スーパーショート文学賞 No.13 決心 スーパーマリオブラザーズ

佐藤輝雄は、ちょっと例を見ないくらいに優柔不断な男だった。
彼はすでに三十代後半に差し掛かっており、同年代の大抵の男性と同じように会社勤めをしていた。具体的に言えば、ビルメンテナンス会社の総務部・係長なのだけれど、彼は入社して早々に、自分にはビルメンテナンスの職業意識への共鳴みたいなものはこれっぽちもないことに気がついていた。
その時から十年以上、彼は退屈な仕事を、独り身のくせに退職する勇気もなく惰性で続けてきたわけである。まあそれは佐藤輝雄に限った話ではない。
とある水曜日、彼は同僚とたいして美味くもない酎ハイを浴びるように飲んでから帰宅した。
静かな真夜中のアパートで、彼は決心した。俺の人生は残り半分くらいだ。勇気を持って、本当に自分のやりたいことをして生きよう、と決意した。
風呂場でシャンプーをしながら、酔いの覚めない頭の中に熱い決意がたぎっていた。それは何事にも平熱な佐藤輝雄には珍しいことだった。
愛用の手帳に「俺は今週中に会社を辞めるぞ」と書き込んで眠りについた。
しかしこれが佐藤輝雄の悪癖なのだが、固い決意は翌日にもなるとだいぶ弱いものになっていた。彼は昨日のメモの続きにこう書いた。
「俺は今週中に会社を辞めるぞ。ただし、以下の条件のいずれかが起こった時。
1.阪神タイガースがリーグ優勝する
2.年末ジャンボに当選する
3.ローマ教皇がロサンゼルス・エンゼルスに入団する
阪神タイガースはもう4位以下が確定していたから、事実上この三つが達成される確率は限りなくゼロに等しかった。
佐藤輝雄はいざ書く段になって怖気付いてしまったのである。彼は強烈な不甲斐なさを抱えて眠りについた。
翌朝、豪雨の音で目が覚めた。
外はここ何十年かで一番の雨だった。ただし、空はすっかり晴れている。
まだ出社には時間のある雨の朝を、傘を差しながら散歩する。
外はどしゃぶりで、だけど素晴らしくよく晴れている。
不思議で、いつになく素敵な時間だった。
その日、彼はとうとう仕事を辞めたらしい。

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