スーパーショート文学賞 No.20 天気雨

ナァと猫が鳴く。顔につめたさを感じて雨がふっているのだと気づいた。しかし、視線の先ではあたたかな木漏れ日がさしていてこれが俗に言う『天気雨』なのだと認識した。
ナァ
また猫が鳴いた。近くにいるのかと周りを見渡すと金の瞳がこちらを見ていた。後の姿は闇にまぎれてよく見えない。けれど、あの金色は何かをこちらに伝えようとしているように見える。
「君はー」
「戻りな」
「え?」
今、聞こえたのは?
「アタシは戻りなって言ったんだよ人間。ここは幻と現の境目。天気雨のせいで境界があやふやになっちまったんだよ」
どうやら幻聴の類いではないらしい。
目の前にいる猫(と思われる生物)に自分は今話しかけられているようだ。
そして「戻れ」といわれている。しかしそう言われても困るのだ。なぜって自分は先ほど「人間」と呼ばれるまで自分が人間であることを忘れていたからである。
「なにを惚けているんだいお前。ははあ。お前もう少しで幻におちるところだったね?危ない危ない。勝手に幻の住人を増やすと怒られるのはアタシなんだ。帰り道がわからないなら日がさす方に向かって歩けばいい。天気雨がおわったらそこは現だからね」
言っていることは半分もわからなかったがどうやら自分は帰れるらしい。素直にうなずいて礼を言えば彼(彼女かもしれない)は「いいんだヨォ」と言って笑ったように見えた。
言われた通りに日がさす方へと歩いていく。一歩、一歩と進む内に実体がなかった自分の体が戻ってくるのを感じた。
ああ、私のことを呼ぶ声がする。私はもう一度「ありがとう」とつぶやいてからその声に応えた。雨はもうあがっていた。


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