何を語りたいのか
無意味なタイトルを付けて、本質を見せかけだけで判断できないようにする。
内容を知りたければ、私の話を最後まで聞けばいいですよ。
そんな賢さを、ネット配信者から感じている。
すでに、ネットの世界で発信することは、個が生き残るための戦略として当たり前の日常になっている。
しかし、画面の中で発信している主体は、個を持つ人間であるということ
それすらも、AIの登場によって、個の無い存在による発信と見分けがつかなくなる。
人が聞きたい話、興味関心を満足させるような刺激は、人間が最後まで作らなくてもいい。
完成させる力よりも、踏み出す一歩の多様性が評価される。
これがAIを使うということか
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作り物の表現を真に受けることを避けたい。
人間の魂から出てきて、それが様々な媒体に表現されている物を見分けることができなければ、感動を無駄遣いすることになる。
作られた物には目的があり、それは人が利用するための目的であって、人が利用されるための目的ではない。
人の心を動かすための努力を個対個が行うことで、やっと生身の人間との間に信頼関係が生まれるのに
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文字を読んだり、音声を聞いたりできるような媒体上の関係にとどまらず、つながる体験に移っていけること、そこで人対人の関係を持てること
ますます、体験の価値が高まる
体験とは、自分が信頼し、信用でき、安心できる対象を見つける旅の一つ
体験に自分を重ねる努力をすることで、相手の話を最後まで聞いたことになる。
相手に関わる時間の長さを物理的に同じものにする。
自分の体験と相手の体験が共存する空間
人生の中の、この時間を体験できるのは一度だけ
誰と体験するのか、どのように体験するのか
そこにあるのは面倒くさいこと、不便なこと、痛いこと、やるせないことも含まれる。
生きることの中に、当然のように含まれるであろう、これらの感覚を生み出すような出来事の数々
ありがたくないことも含めて、共有しようとする意思
これが本当の体験ではないか
結局は、
AIと競争する環境では、すべて矛盾なく、辻褄が合うようにしなければならない。
本来そのような一貫性の要求は結果をみてから言えることで
人間の行動は、本来一貫していない
自分ではまっすぐに歩いているつもりでも、振り返ればふらふらな足跡になっている
悪いことも良いことも、人は自分がしてきたことで評価される。
でも、その評価している者自身が、相手にそのような評価をできるほど正しい人であるのか
と聞かれたら、それに自身をもって、私にはそのように評価をする正しさがある、と言える人はいるのだろうか。
正しさと権利は違う
権利は、自分の正しさを主張するために使うものではない。
権利とは、闘うために使うもの
自分が実践していることを書き、相手にも体験してほしいことを書く。
目を合わせて対面した時に、語るのと同様の姿勢で語られる言葉に対応する。
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