのがイヤなんだよ。」
そこへTが部屋に戻ってくる。自分の話をしていたことを直感的に理解し、「やだやだ!」と部屋から抜け出そうとする。
担任「Tの気持ちもわかるよ。でも、みんなのTに走ってほしいっていう気持ちもわかる。だから、Tに決めてほしいの。走るなら走ってもいい。応援するなら、みんなはTの分も走るよ。どうしたい?」
T「…運動会になったら走る。。。」
そして、その日のリレー勝負。宣言通り、この日は走らないものの誰よりも大きな声でクラスを応援するT。そして、結果は負け。するとTはみんなと同じ気持ちを感じたように大声で悔し泣きをしていた。クラスと気持ちが通った瞬間。

当日、Tは全ての競技に参加。リレーも初めて走り、Tの速さにみんなが驚く。結果は負けてしまったものの、もらった銀メダルを見て満足気な表情のTだった。

【おわりに】

子どもたちの生活の中には様々なドラマがある。一つとして、大人が仕掛けて起こそうとしたものはなく、それぞれが自然発生的に生まれている。

それでも、うちの園の職員は年長担任を敬遠しがち。
行事の負担や運動会で何かを起こさなきゃと思うから。プレッシャーを感じている。
起こそうとして起こるものではなく、子どもたちの生活の全てがその子にとってはドラマそのもの。

大人はあくまでもその子どもの姿をキャッチして、アシストをしているだけ。全部子どものチカラ。

子どもってすごい。去年の今頃はこんな姿を見せてくれるとは思わなかった。
今、年中の担任をして「この子たちがリレーなんてできるのか…」と不安を感じていたが、今の年長は自分にとって希望の星。年長を見ていると「きっとあの子たちも一年後には立派な年長に成長している」。そういう風に思える。子どもから教わった素敵な教訓。


そして、もう一つ。
リレーをやる意義とは。毎年これを通して子どもたちはすごく成長する。
それはなぜなのか。何がすごいのか。
職員で言葉にして語り合うのも大切かもしれない。
それぞれが感じたことや漠然としたリレーの意義みたいなものを言語化してまとめるとわかりやすくなるかもしれない。
年長へのプレッシャーも減るかもしれない。

今の保育現場はなかなかそういった時間を確保することが難しいが、それはまた別の問題なのでまた今度。


運動会ってやっぱりすごい。

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