スーパーショート文学賞 No.21 タヌキ にゃんとハルサメ

 火曜日の朝、僕は大学に向かって走っていた。思わず空を見上げてしまうような、気持ちの良い朝だ。青空に雲がのんびりと広がっていた。

 息を切らしている僕の顔に、水滴がぶつかってきた。水を差すという言葉はこういう状況で生まれたな違いない。水の粒はその数と勢いを増していった。太陽が顔を出しているというのに雨だ。僕は立ち止まって空を見上げてしまった。

「やあ」

 誰かが僕に声をかけた。一瞬の隙を窺っていたかのように。僕は辺りを見回した。

 そばの植え込みからのろのろと這い出してきたのはタヌキだった。頭の中のタヌキよりスリムだ。僕はタヌキを見るたびにいつもそう思う。タヌキは泣いているように見えた。

「君かい?」

 僕はタヌキに声をかけてしまった。僕は急いで学校へ行かなければならないのに。1限に遅れてしまう。

「そうだよ。おいらだよ」

 タヌキは足元まで寄ってきた。周りを見回してみたが、人間の姿はなかった。

「タヌキが何の用?僕学校へ行かなくちゃ行けないんだけど。もしかしてこの雨も君の仕業?」

「この天気雨がなければおいらは出てきたりしないから、おいらの仕業とも言える。でも、わざとじゃないんだよ」

 タヌキは弱々しく言った。あまり責めては可哀想だ。

「で、どうしたの?」

 僕は優しく尋ねた。

「いや、昔のことを思い出して悲しくなっちゃったんだよ。ずっと前に愛していた狐のことをね」

 タヌキと狐はそういう関係になるのか。愛は種族を越えるのかもしれない。

「どうして急に思い出したのさ」

 野暮な質問だったかもしれない。理由なく、昔を思い出して悲しくなることはあるのだ。

「この雨だよ。おいらにはわかるんだ。おいらの愛した狐が誰かのところへ行ってしまったんだということが」

 目線を上げると、いつの間にか雨は上がっていた。太陽が眩しい。

「狐の嫁入りか」

 足元を見ると、いつの間にかタヌキはいなくなっていた。

 僕は再び走り出した。

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