雑談

「鶏が先か、卵が先か」というフレーズの意味を理解したのは、そんなに昔の話ではない。リズミカルで語呂がいいので、なんとなく気になってはいたが、中学や高校生の段階で意味を理解するには、やや難しい気がする。

そしてなにより、表面的にとらえれば、正直、鶏がさきでも、卵がさきでも、どっちでもいい。

先日、知り合いと何人かで、居酒屋で飲みながら話をしていると、ある一人が、「僕は、朝5時に起きて毎日勉強することで、精神を安定させている」と言っていた。それを聞いて、瞬間的に、「そもそも精神が不安定な人は、朝早くおきることができないのでは?」と思った。一般的に、人はストレスや悩みを抱えると布団から出られない、起きられなくなる人が多いと思う。つまり、この精神安定のための早起きは、精神が安定しているからこそできるのではないだろうか。

しかしながら、もう少し突き詰めて考えてみると、精神が安定している人も人間関係や、環境変化によってどこかで、不安定になると思うと、精神が安定しているうちに、早起きの習慣を身に着けておけば、精神が不安定になっても、習慣的に早起きはできるので、精神の不安定化を抑止できるのではないか。そう思うと、その人が言っている話も、納得できなくはない。

ストレス→精神不安定→朝起きられない
精神安定→早起きの習慣→ストレス耐性

そう思うと形から入ることには、それなりの意味がありそうだ。

僕にとって、この話は、鶏がさきか、卵がさきかを、連想させたが、ここまで書いてみて、この話は、「鶏がさきか、卵がさきか」との議論とは少し違うのではないかと、不安になってきた。どうやら、いまだに「鶏がさきか、卵がさきか」の意味を理解していないようだ。


もういっそ、鶏と卵の同着でいいと思う。






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