内裏炎上まで

第一巻を読み終えた。雑に巻数カウントで1/13としても、これだけでちょっと達成感がある。長編は読みきるだけで謎の自信がつく。
残り何巻あるんだと考えると気が遠くなるけれども。

鹿谷で俊寛登場。現代語訳で読んだときも、おぉ!!知っているエピソード!!と喜んだけれど、これが進まないんだな。章段名を見返したところ、第三巻前半が鬼界が島の段の内容なわけで、それまで暫く別の話題が続くという。
色々なエピソードが並行して進んだり、年号が煩雑で流れを把握しにくく、時系列で進まないこともあるのは平家物語の読みにくさか。全貌をきちんと捉えるには長すぎるなぁ。

実は文楽の平家女護島をまだ見ておらず、今月もチケットを取っていない。近松は観たいのに。過去公演の床本で読んではいて、歌舞伎を配信で観ている。

そんな中途半端な俊寛知識ながら、島で熊野信仰を怠ったから帰京できないというような話があったっけ。
平家物語では、まず鱸が熊野詣の話題で、この後も熊野信仰描写が出てくる模様。重盛が願うのも熊野だったのね(今ググって確認した)

ふと熊野に行ってみたいなと調べ始めたところ、公共交通機関だと回りにくいようだ。行くならよくよく調べないと。

さて、内裏炎上で第一巻は終了。何故ここで終わるのです?とふと思った。文字通りの巻物なら強引に足せば任意の長さになりそうだけれど、何か制約があったものだろうか。
解説によると細かいエピソードは後から挿入されたものがあるようだ。
そして、凡例によると、本文は章段ごとに明確に区切られてはおらず、章段名は巻頭の目録と本文上部に記載があるが若干の異同を含むらしい。
大分内容を切ったり貼ったりして作ったのだろうなと想像すると、便宜上長さで巻を区切っているだけだったりします?
成立過程の研究というのはどうなっているのだろうと検索はしたものの、これを追うと本編読む余裕がなくなるなと見なかったことにした。

なお、今読んでいる講談社学術文庫の底本は東京大学国語研究所所蔵の『平家物語』で、高野本、覚一別本と呼ばれるものだそう。我々がよく見る平家物語が語り本系の覚一本という種類のものだというところまでしか学習できていないので、よくわからん。
ちょこちょこ解説で異本比較も出てくるので、どこかで一度概要だけでもまとめて確認したい。

さて、第二巻と向き合おう。

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