徳川まつりは2人いる? / なま

徳川まつり学会のなまです。
タイトルの通り、徳川まつりの解釈をやっていきます。タイトルの「2人いる」には2通りの意味があって、一つは彼女がアイドル活動を通して理想の自分を演技しているという意味、そしてもう一つはゲームの構造上のメタ的な意味としてです。
つまり、前者は理想のアイドルである「まつり姫」と素の自分である「徳川まつり」の話題、後者はグリマスとミリシタでキャラクターは共通しているが、思い出は共有されないといった話題ということになります。(このテーマは徳川まつりのみならずミリオンスターズ全アイドルに敷衍できます。)
本記事ではこの2つの「違い」のテーマを軸に、イベント「メメント?モメント♪ルルルルル☆」の考察を挟みつつ、持論をまとめていけたらと思います。

『違う異次元世界』の……『違う徳川まつり』のはずだッ!

先にメタ的な「違い」の問題を片づけてしまいましょう。そもそもミリオンライブ!はグリマスとミリシタ2つの潮流があり、ミリシタがグリマスを形式上引き継ぐ形でコンテンツは続いています。ここで、グリマスの「記憶」がミリシタに引き継がれていれば良かったんですが、実際はそうではありませんでした。
詳細に検証していきます。先に述べたミリオンライブ!が抱える根幹の問題を具体化すると、「グリマスとミリシタで担当アイドルとの出会い方が明確に違う」ことに行きつくでしょう。
グリマスで「出会い」と位置づけられるものは、最初にプロデューサーが目にする「自己紹介ボイス」、「アピールボイス」そして「抱負ボイス」に加え、2016年に更新された「NP(Next Prologue)編」のアイドルストーリーが挙げられます。このNP編ではいわゆるシアター組だけでなく、春香をはじめとしたAS組とも初対面の状態からコミュが展開されます。
一方で、ミリシタでは「メモリアルコミュ」がグリマスでいうNP編の役割を担っています。ここでグリマスとミリシタの大きな相違点として、グリマスではシアター組とAS組が、(厳密には天体公演を除いて)平等に扱われていたのに対し、ミリシタではAS組が先輩、シアター組が後輩と明確に区別されて扱われていることが挙げられます。
またミリシタはアニマスの続きと示唆される部分も多く、例えばムビマス(劇場版)のエンドロールに765プロのオーディションのカットがありますが、その場にいた可奈、風花、エミリー、琴葉そしてまつりは全員、ミリシタでもオーディションでのスカウトになっています。グリマスにもムビマス放映時の公式のボイスドラマ「VideoM@ster版公開記念ドラマ」というのがありますが、そこではムビマス準拠のストーリーが展開されます。余談ですが、本ボイスドラマCHAPTER01の8分40秒ごろに、養成所のアナウンスという文脈で「芸能総合クラス所属の徳川まつりさん」という呼び出しが聞き取れるという徳川まつりさん㊙情報があります。
加えてミリシタで「白石紬」と「桜守歌織」の2人のアイドルが追加されたことも、良し悪しではなく、グリマスとミリシタが別の時空にあることを決定づける要因となりました。

“君”との出会いって何度目だったっけ?

ここまで延々とミリオンライブ!は多次元であるみたいなことを述べてきましたが、このことを念頭に置くとハッとさせられる歌詞がありませんか?…そう、「メメント?モメント♪ルルルルル☆」の「君との出会いって何度目だったっけ?」というフレーズです!!(強引な話題転換)
ご存じの通り本曲は「記憶喪失」をテーマにした楽曲ですが、さっき引用したフレーズも「こんなに嬉しいことをもいちど プレイバックできるなんてラッキーです!」と続くように、自分の身に起こった「キオクソーシツ」という事態を前向きに受け止めるような楽曲になっています。リリースが2017年とまだグリマスがあった時代の曲ということもあり、今聴くとまた感慨深いものがありますね。
ちなみにこのフレーズ、「今まで登場しなかった『君』の存在がラスサビになって唐突に明らかになった」という点と、「何度も記憶喪失を経験していることに自覚的になっている」という点で、二重に劇的なんですよね。 「君」って誰?という話もありますが、本記事では楽曲自体の解釈は委ねるとして、本曲がミリオンライブ!のキャラクターソングであるという部分にフォーカスして考えていきます。

楽曲「メメント?モメント♪ルルルルル☆」はミリオン4thに向けたCDシリーズ「LIVE THE@TER FORWARD」に収録されました。LTFと呼ばれる本CDシリーズでは、太陽、月、星に分かれ、それぞれのテーマに沿った楽曲が作られる、キャラクターベースの楽曲というよりは、コンセプトベースの、よりアイドルソングに寄せた楽曲が多い印象ですが、メモルについては歌唱の未来、美也、まつりそれぞれのソロ曲にまつわるワード(「ハッピ〜です!」「フェスタみたい」「素敵なキセキ」)が散りばめられているくらいで、「記憶喪失」をテーマにした“普遍的”な(=誰が歌っても文脈として差し障りのない)曲といえます。実際、グリマスでの該当イベント「星の煌めき☆Starlight Melody!!」では、お披露目ライブのMCという状況での、美也の「みんな、どうでしたか~?私達の歌で、「甘くてふわふわ」になってくれましたか~?」というセリフにしか楽曲に触れた話はありませんでした。
そういったわけで、今年のミリシタでの楽曲イベント「メメント?モメント♪ルルルルル☆」が初のLTF楽曲に濃く触れたシナリオでしたが、蓋を開けてみると、よりにもよってまつりが記憶喪失をするという衝撃的な内容でした。本番ではなく準備期間中に記憶喪失の体験をし、その体験をもとに楽曲を完成させるという後付けの設定がつきましたが、なにより事件性があったのは、解釈によってはグリマスとミリシタで設定が食い違う部分がある、ということです。

ウミウシと「まつり姫」

具体的に見ていきましょう。問題の箇所は報酬SR「タウラス 徳川まつり」の覚醒コミュでした。プロデューサーが元に戻ったまつりに記憶喪失だったときの様子を問われての、「あ、そういえば美也と未来が、まつりはウミウシもそんなに好きじゃないみたいだって言ってたかな。」という発言です。
勿論これが伝聞に過ぎないというのは置いておいて、まつりの自己紹介の「好み」の欄には、「焼きマシュマロ」に並んで「ウミウシ」もあります。まつりが(焼き)マシュマロを観賞用と思っているのは有名な話ですが、このセリフを額面通りに受け取り、まつりがマシュマロのみならずウミウシが好き、というのも、自身のイメージ戦略の一環だった、と受け取ってよいのでしょうか?
グリマスでまつりがウミウシに言及したコミュとして、先に述べたNP編の「徳川まつり Lv3」が挙げられます。水族館のリポートの仕事の休憩時間に、プロデューサーとの間でこんな一幕があります。

「はいほー!ウミウシさん、やっぱりとってもかわいいのです。とびきり・きゅーと!なのです~。」「プロデューサーさんも、かわいいと思いますよね。…ね?」
「ええと、どの辺がかわいいんだ?」
「いろんな色の子がいて、みんなウニウニしてて…見ているだけで、癒されるのですよ。」

ウミウシは主に浅い海の海底に生息する海洋生物で、牛の角のように2本の触覚があるからウミウシというそうです。色や模様も多彩で、世界中で3000種類以上いると言われておりいちごミルクウミウシなど、個性的な名前がつけられることも多いです。ちなみに徳川まつりの彩色に一番近いウミウシは「アカフチリュウグウウミウシ」らしい。
そんなウミウシを見ることでまつりは「癒される」そうです。

「まつりはちょっと変わってるんだな。個性的なのは、いいことだと思うぞ」
「…プロデューサーさん、それは違うのですよ?」
「女の子は、みんな不思議のかたまりなのです。まつりだけじゃないのですよ。」
「言われてみれば、そうかもしれないな。事務所のみんなだって個性的だし…。」
「ふふ。だから、まつりだけじゃないのです。でも、まつりだけでもあるのですよ?」

種類が豊富なウミウシは、多様性の象徴、個性の共存の象徴とみることができます。
ご存じの通り、その外見、言動、口調から、まつりは個性的と言って差し支えないアイドルですが、プロデューサーの前で素を見せる場面があるように、「まつり姫」は、「徳川まつり」が思い描く「理想」であり、アイドルを通して理想の自分を「演じて」いると捉えられます。そうした彼女の在り方の理想を、多様な個性が共存する「ウミウシ」になぞらえ、好きなもの、転じて自らの軸としているのでしょう。

一旦のまとめ

多様性の受容、個性への寛容というのは、「まつり姫」たるまつりの思想でも中核を担うものだと思います。その象徴である「ウミウシ」には多少の思い入れがあるからこそ、アイドル「徳川まつり」の好きなものに、マシュマロと並んでウミウシを挙げたのでしょう。
今回のコミュによると、記憶喪失になったまつりは、ウミウシに対して少なくとも好感を抱かなかったようです。一方で、記憶喪失中「私、小さい頃から、アイドルになりたかったんだ。」と発言している(超絶重大情報)ことから、「憧れ」といった根底の記憶は保持されているはず。
「好きじゃない」というのが、未来と美也からの伝聞情報なのでなんともですが、ウミウシを見て記憶喪失のまつりはどんな感情を抱いたのでしょうか。ウミウシがトリガーになって記憶が戻ったら激エモコミュでしたね。終わりだよ~

笑って、悩んで、女の子たちは、もっと輝く

終わるまでは終わらないよということで(?)、ここまで読んでくださった、言わば厳選された読者層に向けて、徳川まつりというキャラクターの掘り下げをさらにやっていきます。
前項で、まつりが小さい頃から心の底にアイドルに憧れる気持ちがあったということに触れましたが、どうしてそもそもまつりはアイドルになりたかったのか、そして正統派とは一線を画した「まつり姫」というキャラクターを、デビューにあたって"作った"のでしょうか。
この答えを見つけるには、まつりがアイドルになる前について知る必要があるでしょう。今更ですが、ここからの内容は推察を多分に含みます。

まつりと"徳川家"

まつりの過去を知る手掛かりは、彼女のプロフィールやコミュなどに散りばめられています。
中でも一番の情報は、彼女の名字である「徳川」でしょう。
徳川という名字は知っての通り、江戸時代に栄華を極めた徳川将軍家、徳川御三家が有名です。そもそも徳川氏は家康が創始した苗字で、三河守に叙任された際、家康個人が松平氏から改称したのが最初と言われています。異なる流派もあるにはあるようですが、徳川と聞くとまず徳川将軍家、そして御三家を連想するでしょう。
加えて、まつりは自らの名字を避けるきらいにあることが、グリマスの自己紹介ボイスからわかります。貴重な文献ですので、文字起こししておきます。

「あなたが、まつりをみんなの姫にしてくれる、プロデューサーさんなのです?うわ~!こんなに素敵なプロデューサーさんがいてくれたら、まつりの未来は、わんだほー!なのです!ほ?まつりの苗字?…そんなのどうでもいいのです。まつりはまつりなのですから。これから、まつりといっしょにがんばろー!なのです!」

実際、まつりが自分のことを「徳川まつり」と発言する機会はかなり限られており、親愛度コミュを中心に一部のコミュに限定されます。オタクがまつりをフルネームで呼ぶときは、他のアイドルを呼ぶとき以上に深淵な意味があるということですね(?)。

「プロデューサーさんは特別なナイト様なのです。ナイト様がいないと姫は無力なのです。だから、ずっと元気で…徳川まつりを支えて下さい。」(親愛度100)

『プロデューサーさんといると、毎日がきらきらするのです。姫のお祭りはこれからなのです! 姫は…徳川まつりは、もっと成長します。』(親愛度300)

『プロデューサーさんのおかげで、あやふやだった姫の世界は形になったのです。姫も、徳川まつりも、プロデューサーさんのたまもの、なのですよ!』(親愛度600)

『きらきらなクリスマスになったのです。…ほ? プロデューサーさんは、合格なのです。
徳川まつりの王子様、会った時からずっと合格です。』
(聖夜の奇跡!アイドルクリスマスTV EXTRA)

「姫」と「徳川まつり」とを明確に使い分けているというのが、今回の記事タイトルに含意したものですが、上のコミュでは明確にわかりますね。

名字を嫌っていることからも、「徳川まつり」がアイドル活動を始めるにあたって名づけた芸名というわけでもなさそうです。メタ的な視点になってしまいますが、グリマス運営が何かしらの意図をもってまつりの名字を設定したのは明らかで、まつりはその名字を避けている。まつりの出身地が愛知という情報を加味すると、まつりが尾張徳川家の出自に思えてきませんか…?

「まつり姫」は誰のため?

まつりが徳川家の出自ということで、以降は話を進めていきます。
大政奉還から百数年が経つ今でも、尾張徳川家は名家とされるでしょう。いや知らんけど。
由緒正しい家柄であるために、なにをするにも常に徳川の名字がついてまわり、幼少期のまつりが厳しい教育、抑圧を受けたことは想像に難くありません。まつりが名字を避ける理由は幼少期の重圧にあるのかもしれませんね。
加えて、自分の名字、家柄に頼ることなく、自分の力だけでアイドルとして成功したいという思いがあるとも考えられます。水瀬伊織と似たパターンですね。
また、いろいろなコミュから窺い知れる基礎スペックの高さや成熟した人格も、幼少期の教育の賜物なのかもしれません。

また、まつりは趣味に「漫画あつめ」を挙げています。

「まつりの部屋は、きらきらした漫画の図書館なのですよ。漫画はぶらぼー! なお手本なのです。」(あいさつ)
「プロデューサーさんのおかげで、あやふやだった姫の世界は形になったのです。 姫も、徳川まつりも、プロデューサーさんのたまもの、なのですよ! 」(親愛度600達成)

グリマスのホーム画面で見ることができる「あいさつ」の台詞のひとつです。
ここで「お手本」というワードを使っていることからも、「まつり姫」というキャラクターの原点は彼女の趣味にあることがわかります。
厳しい家庭環境で育った彼女にとって、漫画は自分だけの世界に誘い、救ってくれる存在だったのでしょう。きっと「アイドル」も。
そんな彼女には、妹がいることがわかっています。

「小さいころ、妹と夏祭りに参加したのです。
金魚すくいで、妹のために金魚を全部すくったら、屋台に出入り禁止になったのです。」(納涼!アイドル夏祭りin港町)

「妹が小さい頃は、姫が妹へのプレゼントを枕元に置いていました。
最近の妹は反抗期でプレゼントを欲しがらないので、クリスマスはヒマなのです…。」(祝祭!クリスマスフェスタ)

「小さいころ、姫はよく妹を連れて、遊園地に行っていたのです。
 帰ろうとするたびに、妹が帰りたくないと泣くのを、『また来るのです!』って、姫がなだめたのですよ?」
(ロマンティックランド/徳川まつり 覚醒エピソード)

まつりは小さい頃は妹とは仲が良かったようですが、"最近"の妹は「反抗期」だそうです。
親元を離れて上京するわけですから、アイドル活動をするに当たって、まつりが家庭と揉めに揉めたのは容易に想像できることです。もしかしたら和解に至らずに、半ば家出のような形で出てきたのかもしれません。(月岡恋鐘さん曰く、「短くても長くてもいつか戻るとが家出ばい~~~!」だそうですが。)
話を戻して、"最近"というのをまつりが上京してからと捉え、かつまつりと家との関係がそんなによろしくないと仮定するなら、妹の反抗期の原因は、まつりたちの親が物心ついた妹に対して、まつりを反面教師扱いしたことに由来しているのかもしれません。

「観客席に、妹がいたのです。初めてなのです。
 プロデューサーさんが、呼んだのですか?…驚いちゃった。」
(特番!生っすか!?サンデー×50)

「"プロデューサーさん、人生とは何だと思いますか?…ほ?重い荷物なんて持ちません。
人生とは、まつりなのです。…一緒に楽しみましょう?」
(納涼!アイドル夏祭りin港町)

前半でウミウシの話を通して、まつりの思想の根底には多様性と自由があるみたいなことを言いました。
まつりの家庭事情を踏まえると、その思想は幼少期の抑圧の反動のようにも思えます。
特番!生っすか!?サンデー×50(アルティメットゴッドコミュ)で、初めて家族がまつりを見にきたそうです。はじめてまつりのアイドル活動に理解を示す姿勢を表したことになります。
「人生とは、まつりなのです。」というセリフは、徳川家康の「東照宮御遺訓」の一節、「人の一生は重き荷を負うて遠き道を行くが如し」のオマージュでしょう。ここから逆説的に徳川の家に対する思い入れも窺えます。
いまは反抗期の妹にも、そして実家に対しても、自身のアイドル活動を通して、まつりは在り様の「自由」を伝えたいのではないでしょうか。

今が私たちの”夢”だから

まとめです。設定の人そこまで考えてないと思うよ?な内容になってしまいましたが、いかがでしたでしょうか。
まつりが本当に徳川家の出自なのかもわかりませんし、設定は未だ謎に包まれたことが多いです。まつりの秘密に触れるコミュが、ミリシタやその他公式媒体であることを願いながら、日々思考をアップデートできればなと思ってます。機会があれば次は、まつりと「演技」の話ができればいいですね。今度こそ本当に終わりだよ~

「プロデューサーさんは、姫のキラキラじゃない部分も見たいのです?
見せるのが怖い部分も、あるのです。…少しずつ、私に触れてください。ね?」(親愛度900)

参考:
【ミリオンライブ】徳川まつり[アイドルストーリー]
【ミリマス】VideoM@ster版公開記念ドラマ CHAPTER01 「はじめての出会い」
徳川氏(Wikipedia)

ほかのミリオンライブ!の記事:
シャルロットを演じる徳川まつりさんの話
「夜想令嬢 -GRAC&E NOCTURNE-」の設定資料集を自作した

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