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3週間ぶりの娑婆へ‥ 【退院初日の私】

=第19話=


退院の日も前日から旦那が🚗迎えに来るか来ないかでひともめして😤ハッキリしないまま当日の朝を迎えたが、結局は迎えに来てくれた!


👨🏻‍⚕️先生からは『フラつきが残っているから夜間の外出や、暗い場所は気をつける様にして下さい』と言われ、アデホスとメチコバールというお薬を処方された(血流を良くする薬💊)

確かにまだフラフラはしていたけど‥           🍚食べれるし👀見えるし👂🏻聴こえるし🚶🏻‍♀️歩けるし🗣話せるし、日常生活に戻るには充分な時期であった!

午前10時半🕦退院の手続きを済ませた🙆🏻‍♀️
病院の出入り口の自動ドアが開き、外に出た瞬間の、澄みきった空気の香りと開放感は半端なく気持ち良かった😄(とても美しい秋晴れでした)
まるで私の退院を祝福🎊されているような感覚に包まれたのを覚えている‥
(お日様🌞って凄いなぁ〜)

🚗の中から目に映る街並みも、とても✨キラキラして見えた(きっと普段と変わらないんだろうけど‥)
ほんとに意識ひとつで如何様にも見えるんですね💫


久しぶりに自宅に戻ると義理の母と子供たちが(実母は病院から車で一緒に帰ってきた)みんな嬉しそうに出迎えてくれた👵🏻🧓🏻👴🏼👨🏻‍🦰👩🏻
ほんとにありがとう💞

『何が食べたい?何でも好きな物取ろうよ!』と言われたものの、あまり食欲がなくて、『特に食べたいもの浮かばんから何でもいいよ』と‥お昼はピザ🍕を頼んでみんなでいただきました!


母たちが帰って、家族だけになり夕飯はどうする?となった時に私の口から出た言葉は『ハンバーグ作るわ!』だった😊
『大丈夫なん?』と心配されながらも子供たちを両サイドに従えて近くのスーパーまで買い物に行った!

病院内の廊下と違って、普通の歩道ではかなりフラついた😥自分でもビックリする程に😵(多分、街の騒音とか‥今までは当たり前だった日常の音や空間が違う感覚になっていた)

とくに右後方からの音や気配を全く感じないので、神経が敏感になっていたこともあったと思われる!

スーパーで材料を買って子供たちに荷物を持ってもらい無事に帰宅した🤗

そして久しぶりに我が家の台所に立った!
ハンバーグの玉ねぎを刻みながら‥あんなに毎日毎日ご飯を作る事に「あっきあき🤷🏻‍♀️」していた自分が、家族の為に夕飯の用意をしている事に幸せを感じているのだ‥
不思議なものだ‥🤔

ご飯をいつものようにお鍋で炊いて、キャンベルのコーンスープを作ってハンバーグの付け合わせはジャガイモと人参をバターと砂糖で味付けしてレンジでチンするいつものやつだったと思う😅

みんな『やっぱり母さんのハンバーグはおいしいね😘』なんて言葉は言わないけれど、誰一人残さず完食したので、そう言うことなのだ‥

家に戻ってくるなり、家族にご飯を作りたくなるなんて自分では想像もしてなかったけど‥
主婦としての何かが自分の中にあったのだろうか(今だにわかりません🧐)


その夜に娘がお布団を用意してくれていて、頭が楽になるようにと、病院のベッドみたくちゃんと傾斜をつけてくれていた(バスタオルやシーツで調整して)
しかもまだ寝る時に右目の瞼が完全に閉じれない(神経麻痺の加減で)のを気にしてくれていて、瞳が乾燥しないように『アイパッチ』まで買っておいてくれていたのだ!
ありがとう😊
細やかな気遣いが出来る娘を持って、母は幸せです🥰

病気をして入院して退院して‥

『多くのことを学んだ』と言うよりは
『色んなことを体感した』って方がしっくりきている‥


日常の当たり前の日々が、いかに当たり前ではなかったんだと、改めて自分で感じることができたという想いが溢れた日でありました☺️


退院初日はこんな感じで、わりとよく覚えていましたね!

ここからは、かなり話しが飛ぶかもしれませんが‥

又半年後に聴力検査とMRIの予約を取って帰ってきたので、しばらくは通院が続くこととなります🏥

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