シン・エヴァンゲリオン感想
この感想は本編の内容には触れずに、そのうえで一度作品を見た人に向けて書いているという事を前提で読んでいただけると幸いです。
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今まで描かれてこなかった“前向きなエヴァンゲリオン“
シン・エヴァンゲリオンを見終わって、まず今までの作風と大きく印象が変わったと思った点として
非常に”前向き“な内容だったと思いました。
登場人物たちはみな過去から大きく変化していて、そして今もなお変化しようとがんばっている。
そんな人たちに当てられてシンジは成長していく。
今までのエヴァンゲリオンは、全てではないにしろ全体的に閉鎖的で成長に後ろ向きな印象が強い作品でした。
このシン・エヴァンゲリオンはその殻を破ろうとしていた。エヴァンゲリオンというコンテンツにおいてここまで前向きに描いた作品はとても新鮮でした。
いつまでも殻にこもっていても、何も変わらないよ。
そういったメッセージ性を強く感じました。
新しい試み
シン・エヴァンゲリオンは作中において非常に斬新でエキセントリックな、映像、音楽、ストーリーに挑戦していたと驚かされました。
例えば実写を取り入れた映像。旧劇場にもあった表現でしたが、今回はさらにそこを全面に出して見たこともない映像を見せてくれました。
音楽に関しては、キリスト教の有名な賛美歌が取り入れられ、過去作品からの引用や、効果音に関しても現実で聴き慣れた音が没入感を強くさせていました。
そしてストーリー。ここまで複雑で広がりきった風呂敷を、まるで丁寧に一つ一つ折りたたむように収束していく気持ちよさ。ただ伏線を回収するのでは無い。キャラクター達が”生きているからその選択をした“そう思わせるリアリティがありました。
息を飲みようなドラマを、時にシリアスに、時にコミカルに描く事でその時の感情を最大限に高める演出が憎かったです。
全てのエヴァンゲリオンを終わらせるために
エヴァンゲリオンという作品はTV版から始まり、劇場版、漫画、外伝小説、ゲームと非常に幅広く展開してきました。その作品ごとにエヴァという媒体は大きく印象変え、また様々な解釈を生みました。
エヴァはその複雑なストーリーと用語の多さからよく”考察が熱い作品“として知られています。
その考察の波は時には過剰に加速してファン同士の争いにまで発展してきました。
その広がりに広がりきったエヴァワールドを、このシン・エヴァンゲリオンはとてもうまく、もっと言えば誰もが想像し得なかったほどキレイに締めくくったと言えると思います。
もちろんまだたくさんの謎は残っているし、新しく生まれた情報も膨大にあります。
しかし私はエヴァ世界の本質となる問題は全て回収された。と称賛できるのではと思っています。
彼らが再び混沌の戦いに戻される事はもう無いのだと。
これが“エヴァンゲリオンの本当の最終作”なんだと、きっとあの場にいたみなが感じ取れたでしょう。
私が感じたシン・エヴァンゲリオンを見た人の向けたメッセージ
「俺のエヴァンゲリオンは終わったんだ。」
私は「終幕。」の文字が出てからすぐ、こう頭の中に呟いていました。それは終わってしまった寂しさから出てきたものではなく、不思議な清々しさから出てきた言葉でした。
エヴァンゲリオンという作品は良くも悪くも、とても”中毒性“が高い作品で、「信者」が生まれやすい作品でもあります。私も例にもれずエヴァンゲリオンに大きく人生を左右された信者で、時には嫌いになる程傾倒していた事もありました。
「さぁ、行こう!シンジくん」
そして、新たな一歩を踏み出していく。
最後のシーン。あの言葉は映画を見ているスクリーンの前の私たちに向けて言った言葉では無いかと思うのです。あの瞬間だけ私は碇シンジだったと。
そして「もう”エヴァの呪縛“に囚われる必要は無い。」と言っていたように思ったのです。
私の中でずっとモヤモヤしていたエヴァに対する何かにひとつ“ケリ”をつけられたから、清々しい気持ちで見終わることができたのでは無いか。そう感じざるをえなかったです。
こうまで言いましたが、私の中の「エヴァ愛」が冷めたとかではなく、今後も人生の大事な1ページとして大切にしていきたいと思っています。
ただし、今後はもうエヴァというある種の檻に閉じこもる子供から一歩踏み出して、自信を持ってこう言えるようにありたいです。
「ありがとうエヴァンゲリオン、
さようなら全てのエヴァンゲリオン」
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