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名馬物語 ~稀代の快速馬 サイレンススズカ~ その3

※馬齢表示が現在と異なっています。ここでは当時の馬齢表示をしています。現2歳→当時3歳 現3歳→当時4歳 など
また、専門用語をわかりやすい表現に置き換えている部分があります。

4歳秋、トラブルと気性の激しさにまともなレースができない日々。
徐々に世間の目は遠ざかっていくようになっていきます。
このまま彼は目立たない存在となってしまうのでしょうか。

・香港遠征 邂逅

サイレンススズカは急きょ組まれたとはいえ予定通りに香港国際カップへと向かいました。
しかしここで鞍上の河内騎手が同日に日本で行われるGⅠスプリンターズステークスで騎乗するため、香港に行けないことになり、鞍上が空位となりました。
ここで、運命の出会いが待っていたのです。
その運命の相手は天才ジョッキー武豊騎手。彼は騎手は騎乗依頼をじっと待つもの、というスタンス(そもそも彼は依頼を断るのが大変なほど騎乗依頼が来る騎手です)だったため、自ら騎乗を依頼に行くことは滅多にありませんでした。
そんなスタンスを崩し、サイレンススズカ陣営に自分を乗せてほしいと直訴し、陣営も喜んで迎え入れました。

そして2000mで行われる香港国際カップの当日、ドバイや地元香港、イギリスなどから強豪馬が数多く参戦していました。
そんな中、他に逃げる馬がいなかったため、サイレンススズカは余裕をもって先頭を快走することができました。1000m通過タイムは58.2秒。ハイペースでしたが手ごたえは十分に残っていました。
後続に3馬身差をつけて直線に入ると残り200m地点までは精一杯粘りましたが、そこで2頭にかわされると最終的に1着馬から0.3秒差の5着となりました。

マイルチャンピオンシップでの惨敗で一変した評価は健闘したとはいえ、このレースの結果では取り戻すことができませんでした。それどころか話題に上ることすら減ってしまいました。

しかし、そんな中で鞍上の武豊騎手は真逆の評価を下しました。「この馬は化け物だ、来年はこの馬が勝ちます」と。今後もぜひ乗せてほしいと熱望しました。
実際、このレースにおいて記録された1600m通過時のタイムは、この同日に行われた1600mの国際GⅠ香港マイルの勝ちタイムより速いものでした。もちろん展開によりタイムは変わりますので、サイレンススズカが出走していたからと言って勝てたとは限りませんが。
しかし、名手には十分すぎる手ごたえを得られたのでした。

・5歳春 覚醒

年が明け、サイレンススズカも5歳となりました。
目標とそれに向けての参戦スケジュールを明確にしなければなりません。
陣営は、2400mは長い、だが1600mは短く、ベストは1800m~2000m、という判断で同距離のレースに狙いを絞り、最大目標を天皇賞・秋と定め、まずは2月14日に東京競馬場で行われる1800mのバレンタインステークスに参戦。

そしてここから伝説は始まります

武豊騎手は栗東(関西)所属であり、重賞(じゅうしょう:グレードレース、格の高いレース)でもないレースのために関東へ来るのは異例のことであったが、サイレンススズカのためだけに遠征しました。

ここは相手関係を見ても実績的に最上位だったため、一番人気に支持されました。
綺麗にスタートを切り、そのまま先頭へ。そしていつも通りぐんぐん加速。
1000mを57秒台で通過し、後続には大差をつけています。
果たしてこのペースで最後まで持つのかどうか、観衆の興味は1点に絞られました。
第4コーナーで後続をぐっとひきつけ直線へ。
ここ数戦同様にこのまま後続にのみ込まれてしまうのでは、そういう懸念もあったかもしれません。
しかし、そんな懸念などどこ吹く風。直線に入ってからもぐんぐん加速。
後続を寄せ付けないまま余裕をもって逃げ切り圧勝となります。


そして次は3月15日中山競馬場1800mで行われるGⅡ中山記念。ここにはGⅠ馬が出走してくるなど相手関係は強化されましたが、前走での圧勝により再び評価が上向いてきており、注目されます。
1馬身3/4差で1着となり重賞初優勝。

続く4月18日に行われたGⅢ小倉大賞典もコースレコードを更新するタイムで3馬身差の圧勝。


ここまでの3戦で武騎手は逃げるレースの進め方をサイレンススズカに教え込んでいました。

競馬において理想の走り方は「ライバルに何もさせない走り」だと思います。つまり、スタートにおいて先頭に立ち、誰にも並ばせない逃げを最短コースで走り、最後の直線も後続と同じタイムで走ること、誰にも邪魔させない走り方です。
現実的にはこのような走り方ができる馬など存在しません。
それに近づくような走り方を武騎手は教え込んでいました。それだけの走りができる才能を持った馬だと確信していました。

その教育の結果が徐々に表れ、才能が覚醒の時を迎えます。

ここまでの3連勝において、再び世間の評価を取り戻しつつあったサイレンススズカ。その評価をかつてないものまで高めたのがこの後5月30日に出走する中京競馬場2000mGⅡ金鯱賞でした。
出走するライバルはサイレンススズカ同様連勝を記録している馬が多数。
重賞2勝を含む5連勝中のミッドナイトベット。前年に4連勝で菊花賞を制し。サイレンススズカ自身にも神戸新聞杯で勝利していたマチカネフクキタル。重賞含む4連勝中のタイキエルドラド。
勢いのある強敵が揃った中、レースはスタートし、いつものようにサイレンススズカの大逃げから始まりました。
もはや競りかける馬は皆無で、1000m通過タイムが58.1秒とかつてないタイムで走っています。
見ている観客、走っている騎手は皆どこかでペースが落ちるだろう、直線で持ちこたえられるのかどうか、と考えていたことでしょう。
しかし、第3コーナー、第4コーナーを回っても一向にペースが落ちる様子はありません。
残り800mの時点で10馬身差となっており、観客はとんでもないレースを見せられていると感じ大歓声が上がりました。通常歓声は直線に入ってから大きくなるものです。
直線に入ると、サイレンススズカは後続をグングン突き放していきます。観客席からは歓声ではなく拍手が送られていました。
そして最後までスピードが落ちないままゴール。2着とは1.8秒もの差をつけていました。


このレース前半は圧倒的なタイムで走りながら、後半は全体の3番目のタイム、2着馬とは0.1秒しか変わらないタイムで走破していました。
武騎手の教育が花開いたのです。
管理する橋田調教師は「レース内容も素晴らしく、なかなか再現しろと言われても再現できないレース」と述べ、
武騎手は「本当にいい体つきになったし、一段と力をつけている。今日のサイレンススズカならどんな馬が出てきても負けないんじゃないか。夢みたいな数字だけど、58秒で逃げて58秒で上がってくる競馬もできそうな気がしてきました」と語りました。
1000mを58秒で逃げて、残りの1000mを58秒で駆け抜ける。つまり1分56秒0でゴールする。
2021年現在、芝2000mの日本レコードタイムは1分56秒1です。当時のレコードタイムは1分58秒2だったと思います。
つまり、今でもそのタイムで走れば誰も勝てないという事なのです。
(もちろん競馬場にもよりますが、一番タイムが出やすいのは東京競馬場だと思います)

この理想を体現するかのような走りに、すでに競馬ファンは魅了されてしまっていました。
次はどんな相手に、どれほどの速さで、どれだけの差をつけて勝つのか。もはや舞台は日本だけでなく世界へと夢を見させてくれる存在になっていたのです。

その4に続きます。

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