「日本」である母と、「沖縄」である父と

幼い記憶の中で、父と母はいつも喧嘩をしていた。お互いを罵りあい、手も出たし、物も飛び交った。

男と女の恋愛なんて、♪両成敗でいいじゃな~い、と思うし、息子としてどうこう言うつもりもないが、どうしてもやるせなかったことが一つだけある。

それは喧嘩のたびに「ナイチャーのお前に何が分かる」「うちなんちゅのあんたには分からんさ」という言葉が両親の口をついてしまうことだった。

本心からと言うよりは、売り言葉に買い言葉のようなものだったと思うが、僕自身は日本と沖縄に仲良くしてほしかった。つまり自分の中の「日本」である母と、「沖縄」である父に。

これがおそらく自分のベーシックな感情。三つ子の魂というか、インナーチャイルドというか。トラウマみたいなもんだろう。

そこが原点となって、僕は異文化の「架け橋」という生き方を選ぶことになる。

それは二つの異なる価値観の間で板挟みになりつつも、お互いのカタを持ち、体を張って争いを回避させる覚悟のようなものである。

99年に結成したバンドDUTY FREE SHOPP.のコンセプトは「繋ぐ、混ぜる、越える」というものだった。好きな音楽の違いはすなわちアイデンティティーみたいなものだと思う。価値観や判断基準に直径してゆく。違うジャンルの人が聞いてもカッコいいと思わせるものを作ること。そこから普段聞かないジャンルを理解する扉が開く。

ミクスチャーというジャンルを選んだのは、無意識だったけどそういう自分にとっての必然性があったんだと思う。


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