息をするたびに死が迫ってくるんだ【ムゥ】

これを読んでいるあなたに訊きたいのです。いつか自分が死ぬことを想像すると、どうしようもない恐怖を覚えてしまいませんか?

私は慢性的な死恐怖症です。死恐怖症は、英語で云うと「タナトフォビア」。かっこいい名前ですが、私を苦しめる忌々しい亡霊であることには変わりありません。
今はだいぶ楽な時期が続いていますが、高校二年生の時は本当にひどかったです。毎晩自分が死ぬときのことを考えては苦しくなって、一人で枕を濡らしていました。心療内科でもらう錠剤がかかせませんでした。

人によって死の何が怖いのかは変わってきますが、私は何よりも「自分の知覚世界が終わってしまうこと」が怖いのです。魂も天国もきっと存在などしないので(信じている人に怒られてしまいそうですね)、私の意識は脳みそが動かなくなった時点で失われてしまう。私の意識は私の世界であって、つまりは死によって世界一つが消えてしまうのです。そこには暗闇すらありません。ただの「無」が広がっているだけ。
そのことを想像すると、私の心臓は恐怖で細かく震え始めます。喉が締まって、意識が輪郭を失っていって、まるで誰かに絞殺される直前なんじゃないかというぐらいに、私の瞳にはおぞましい「死」が映ります。死を前にして眠ることなどできません。眠ってしまうということは日にちを一つ越えるということで、それは死にまた一歩近づくことと同義なのですから。死への恐怖から派生して、当時の私は毎日が終わることも同時に恐れていました。

日中も私の周りには死神がいて、常に鬱々とした感情をちらつかせていました。日常のふとした瞬間に、いつか自分が死んでしまうことを再確認して、今この瞬間は永遠に再訪しないことを悟る。毎日の一瞬を大事にしていると云えば聞こえはいいですが、当人はそのような安らかな気持ちではありません。どちらかと云えば絶望に近いでしょう。時間の不可逆性を前向きに捉えているうちは豊かな人生でしょうが、一度後ろ向きに捉えてしまうと、覚醒前の身体のようにまともに歩くことができなくなります。それは他の知覚にも影響を及ぼすもので、不思議なことに、私の見る景色はいつもひと昔前のスナップショットのようでした。視界が鮮やかで、そして輪郭が滲んでいたんです。泣いてなどいないのに。

とりあえず、ここ数年は落ち着いているので(うつ病という他の病に苦しめられていますが)大丈夫です。また恐怖がぶり返してくることがあるのでしょうか。二度とあの、どこにも救いを求められない寂しさは味わいたくないですが、来てしまうのを避けることはできません。せいぜい毎日を楽しくすごして、恐怖を思い出さないように努めるぐらいですね。それでも訪れてしまったら、そのときは観念して、恐怖を創作に昇華させるような努力をしましょう。おそらく一生付き合うことになるので、私が楽になる方法を、そして他の人の役に立つ方法を模索しなければなりません。

今回は以上になります。怖がらせてしまったらすみません。

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