僧都死去まで

これで長かった俊寛エピソードも終結。

御産の甑を落とす方向を誤った(?)エピソードは安徳天皇女帝説の根拠だったね。
大切な儀式なのに誤ることがあり得るかどうかというのがまず疑問だが、手が滑って物を落とすことは人間ならあり得るということで。現実にそうなったとしてもおかしくはないし、例えば入水に至る運命を暗示するための創作だとしても変な描写ではないと思っておこう。
現実世界の安徳天皇の性別(史実)や、女帝説の発生や流布の詳細も気になるところだけれど、平家物語世界における安徳天皇の性別が一番気になる。当然女性とは明記していないので、
・男性で間違いない(人々が種々のエピソードについて深読みしただけ)
・女性で間違いない(これだけ怪しい箇所を盛り込んだら分かるでしょう)
のように作者はどちらかに確信していたのか、確信してはいても明言を避けたのか、確信できなくて疑っていたのか?
勿論確信と言っても幼帝の姿を見て確認したわけではないだろうから、乏しい根拠で信じているに違いないのだが。

御産に引き続き頼豪でも「俊寛僧都一人、赦免なかりけるこそうたてけれ。」を繰り返すのは、大事なことなので二回言いましたなのかコピペミスなのかwと不審に思ったところ。
頼豪の解説で、百日肝胆~皇子誕生ありけりが同文で繰り返されていることについて、「「語り物」の常套手段」とあった。
なので、章段を跨いではいるが、俊寛について同文を繰り返すのもそういうものなのかもしれない。
祈り~誕生を同文で繰り返されたのは気づかないくらい違和感がなくて、平家物語では他にもこの手法は使われているのかもしれないが、俊寛についてはやや強引に話を持っていっているから目立つことと、俊寛に着目して読んでいるから意識が向いていて気になるのだろう。

僧都死去の解説では、俊寛の娘と有王がそれぞれどこでどう弔っていったか諸説あることをまとめた上で、平家物語の発祥や流布の中心を、柳田国男は高野山蓮華谷、冨倉徳次郎は双林寺と推定していることが紹介されている。
諸本やその他史料との比較はあまり重視せず読んでいたけれど、平家物語がどうやって作られて語られたのかという点ではやはり大切。
煩雑すぎて解説でまとめられていても覚えられるものではないが、読んではいる。

やっと全4冊のうち1冊目の終わりが見えてきたところ。それでもまだ100頁はある。
長いぞ、平家物語!!

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