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僕の見た君を君に伝えたい話

この記事を書いてから、半年が過ぎようとしている。
私の周りには、好きな人たちのことを、素敵な言葉で語る人たちがたくさんいて、私もそんな風になりたい、と思ったのがきっかけ。そして、好きな人を好きでいる自分に自信を持ちたかったことが、もう一つのきっかけ。この記事を書いた後に、好きな人たちを語る足がかり欲しい(ついでにいろんな人の文章を読みたい)と思ってワードパレットを作り、全てのワードで元太くんとTravis Japanについて記事を書くと決めた。
この記事が、その最後の一本。

基本的に私は自分に自信がない。何か特筆して得意なものがあるわけではないし、世の中の人間は全員私より優秀だと思う。もう30年仲良く手を繋いできてしまった自分だから、この部分に関してはきっと変わらないだろう。
でも、2019年9月、何かに縋るようにTravis Japanを「好き」の枠組みに入れてからの2年間と、「担当」と名乗れるようになりたい、と心に決めてからのこの半年は、全然濃度が違ったなあ、と思う。
気の向くままに手にとっていた雑誌や、気がついたときに読んでいたブログ、何週間か後にまとめて見ていたYouTube。「好きなときに、好きなものを好きなだけ」をモットーとしていた私のペースでは全然追いつかないくらいの情報量に、頑張って手を伸ばしてみた。あまり深く追いかけたことのなかった投票系にも。もちろん、人生の優先順位の中では「生きること」を一番上に置いているから、それを守ることは前提で。でも、気がついたら「好きなときに、好きなものを、出来る限り」な行動をしていた。
行動をしてみて変わったことはなんだろう。彼らのことをよく考えるようになった。空を見上げてみたり、仕事と仕事のちょっとした合間だったり、そういうふとした瞬間に思い出すことが増えた。そして、元太くん、Travis Japanの一つ一つの歩みが、私の感情を大きく揺さぶるようになった。「好き」だからこそ、「楽しい」だけじゃない。ときには涙が溢れ出ることもあるし、心の底から救われることもある。それは、彼らの活動と、その背景にある彼らの言葉を、しっかりと受け取って、私の心の中にためることが出来たから。Travis Japanのために開けておいた空間が溢れていきそうなくらいいっぱいになって、私の感情を刺激するんだと思う。

「担当」ってなんなんだろう。やっぱりよく分からない。でも、松田元太くんという1人の青年が、これからどんな夢を描いて、どんな葛藤をして、どんな未来を作っていくのか、その先を見てみたい。その歩みにほんの少しだけでも、応援をするという形で関われるのだとすれば、すごく幸せなことだろうな、と思う。私はたくさんの「好き」を抱えながら生きているから、多分私の全てが注ぎ込まれるわけではない。でも、気づいたら元太くんは私の「好き」の中の特等席に座ってにこにこしてる。私自身、特等席があったことにすら気がつかなかったのに。彼に対して、これまでの「好き」とはなんか別の感情が初めて生まれていて、結構戸惑う。私が元太くんからたくさんのハッピーをもらっているように、私の何かが、元太くんがハッピーを感じられる一欠片になってくれたら嬉しい。心の底から力になりたいな、って思う。2年半、かかっちゃったけど、改めて私は、松田元太くんの「担当」でありたい。
って思えたのに、遠くへ行ってしまうことは、すごくすごくすごくすごく寂しい。今年こそは、コンサートに行きたいと思っていた。会えると信じていた。3月3日の発表以降に生まれたたくさんの不安は、「きっと大丈夫」「全力で応援する」みたいな気持ちにどんどん昇華していったけど、この寂しさだけは、もうしょうがないなあ、って、心の中で同居してみることにする。
元太くん、どうか体に気をつけて、学べるものたくさんたくさん吸収してきてくださいね。

タイトルはこちらから引用。


#推し語りワードパレット  「溢れる」
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