心中二枚絵草紙

第4巻に戻って心中二枚絵草紙。
題に心中とあると安心するのは何だろう。

曾根崎心中と用明天皇職人鑑が用いられている。観客は、あぁ先日観たな!!となったのだろうな。
用明天皇職人鑑は心中二枚絵草紙の1つ前に収録されているのだが、ついでに読むには長そうなので見送る。

弟の策略にはまり、親の金を盗んだとみなされて勘当される市郎右衛門。天満屋通いで半分勘当のようなものだったというので、盗人となれば勘当するのも致し方ないだろう。
実は養子であることが明かされて、養子故に大切にしようとしたのにという父の嘆き。

市郎右衛門の事情を聞いたお島も死を覚悟。同じところに死ねないが、せめて同時に死のうということになる。

天満屋を離れ川端まで歩む市郎右衛門と、天満屋に残るお島。それぞれの嘆きを順に語って、最期は同時に。
この時人形はどうしていたのだろう。舞台を分割して、それぞれの様子を演じたのか。

道行にて、市郎右衛門とお島の影ができない。人玉が飛ぶと影ができないものなのだという。
曾根崎心中を読んだときから違和感があった。人魂(玉)は死後に発生すると認識していたからだ。影ができないのも、正体が幽霊と分からせるための頻出描写と思っていた。他にも、鏡に写らなくて化け物だと分かるとか、何となくどこかで見かけた表現の一種としてしか捉えていなかった。
少し検索すると、魂は死ぬより前に体を離れている(という考え方がある)らしい。

曾根崎同様、男は金に関して騙されて死を選び、女もそれに従うというパターン。女には差し迫った事情はない。市郎右衛門と他の客の小競り合いはあるが、冥途の飛脚のように身請け絡みで急いでいるわけではない。しかし、男を死なせて独り残れないと言い、また恐らく遊女の不安定な立場も手伝って心中に至る。

まだまだシンプルな物語で読みやすかった。曾根崎心中に関係する箇所も多いので、続編のような位置付けで書かれたのだろうと感じた。

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