心中重井筒

岩波文庫にも収録だがわ文楽では思ったよりやっていないようで。2016年にながと近松文楽で道行血潮の朧染を復曲公開だったそう。

上之巻の徳兵衛は、人を騙して金を借り、それを庇ったおたつの不義まで疑い始めるどうしようもない男。あれこれ迷いながらも結局重井筒屋に足が向く場面は、冥途の飛脚を想起した。発表の順序では、勿論こちらが先行だけれども。

中之巻では、おふさの不幸が明らかになり、おふさは独りで死を覚悟する。徳兵衛と合流し心中を決心するも、火責めに合う。ひたすらに可哀想な姿が描かれる。
心中に際して宗旨を問題にし、おふさに合わせて法華でということに。小言幸兵衛なら陽気過ぎると笑うところか。

下之巻では道行というほどの移動もない。
「おしま」は心中二枚絵草紙だろう。心中二枚絵草紙では曾根崎心中に触れていたし、心中物は1つのシリーズと言えそうだ。
「半四郎」は岩井半四郎でいいのかな?ちょっとよく分からん。

おふさを置いて先に逝こうとして止められる徳兵衛。結局、先におふさを突き殺すが、自身は井戸に落ちて絶命。んー、最期まで情けないぞ。
心中もバリエーションを増やさないと観客が満足しないから、色々考え出したのだとは思うけれど。

悪役(敵役)に騙されて窮地に陥って死を選ぶのが、これまでの世話物でよくあるパターンだけれど、心中重井筒は当てはまらない。
冒頭で人を騙すのは徳兵衛自身。家族を省みず、逃れるように心中するのだから、現代的には十分に悪かもしれないが。
おふさの父も悪いには悪いけれど、登場人物からも観客からも憎まれるべき悪役ではないよなぁ。

世話物制覇計画8作目(これと別に既読が更に6作)だった。背景設定、死に至るまでの経緯や心理の変化が徐々に複雑化していくのを体験している。
こうした傾向を近松の劇作の円熟の結果と指摘するのをよく見る。そりゃ上手くなったのかもしれないけれどもね。ワンパターンだと飽きられるし、観客の要求に応え続ける必要があったはず。そういう進化の過程をもっと掘り下げられたらな、と思うけれど、近松を読むので手一杯でなかなか。

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