息子は立派な発達障害 その2

その2

3歳頃からきちんと判断したいと思い、県内の病院8か所で診断を受けました。
さて、皆さん。どんな結果がでたと思いますか?
なんと障害がある、問題なしが4:4に別れましてもっと私は悩むことになったのです。
定型発達の子供なのか障害があるのかで、育て方や接し方も変わってくるので一体どっちなのかと本当に苦しみました。

幼稚園に入園の際も8か所くらい見学や園長先生と面談をお願いして決めました。
発達障害の疑いありというだけで門前払いの園もありました。

障害があるかないかで息子の幼稚園選びも大変でこんなに悩まなくてはいけないのかと辛かったですね。
何をするにもはっきりできないことにとにかく悩んだり苛立ったり。
もっと素直に可愛がって育てればよかったと今は思います。

幼稚園年中さんあたりから落ち着いてきて、いわゆる普通の定型発達の子供と思い込んでしまったり、
一度読んだ絵本の内容を暗記していたりするのに気づいた時などは発達障害ならではの特別な才能を持っているギフテット型の発達障害だと将来を勝手に明るく考えたり。
決め手がなくて今日は普通っぽい。
今日は障害っぽいというように日々の行動で一喜一憂。
結局ずっと行ったり来たりで、この時期とても苦しかったです。
いわゆる普通の子であって欲しい気持ち、ギフテット型の発達障害ならまだいいかなという勝手なことを考えていました。

幼稚園の集団生活では問題が多く大変でした。
毎日お迎えの時に、今日はこんな事ができませんでした、給食のおかずが嫌で泣いたとか朝礼の時に砂場から戻ってこなかったと日々できないことを聞かされてお迎えが怖くなって友人にお願いしたりしていました。

それでも療育が順調だったり本人なりに成長もしていたのだと思います。
小学校入学前は支援級か通常級か悩みましたが、周囲の意見やわたしの中にある普通の子であってほしいという諦められない気持ちもあって通常級での入学となりました。

小4まではまずまず順調でしたがイジメが発覚しました。
複数の男女から物を隠されたり、足を引っ掛けて転ばされたり、
無視されたり
とにかく毎日なにかしらの嫌な事があったようで。
塾の自習室に迎えに行ったら机の下に隠れていて…
あいつらが来る気がしたという一言から気がつきました。
仲のいいママ友に相談していじめの事実を集めて。
担任と校長先生と話し合いましたが、
校長は翌年か翌々年定年だったからか、事を荒立てないでくれといってきたので、
学校はあてにならないと判断。
夫がいじめた子達の家に電話をし、各家庭を息子と周り、2度としない事を誓わせて。
保護者にも認めさせて。
この時は本当によく動いてくれたなと今でも感謝しています。
私はいじめ発覚から毎日学校へ行って、
いじめてた子に私の息子をいじめないでねって笑顔ではなしかけてました。
ママ友は毎日パトロールしようと随分協力してくれたりとありがたかったです。
発達障害ならではなのか、人といるより一人の方が気楽だったのもあるようで変わったやつと思われ
空気が読めず、発言してはいけない時に発言することも多々あったようで
うるさいやつだな
とターゲットになっていったようでした。

それでも、先輩ママやママ友さんたちがよくしてくださったおかげで、ずいぶんと助けられました。
幼稚園のころからなるべく役員や地域の子供会の仕事などを率先して手伝っていたことは周りの方が私に協力してくれたり助けてくれたりという支援につながっていったのは間違いありません。
最近はPTAの存続が危ぶまれている地域もあるそうですが、見直していただきたいなと思います。
役員をやっていてよかったなと私は思っているので。

その3へ続きます。

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