義経千本桜

義経千本桜を再読した。
三大浄瑠璃は過去に読んでおり、義経千本桜は国立劇場が公開した動画の歌舞伎を一通り眺めたことがある。文楽でも通して上演したばかりだが、観ていないのである。

Kindleで購入した『義経千本桜 浄瑠璃傑作集』は、振り仮名もかなり細かく、台詞を鉤括弧で括ってあるので、非常に読みやすい。
近松ばかり読んでいては栄養が偏るので、出先で読むように選んだらあっという間に読み終えてしまった。

実は正体は○○で、とか、実は嘘で、といった展開を繰り返すので、息つく暇もなく話が進んでいく。だから、興味を持って読み進められるし、初めて舞台で観たなら手に汗握るのだろうな。

第一段は導入部なので、激しい展開はないのだが、義経と弁慶の造形が面白い。

安宅の印象であろうと思うのだが、弁慶は武勇に優れるのみでなく知将でもあるという認識であった。そもそも歴史上の弁慶像は定かでないと聞くので、義経記(未読)辺りが正統ということになるのだろうか。

ところが、義経千本桜における弁慶は、強いは強いが、義経の心中(胸中とでも書いておかないと死にそうである)を無視して暴れ回る。忠信の見せ場を奪いかねないからか、話題からも途中で追放される。忠義には厚いが、困った奴である。

頼朝から忌避された(?)義経は、朝方の陰謀で頼朝を討てとの勅命を受け(たことになり)、兄弟の仲は裂け行くばかり。窮地に陥った義経の足を引っ張るのが弁慶。
歴史をあれこれするのが浄瑠璃の面白さなので、そういう弁慶自体も単純にこれはこれでよい。

だが、控えめに全てを受け入れる義経に対して、寧ろ言うべきことを言ってくれるのは弁慶なのである。義経が頼朝に対面できず追い返されたのは讒言故だと主張し、無茶な院宣など出させるなとハッキリ言うのだ。粗野な言動に紛らせることで「正しい」ことを伝え、義経側に立つ観客なら当然言いたいことを代弁し、ある意味で安宅のままの役割をまだ続けているのかもしれない。

他に目についたのは、第二段の安徳天皇の入水で御裳川が出てきまして。やっと無事に壇ノ浦まで辿り着いたのだなと思った。

こうして再読していくと、『浄瑠璃を読もう』を読み返したくなる。現行では詞章がカットされているという話は『義太夫を聴こう』の方だったろうか。
『もう少し浄瑠璃を読もう』の曾根崎心中、出世景清のところは先日読んだのだが、しっかり浄瑠璃を読んだ後に読み返すと本当に面白い。自力では辿り着けなかったであろう知識を与えてくれるのが魅力。
解説収録された全浄瑠璃を自力で読むのも1つの目標。暫く間を開けて浄瑠璃を読んでも、橋本さんの解説の影響を受けている自覚はあるので、本当は先に浄瑠璃本文にあたるべきであったか。

ところで、温故堂文庫とは何ぞや?と検索すると、塙保己一が開設した和学講談所の文庫と出てくるのだが、この資料を電子化したもの…なのだろうか。
Kindleは登録者がよく分からないことがあって、温故堂の名前を借りただけで全く別の誰かという可能性はあるの?

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