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15.心に残っているげんまる

 おとといにも少し触れた話なんだけど、フットワークの軽い元太くんにとって、多分あまりフットワーク軽くやれないことなのであろう行為が「書く」行為なのかな、と思っている。直接お話したり、電話をしたり、その方がきっと元太くんにとっては易しいのだろう。というよりか、その方が伝えたいことを言葉にできるのかもしれない。動画でげんまるが更新されるようになってから、更新頻度が上がったりしているのも合わせてそう思う。
 げんまるを「書く」と決めたときに紡いでくれる言葉は、元太くんが今言葉で何かを私たちに伝えたい、と心の底から思ったときに溢れてくる言葉だ。だからこそ、どの日のげんまるも大好き。じんわり温かいものが広がるときもあれば、ずしんと乗っかるときもある。にこにこしちゃうときもある。そのときどきの元太くんが、元太くんの言葉で綴ってくれるげんまる、本当に好きです。

 という前置きは置いておいて。こういう問いでぱっと思い浮かぶげんまるは、2021年6月6日のげんまる。尊敬している人のドキュメンタリー(kemioさん)を見て心が動いて、それをシェアしてくれた。強く生きるためには、強く生きない時が必要。弱いがあるから強いがある。そう語ってくれた元太くん。ときたま、ちょっぴり見せてくれる弱いは、こちらへの信頼感を感じる。でも、常に前を向いて、進んでいく姿は、元太くんの強いを感じる。もっと元太くんの弱いを大事にしたっていいんじゃないって思う時もたまにある。でも、それは元太くんがこちらに見せたい強いなのかもしれない。
 元太くんの前の自担(と呼べるほどの熱量ではなかったのではと自分では思っていますが便宜上)も、「虚勢を張っていたい」と語っていたことがある。だから、元太くんが見せたいと思った元太くんを、私はまるごと受け止めたいって思うし、その姿が強いでも弱いでも、大好きだって伝えたいと思う。