愛するということで拗らせすぎた話②👾

立て続けになるけどさ、じゃあ自分が愛するっていう技術が身についてないかと言うと、ある程度身についているにしても苦手な分野があるってのが現状かなと思ってて、
例えば与えるってことについては友愛として上手く回ってたわけだし。似たような愛の形を持ってる人とは上手くやれてると思う。

自分は愛の要素で配慮、責任、尊重、知で言うと、全部の根源になる知の部分をかなり早いスピードで相手のことをよく知りたいってどんどん分け入るたいぷ。
これは自分が、相手が喜ぶようにできることをして、相手もその気持ちを返してくれるってのがうれしいから、配慮と責任を果たしたいとかお互い尊重し合いたい気持ちがかなり強くて、それできないことにずーーんとしてしまうから、早く相手のことを知りたいって思っての事だと思うのね。で、相手が自分を開示してくれる人だといいんだけど、なかなか開示してくれない相手だと、いつまでたっても深く理解できる気がしない、深く理解してもらおうという気がないというところにイライラしてしまうんだと思う。相手を深く知らないと特別な関係は深まらないのに…みたいな。

最初の開示のスピードが遅い人とか、こっちのことを知ろうとする様子がない人だと、そこで破綻してしまうし、こちらが一生懸命知ろうとして、拾い集めた相手の性質と私の性質で違う部分があって何か揉めた時に折衷案をちゃんと考える気がない人だとお互いを尊重する気は無いのかね?となってしまう。あと一般的に好きならこういう風に思うんじゃないの?みたいに考えてしまう節もあって、やっぱそれって相手のことをちゃんと知らないからだと思うし、だから余計に知ることを急いでしまうんだよね。

私が知ることを焦らないこと、尊重の苦手を克服すること、それらを時間をかけてやっていくことが必要かなとも思いましたね。


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