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名馬物語 ~稀代の快速馬 サイレンススズカ~ その2

※馬齢表示が現在と異なっています。ここでは当時の馬齢表示をしています。現2歳→当時3歳 現3歳→当時4歳 など
また、専門用語をわかりやすい表現に置き換えている部分があります。

良くも悪くもファンに印象付けるレースを繰り返すサイレンススズカ。
いよいよ彼も最初の檜舞台へと歩を進めます。

・日本ダービー 舞台

迎えた大舞台、6月1日に東京競馬場で行われるGⅠ日本ダービー。しかし、ここで最大のライバルが立ちふさがりました。その名はサニーブライアンサイレンススズカが出られなかった皐月賞を制した馬です。
何よりもこの馬を警戒しなければならなくなります。

その理由はレース展開。サイレンススズカはスタートから果敢に先頭に立ち、そのまま最後まで押し切る戦法、いわゆる「逃げ」と呼ばれる脚質でした。
そしてそれはサニーブライアンと同じだったのです。
レース前から戦いは始まりました。サニーブライアン陣営は当然サイレンススズカの戦法をわかっています。その上で誰が来ようとも関係なく先頭に立ち逃げる、と宣言したのです。
これを受けてサイレンススズカ陣営は潰し合いを恐れて先頭に立たず、控えてサニーブライアンの後ろからレースを進める戦法を取ることとなりました。
しかし、これこそがサニーブライアン陣営の狙いでした。もしサイレンススズカが先頭に立とうと競ってきた場合は控えるレースをするつもりだったのです。

そしてダービー当日、サイレンススズカにとって初めてのGⅠの大舞台のため歓声に驚かないようにメンコ(周囲の音を聞こえにくくする覆面)をかぶせたものの、初めて経験する大歓声に驚き、イレ込んで(極度に興奮してしまうこと)しまいます。
そのまま興奮は落ち着くことがなく、レースはスタートしてしまいます。
当初の作戦通り、抑えて集団の前方に位置取るポジションを目指しますがサイレンススズカは前へ前へと行きたがるそぶりを見せ、無理やり抑え込まなければならなくなりました
そして、戦前の心理戦に勝利したサニーブライアンは誰にも競りかけられることなく先頭を快適に走ることに成功しました。
サイレンススズカは道中ずっと前に行きたがる姿勢で走っており、上村騎手はずっと抑える体制で騎乗。その上3コーナーで前に出ようとしたときにスペースがなく出られないという展開にも泣かされしまいます。
そしてレースはそのまま逃げ切って優勝し、二冠達成(皐月賞とダービーを勝利したら二冠馬と呼ばれます)したサニーブライアンから1.1秒離された9着と惨敗してしまいました。

激しい戦いに肉体的にも精神的にも疲労が激しかったサイレンススズカはこの後放牧に出され、リフレッシュすることになりました。

・4歳秋 試練

夏も終わりに近づきサイレンススズカの秋の目標を決めなければなりません。
通常4歳馬は秋は京都競馬場で行われるGⅠ菊花賞を目標とすることが多いのですが、この菊花賞は3000mもの長距離レースとなり、サイレンススズカには向いていないという判断もあり、中距離である東京競馬場の2000mで行われる10月26日のGⅠ天皇賞・秋を最大の目標と見据えと向かうこととなりました。
この天皇賞・秋は距離こそ向いているものの、菊花賞は4歳馬限定であるのと違い、古馬(こば:5歳以上の馬のこと)との戦いとなります。経験をたっぷり積んだ古馬との戦いは同世代同士以上の厳しい戦いとなります。

そして前哨戦に選ばれたのは9月14日阪神競馬場で行われるGⅡ神戸新聞杯。距離が同じ2000mとなります。しかし、このレースは菊花賞トライアルなのでまだ古馬との戦いではなく同世代の4歳馬同士での戦いです。
陣営の作戦は無理に抑えることはやめてサイレンススズカの気持ちに任せて好きに走らせよう、という戦法でした。

そしてこれが見事にはまります。残り100mまでは。
道中気持ちよく先頭を駆け、最後の直線も余裕をもってスパートし、残り200mの時点では後続に4馬身の差をつけていました。

しかしここで、鞍上の上村騎手が勝ったと考え、馬に無理をさせないよう追うのを緩めた結果、サイレンススズカは内側へヨレてしまい、スピードが落ちてしまいます。そこを後ろから猛烈な末脚(ラストスパートの加速)で追い込んできたマチカネフクキタルに抜かれてしまい、2着となりました。

この結果、勝てたレースで敗れたのは自分の責任だと鞍上の上村騎手はサイレンススズカの主戦騎手から降板することとなりました。

神戸新聞杯後は予定通り天皇賞・秋に出走することになりました。新しく鞍上に迎えられたのはベテランの河内洋騎手。彼はペース判断の良さからサイレンススズカに合っていると考えられました。
しかし、天皇賞・秋の直前の調教において騎乗した河内騎手をもってしても抑えられないほど興奮し、想定通りの調教ができずに終えてしまう事態が発生。この時河内騎手は「もう無理や、これ」とこぼしていたと言います。
それほどまでに気性に難を抱えてしまうこととなりました。

迎えた天皇賞・秋当日、サイレンススズカは4番人気に支持されていました。
本場馬入場時、歓声に驚き、ダービー時と同じように激しくイレ込んでしまい河内騎手がどんなになだめようとしても落ち着きを取り戻すことはなく、返し馬(スタート前のウォーミングアップ)すらできない状況となっていました。

そして、興奮が収まらぬままスタートが切られました。
サイレンススズカは出足こそゆったりと走っていましたが、次第に加速していき先頭に立ちました。
そしてそのまま加速は止まらず、1000m通過タイムが58.5秒(馬に無理のないと言われるのが60秒)とハイペースの大逃げを見せ3コーナー手前では後続に10馬身もの大差をつけ大歓声が沸き起こりました。
しかし、直線に入ると後続が一気に押し寄せ、残り100mでかわされ馬群にのみ込まれてしまいます。

かわされてしまった後も必死で踏ん張りますが、6着でゴール。1着2着とは離されてしまいましたが、3着とは0.1秒差となっており、初めての年上の馬とのレースであったにもかかわらず善戦したと陣営は評価しました。

最大の目標を手ごたえを得て終えたサイレンススズカ陣営は、次はGⅢ京阪杯に出走する予定としていましたが、12月14日に香港で行われる香港国際カップの日本代表に、と打診されたため、急きょ予定を変更し、香港へ向かうこととなりました。

その前哨戦として選ばれたのが11月16日に京都競馬場で行われるGⅠマイルチャンピオンシップ。マイルの名の通り1600mで行われる短距離戦です。
そして、このレースを前に幼少期から続いている馬房内で左回りに旋回する不可解な癖を矯正しようと馬房内に畳を吊り下げ、回れないようにしました。
しかし、かえってこれがサイレンススズカに大きなストレスを与えることとなってしまい、マイルチャンピオンシップ当日、彼はまたもや激しくイレ込むこととなってしまいます。
こうして落ち着かない状態のままレースはスタートを切られます。

スタートしてサイレンススズカと同い年の桜花賞(おうかしょう:4月に行われる4歳牝馬限定のGⅠ競争。阪神競馬場1600m戦)馬キョウエイマーチが先頭に立つとサイレンススズカは2番手につけます。そしてそのまま2頭が激しく競り合い、1000m通過タイムが56.5秒と短距離戦としても大変なハイペースとなりました。
そして第3コーナーを回って第4コーナーに差し掛かったところでサイレンススズカにトラブルが発生してしまいました。
なんと鞍がずれてしまい、騎手が馬を加速させるどころか落ちないように乗っているのさえ精いっぱいの状況となってしまいました。
当然そんなバランスの悪い状態では本来のスピードは出せません。みるみる後退していき、結果1着馬から2.9秒も離された15着になってしまいました。

この惨敗をもって世間の評価は一変してしまいました。
過去を振り返ってみてもデビュー当時は大物だ、化け物だと騒がれてもしばらくしたら平凡だった馬はたくさんいました。
サイレンススズカもそんな馬の一頭だったのだろう、と。

トラブルに翻弄され続けたサイレンススズカの運命はこの後劇的に変化します。

その3に続きます。


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