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1人でフォトウォークin寄居町

1人でフォトウォークの記事を書いてから約10ヶ月。
今回は、前回の川越から東武東上線で下ったところにある終着駅である寄居駅から鉢形城跡へ向かいます。

今回の舞台「寄居町」

寄居町について

古くは秩父往還の宿場町として、また町の対岸にあった鉢形城の城下町として栄えました。現在でも国道140号や254号及びJR八高線・東武東上線・秩父鉄道が接続する交通の要衝地となっています。

町西部の風布・金尾地区では山の斜面を活かした観光みかん園やつつじ山が有名です。その近くの山あいから湧き出る「風布川(ふうっぷがわ)・日本水(やまとみず)」は環境省が選定する名水百選に、町全域が国土庁(現在の国土交通省)の「水の郷」に、「日本水の森」が林野庁の「水源の森百選」に認定され、全国でも数少ない「水の三冠王」の町となりました。

2006年には鉢形城が財団法人日本城郭協会から日本100名城の認定を受けるなど、豊かな自然と歴史を感じる町です。

埼玉県HP

寄居町には自動車メーカーHONDAの工場があり、シビックやステップワゴン、EVのHonda eを製造しています。隣町の小川町にはエンジン工場があります。

寄居駅

寄居駅南口の写真
寄居駅南口

JR八高線、東武東上線、秩父鉄道が乗り入れる寄居駅。
土、日曜日には秩父鉄道のSLパレオエクスプレスも停車します。
今年4月には駅前に「Yotteco」という駅前拠点施設が完成。
6月には、レッドブル・レーシング・ホンダのF1マシンが展示されました。

F1マシンの写真
レッドブル・レーシング・ホンダのF1マシン

荒川

寄居駅から鉢形城へ向かう途中で荒川を横断。
橋の上からは東武東上線が渡る荒川橋梁が見えます。
川の左側には、七代目松本幸四郎の別邸跡地を整備した雀宮公園があります。

荒川と東上線の陸橋の写真
荒川と東上線の陸橋

鉢形城

建物は残っていませんがお堀や土塁が残っていました。

 鉢形城跡は、戦国時代の代表的な城郭跡として、昭和7年に国指定史跡となりました。城の中心部は、荒川と深沢川に挟まれた断崖絶壁の上に築かれていて、天然の要害をなしています。この地は、交通の要所に当たり、上州や信州方面を望む重要な地点でした。

 鉢形城は、文明8年(1476)関東管領(かんとうかんれい)であった山内(やまのうち)上杉氏の家臣長尾景春(ながおかげはる)が築城したと伝えられています。後に、この地域の豪族藤田泰邦(ふじたやすくに)に入婿した、小田原の北条氏康(ほうじょううじやす)の四男氏邦(うじくに)が整備拡充し、現在の大きさとなりました。関東地方において有数の規模を誇る鉢形城は、北関東支配の拠点として、さらに甲斐(かい)・信濃(しなの)からの侵攻への備えとして重要な役割を担いました。

 天正18年(1590)の豊臣秀吉による小田原攻めの際には、後北条氏の重要な支城として、前田利家・上杉景勝等の北国軍に包囲され、攻防戦を展開しました。1ヶ月余りにおよぶ籠城(ろうじょう)の後に、北条氏邦は6月14日に至り、城兵の助命を条件に開城しました。

 開城後は、徳川氏の関東入国に伴い、家康配下の成瀬正一(なるせまさかず)・日下部定好(くさかべさだよし)が代官となり、この地を統治しました。

寄居町HP
鉢形城の全景模型の写真
鉢形城の全景模型
鉢形城公園から見た寄居町の写真
鉢形城公園から見た寄居町
石垣の写真
石垣
復元された四脚門の写真
復元された四脚門


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