死の終着駅

あとどれくらい、俺はここにいられるのだろう。
たぶん、もう時間は残されていないのかもしれない。 だけど、最期まで近藤さんや土方さん、隊士のみんなの傍にいたい。







毎晩、みんなが寝静まる頃を狙って屯所を抜け出すと、おぼつく足取りで懸命に走る。
向かう先は決まっていて、そこに辿り着く頃にはそんなに必死になっていないのに心臓が悲鳴を上げるくらいになっていた。

毎日の日課となってしまったその場所で夜を過ごし、朝みんなが目覚める前に部屋に戻って何事もないように冷たくなった布団に潜り込む。
毎晩のように込み上げてくる咳のせいで、眠れない夜が続いて、朝になれば仕事が始まる。

「オラ総悟起きろ!」
「···んん···土方さん···?なんですかィ。」
「なんですかじゃねぇ。今日は仕事だろ、お前。遅刻すっぞ」
「ひでーや土方さん。俺ァあと五時間は寝ないと仕事をするこたァできねーんでさァ。 」
「お前は五時間と言わず毎日寝てばっかだろーが。さっさと起きろ。」

いつも通り煙草を吹かしながら布団の真横に立ち、時々俺を足で蹴る。
煙草の匂いに押し寄せてくる咳を無理矢理押し込めて、顔を蹙めながら上体をゆっくりと起こした。
そしてじーっと土方さんを見上げれば、俺の視線に気付いたのか、不思議そうな視線で俺を見下ろした。
そんな土方さんを無視して、ふと疑問に思ったことをぶつけてみた。

「土方さん、死の世界ってどんなんです?」
「死の世界?何お前、死ぬんかよ。」

怪訝そうに俺を見下ろす土方さんの顔には、またバカなことを言っていると書かれているのが分かるくらい、呆れていた。 それでも答えをくれる辺り、この人は鬼の副長に似合わず、優しいんだと思う。
いや、俺には甘いのか。

「死の世界、ねぇ···何にもない、真っ暗な世界。」
「真っ暗?」
「ああ、無の世界。自分以外誰もいない虚しい世界かもしれねーな···」
「無···」
「これで勘弁しろ。所詮俺達ゃ人斬りだ。きっとそんなろくでもねぇ所にしかいけねーよ。」

ぽん、とまるで小さな子供をあやすように頭を撫でられた。

真っ暗な世界。
たぶん、あんた達を失った俺の世界は、真っ暗になるのだろう。それくらい、俺にとってここは、真選組は大切で、全てだった。

「そーですかィ、分かりやした。」

ありがとうごぜぇやす、と適当に礼を言えば、もっと感謝を込めろと小突かれた。
その頭を大袈裟にさすりながら、頭の中では土方さんの言葉が繰り返し流れる。

真っ暗で何もない世界。 ――白黒の世界。

「土方さん。」
「···今度は何だよ。」
「俺、あんたが好きでした。」

好きです、ではなくて、好きだった。
いきなりの俺の科白に驚いたように目を見開き、バカかお前、と目を逸らす。
どう答えたらいいのか、迷っているみたいに。

「返事はいりやせん。あんたが俺を受け入れられねーことも分かってまさァ。」
「···総、」
「ただ、言いたくなっただけです。」

気にしないでくだせェ、と子供の頃のように微笑めば、そうか、と苦笑いを浮かべた。
受け入れられないことは分かっている、···つもりだ。
あんたは優しい人だから、自分の都合で俺をこれ以上巻き込みたくないと思っているだろうし。

「でてって、くだせェよ。着替えるんで。」

微笑みの裏に悲しみを隠して、あんたに偽りの笑顔を見せれば、優しいあんたは黙って騙されたフリをする。

だけど、今回は違った。
気が付くと、暖かいものが俺を包み込んでいて、煙草の香りが鼻をつく。

「土方、さ···っ。」
「ごめん、総悟。」
「···土方、さん···?」

否定など、聞きたくなかった。
俺には時間がないから、この気持ちを伝えておきたかっただけ。 土方さんの胸に手を添え、精一杯の力で押しやると、抵抗などしないで土方さんは離れた。
その表情は傷ついていたけど、俺は気付かないふりをして、もう一度優しく微笑む。

「謝らなくていいでさァ。あんたが謝るこたァねぇ。ただ、あんたに伝えたかっただけだから。」
「···分かった。」

ゆっくりと、土方さんが部屋から出て、障子が閉まる音だけが響いた。
だけどね、土方さん。俺は否定の言葉は聞きたくないけど、肯定の言葉も聞きたくないんだ。
俺のせいであんたを縛り付けるのは耐えられないから···


夜になると、当たり前のように電気が全ての部屋から消えるのを確認して、屯所を抜け出した。 万が一にも人が居ないか確認して、いつものように走り出す。

ただいつもと違って隊服をきちんと畳んで机に置いて刀はその隣にそっと置いて。
近藤さんへと土方さんへと書かれた封筒を隊服の上に、一番分かるだろう場所へ。

きっと、朝一番に俺の所に来るだろうあの人が見つけるだろうと名残惜しげに見つめ、思い出も全てを振り払うように走る。

「げほっ···かは···っ。」

いつも寝床にしている人気のない所にある空き家に着くと、赤い雫が畳を汚し、身体を汚す。
毎晩血を吐き続けたのか、部屋中に赤い跡がいっぱいあった。

そこに力もなく倒れると、赤いものとは違う透明なものが赤い跡に落ちて消えていく。

「土方さん···夢、を見たんでさァ。」

誰もいない空間へと言葉を繋ぐ。
近藤さんも、土方さんも、誰もいなくて真っ暗な暗闇に捕らわれ、 吸い込まれていく夢。
遠くを目を凝らして見ると、二人の姿があって、大声で名前を呼ぶけれど俺とは反対に光へと肩組み合って歩いていく。

まるで、そこが俺と二人の違いのように。


真っ暗な俺の世界。

光り輝く二人の世界。





俺の進む道はこっちなのだと吸い込まれながらももう一度、愛しいあなたの名前を叫んだ。

夢を見たからじゃないけれど、怖くなってじゃないけれど、それでも全てを捨ててきたのは自分。
あなたに醜い姿を見せたくなくて、全て置いてきた。

「···っく、う···げほっ···」

血なのか、涙なのか、もう俺には分からなかった。
咳と共に広がる鉄独特の味に、瞳からは絶え間なく透明なものが流れていく。

あなたに俺の気持ちが伝わることはないのだと分かっている。 だからこの気持ちが迷惑なのだったら俺は···





――消えるよ、あなたの前から。


「ごめんなせェ···土方さん···」

誰にも届くことなく、その言葉は消えていった。

死という世界へと続く長い長い階段を、俺は一体何段上ったのだろう。
ぐるぐると円を描くように宙へと続く螺旋階段を迷うことなく一歩一歩と上がっていく。
きっと、もうすぐ終着駅は見えてくるよ。

「あんたは···生きてくだせェよ···」

俺は消えるけれど、あんたは生きて。
そして、あなたの信念を貫いて、俺の代わりに近藤さんを守って。

そう呟くと、そっと瞳を閉じた。



出逢えたことに後悔など無い。
別れることに不安など無い。

死という名の終着駅に、俺はもうすぐたどり着いて、あなたを待つ だけだから···






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