出世景清

全集2作目。
わりと分かりやすかったな。やはり、事前の知識が物を言うか。
登場人物が基本的に潔く行動するのも読みやすさの要因だと思う。

阿古屋と言えば壇浦兜軍記の方が有名だろうか。
出世景清においては、嫉妬により景清訴人を後押ししてしまう(迷ってはいるけれど)ので、女の浅ましさ、救われなさを表現する役割のよう。
この嫉妬を引き起こしたのは、小野姫と阿古屋の双方に良い顔をする景清の態度が根本的な原因なのだが、浄瑠璃では(時代的に?)男のそういった曖昧な態度は許容されるもので。ふと、鑓の権三重帷子を思い出す。
浄瑠璃を読んでじっくり検討できる立場からすると、子までなした仲なのに一時の情で見捨てるか?と言いたくなるが、他の女を意識して狂うのは愛の証明だと捉えると、現代でもありそうな話ではないか。

奇蹟で命が助かる展開は、浄瑠璃定番と受け止めるようになった。浄瑠璃に慣れつつあるな。

その後、景清が頼朝と対面してあっさり懐柔されることに驚くが、一時は再び頼朝を敵として狙ってで平家への忠心も表明しつつ、両目を犠牲にすることで丸く収める。
かなり急激に景清の態度が変化するので、緊張感のある展開。幕府に楯突く訳もなし、頼朝は無事とは予想できるだろうが。

文楽での上演記録は文化デジタルライブラリーだと1985~1986年。
https://www2.ntj.jac.go.jp/dglib/plays/search_each?division=plays&class=bunraku&type=prog&istart=0&iselect=し&trace=result&ititle=出世景清&ikana=しゅっせかげきよ&mid=200068&seq=0
全曲復曲の素浄瑠璃公演が2021年に。
http://jtpa.jp/special/kagekiyo.html

そして、源平討魔伝なるゲームの存在を知る。
Wikipediaでは出世景清がモチーフとされているが、単に景清でなく、この浄瑠璃を意識した要素があるのだろうか。史実に抗って敵を求め続けるから、出世景清ということ?

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