曾根崎心中

とりあえず世話物24作を先に読んでいこうということで、まずは曾根崎心中。
心中に関して疑問に思うことは色々あるので、その辺も少しずつ整理しつつ読んで行きたい。

近松全集では第4巻の1作目。
作品自体は文庫で読んでいるので、もう何回目だろう。

近松を何作か読んだ中でも、曾根崎心中は確かに面白いと思う。といっても、思い入れがあって、一番好きなのは冥途の飛脚なのだが。

天満屋を抜け出す際の緊迫感、曾根崎にて脇差しを抜き放してから断末魔までの苦しい胸のうち。
特に道行は哀しいながらも美しいので、何度読み返したことか。

近松が世話物を書き始めて最初(というか、世話物を創設したその最初の作品であるらしいが)でこれだけ面白いなんて!!と感激するばかり。
しかし、最初の世話物だからこそ話が単純で、結果として現代的に受け入れやすく、素直に面白がれるのだと思う。

信頼していた相手に騙されて窮地に陥り、愛する女も一緒に死んでくれると言う。
本人の過失がないので心中に至る経緯に同情しやすい。浄瑠璃にありがちな複雑な理屈を持ち出さないので、こちらも乗り気で心中まで読める。何故そうなるんだ!?と現代的なツッコミを入れずにすむ。
往々にして文化的乖離が気になるものだけれど、曾根崎心中はそれが少ないし、あれこれ考え出す前に早々に死に至る。
改作して復活させたことも含めて、今も馴染みやすい作品なのだと思う。

岩波文庫(1977)では上中下巻に分けての掲載だが、こちらは一続き。
※場面ごとの段落分けはしているので、読みにくいわけではない。
丁度、Twitterで神津武男さんが、
後年の人形浄瑠璃・人形芝居の慣習を適用して、『曾祢崎心中』も作中場面ごとに「何々の段」と分割して捉えるがこれは間違いで、「一段物」と理解してかかるのが本当なのだと考える。
と指摘されていた。
https://twitter.com/Izumonojyo/status/1654995789054345219

観音廻りの存在や、文楽現行詞章についてはまた改めて考えて書きたい。

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