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考え事

朝起きるのが苦手です。

小さい頃からずっと。

慣れっこなのとマイペースすぎるので急ごうと思わなくなり、学校は遅刻ばかりです。

遅刻が多すぎて学校から推薦は出来ないといわれました。高1にして。

(同時にあなたは勉強嫌いじゃないから大丈夫とも)


起きれなさ過ぎて起立性調節障害なんじゃないか?ということになり、小学生の頃、調べてもらいに行ったことがあります。

結果は起立性調節障害ではない。ということで、周りは安心したと同時にじゃあなんで起きれないんだ?となったのですが、、、。

その結果を聞いた当時の私は残念に思いました。

起きれないことをほかのことのせいにできたらよかったのに・・と。

だれにも言いませんでしたが。


高校生になって受けた歴史の授業で、そのことを思い出しました。

授業内容は「欧米諸国における近代化」・「二つの市民革命」です。
そこで先生が課題として出した問は、「18世紀後半に起こった二つの市民革命はどんな人たちにとって「生きやすい社会」を作り出したといえるだろうか。また、そうした社会と現代の私たちが生きる社会を比べると、どんなことがいえるだろうか。二つの市民革命を比較し、両革命の共通点を踏まえて説明しなさい。」というもの。

問いに対して私が答えた内容を要約すると、「市民革命によって生きやすい人が生まれると同時に生きにくい人が生まれた。そうした社会と現代の社会を比べると、差別が少なくなってどんな立場であっても自己表現できるようになった。しかしそれは、外から見てわかりにくくなっただけだ。」という感じ。詳しいところは今回関係ないのでだいぶ省きました。

現代の社会は性別も人種も生まれた環境も当時に比べれば関係なくなっていると思います。その変化は多くの人が良いものとして受け止めると思いますが、私は「元の環境が関係なくなった分、それを言い訳にできなくなった」として受け止めました。

もともとサボろうとしているのではありません。

自分ができないことが100%自分のせいとなるとつらくなる。ということです。

自己責任にしてしまうのです。
自分を追い詰めてしまうのです。

ここが小学生の頃の自分に繋がったんですね。


自分がしたことによって未来が変えられる自由な社会は、通俗道徳が広がりやすい社会でもありますね。

「通俗道徳」と言うと難しそうですが、要は「頑張れば成功する。(=頑張らなければ失敗する。)」というような考え方です。しかし、この考え方は頑張ったのに失敗した人を頑張ってないとすることになります。頑張ったのに失敗した人は「自分が頑張ってないから失敗したんだ。」と自分を追い詰めることになります。お金があれば(成功すれば)好きなことができるようになる、資本主義社会に広がりやすい考え方です。実際はそんなことないのですが・・。
と、私は解釈してます。


・・・

なんて考えるもんだから、この授業の問に対しての解答は過去一長くなりました。

(通俗道徳は授業内で取り扱ったものです。自分でそんな難しい言葉知ろうとなんか思いません。笑)

幸運にも担当してる先生は「こういう考え方もあるよね。」と言ってくれるような優しい先生です。



ちなみに、、

起立性調節障害か調べてもらったとき

「この子はほかの子よりも少し、周りに敏感なんだと思います」

的なことを言われました。

今になって考えてみれば、HSP気味ということだったのかな?と思います。

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