偉くなくとも正しく生きる、は間違い

 偉く無いから正しく生きる、もしくは、正しく生きるから偉くなれない、が厳密には正しい気がする。
  政治家が偉くなるのは、ある意味で利害関係を含む多くの支援団体を背負って居るから。

 国民全員背負って立つ、は出来たらイイけど、無勢に他勢、政治家の支援団体が、手前共の利益よりも声高に公共利益や国民の幸せを真剣に考えるような団体なら別だが、偉くしてあげる代わりに、政治家には、支援側の自分たちだけの正義に注力してもらうという力学が、支援する側の常識なので、政治家は全ての国民の為に偉く、正しくある、ということができるのは、ある意味奇跡、ということらしい。

 毒まんじゅう食ったか、食わないか、与えられたか、受け取ったか、みたいな選挙前からの伝統的攻防が有るらしい、’わたしに一票入れたら、必ずポストは用意しておく’ 
 互いに支援される側、する側、いや、主に役職分け与える側が選挙前から甘くささやき、袖の下から胸ポケットから出るわ、出すわ、毒まんじゅう。

 もちろん、今回の選挙においてそんな黒いコトあり得ないのだと信じたいけれど。

 しかしながら、政治なんかへの過大な期待は、どのカテゴリーにおいても、直ちにやめた方がいい。
 ただ監視を続けるのが国民の役割、ということの方が正しいと思う。

 岸田さんは、政治不信払拭するとかいうけど到底信じられないし、期待もしない。
 それは何も、自民じゃなくても、どの党が政権担っても単なる底知れぬ同じ絶望。
 いや、まだ期待できるかな、、。
 無償な博愛的感覚で、フン撒き散らす鳩なんかに餌与える人間を絶対に私は信じないし、フン害に遭っている周りの人間の存在があたかも何言われても無いように生きている能無しを心の底から、軽蔑するし、むしろ憎んでいたりするから。
総裁選 #党人事 #河井夫妻選挙違反事件 #森カケ桜 

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