ニュアンス詐欺

インターネット上でたまたま目にした冗長表現に関する記事に驚かされた。おおむね以下のような主張であった。

「運転できないというわけではない」は冗長表現である。「運転できる」に改めよう。

「運転できないというわけではない」と「運転できる」とは果たして同じ意味か。(文脈にもよるが)前者には「大手を振って運転できるとは言えないが‥…」「免許は持っているが……」というニュアンスが内包されているのではないか(というわたしの書き方もおそらく冗長表現)。「一応社長です」も「社長です」とはおそらく異なる。

インターネットは誰でもできる。だからこそ利用者の中でもとりわけ読解力のない層を想定して書こうね。誰が読んでも分かりやすい文章を目指そう!!

どこに照準を合わせているのか謎だがとりあえず良しとしましょう。

当該記事の筆者は続ける。

「つまり」「一方」「しかし」などの接続詞も冗長表現。なぜならば「これらの接続詞がなくても読めば分かるから」

いや、ちょっと待て。「読めば分かる」とは何なのか。読解力のない層を想定して書くという設定はどこへ行ってしまったのか。まるで分からない。

※以下、わたしの単なる憶測です。

おそらく、冗長表現とやらを多用した文を書く人は100字要約のような短文も書ける。一方、「冗長表現ガー」「長くて読む気がしない」等と主張している人は……評論文を書けなさそう。知らんけど。

いかがでしたか(インターネット上でよく見かける表現。テンプレートでもあるのでしょうかね)

#冗長表現 #読解力  

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